マタイ22:36-40
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 これがいちばん大切な、第一のいましめである。 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
「いちばん大切な戒め」2007年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会
あるとき,パリサイ人がイエスをわなにかけようと,答えられそうにない質問をしました。「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか。」(マタイ22:36)
パリサイ人はこの質問について議論を重ね,600以上の戒めを数え上げていました。学者ですら,それらに優先順位を付けるのは大変でした。それで,ガリラヤ出の大工の息子が答えるなど不可能に決まっていると考えたのです。
ですから,主の答えを聞き,弱点を指摘されたパリサイ人は,当惑したはずです。主は言われました。
「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』
これがいちばん大切な,第一のいましめである。
第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』
これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。」(マタイ22:37-40)
その日以来,この霊感あふれる宣言は何世代にもわたって繰り返されてきました。現在,わたしたちにとって,愛の大きさは,魂の偉大さを測る尺度です。
聖文にはこうあります。「人が神を愛するなら,その人は神に知られているのである。」(1コリント8:3) 何とすばらしい約束でしょう。神に知られるのです。自分が天地の創造主に知られ,純粋にまた永遠に愛していただけると考えると,胸が高鳴ります。
……
欠陥だらけの自分でも,天の御父が愛してくださっていると知っているわたしたちは,何と祝福されていることでしょう。御父の愛は深く,わたしたちが自分自身を見捨てたとしても,御父は決してお見捨てになりません。
わたしたちは自分自身の過去と現在の姿を見ます。天の御父は永遠という観点から御覧になります。わたしたちは低い次元で満足するかもしれませんが,天の御父は違います。御父はわたしたちの輝かしい可能性を御覧になっているのです。
……
皆さんは主を愛していますか。
主とともに時間を過ごしてください。主の御言葉について深く考えてください。主のくびきを負ってください。理解と従順を求めてください。「神を愛するとは,すなわち,その戒めを守ること」(1ヨハネ5:3) だからです。主を愛するなら,従順は重荷ではなく,喜びになります。主を愛するなら,自分の利益を求めなくなります。人々を祝福し,高める事柄に心を向けるようになります。
主への愛が深まるにつれて,思いと心が清められます。「悪を行う性癖をもう二度と持つことなく,絶えず善を行う望みを持つように,……わたしたちの心の中に大きな変化」(モーサヤ5:2) が生じます。