マタイ22:14
招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。
「あらゆる思いの中でキリストを求める」2020年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
わたしたちが主を求める努力を続けていても,ふさわしくない思いが心に入ってくるかもしれません。そのような思いが入るのを許したり,ましてや抱き続けたりすると,そうした思いはわたしたちの心の願望を形成し,それがわたしたちがこの世でなる人物となり,やがてわたしたちが永遠に受け継ぐものとなってしまう可能性があります。(箴言23:7;エレミヤ17:10:2ニーファイ9:39;モーサヤ4:30;アルマ12:14;教義と聖約137:9参照) かつてニール ・A・マックスウェル長老は,この原則を強調してこう言っています。「望みが行いの結果を左右する〔のです。〕『召された者は多いが,選ばれた者は少ない』理由もそこにあります。」(ニール ・A・マックスウェル「わたしたちの『心の望みに応じて』 」1996年10月。マタイ22:14;教義と聖約95:5も参照)
古代と現代の預言者は,わたしたちが人生において霊的な駆動力を失ったり,混乱したり,方向が分からなくなったり,素直でなくなったりするのを避けるために,絶えず注意を喚起しています。
例えて言うならば,誘惑に屈するとは金属を磁石に近づけるようなものです。磁石の目に見えない力が金属を引き付け,しっかりと固着させるのです。磁石の力が及ばなくなるのは,その金属の物体を磁石から遠く離れた場所に置いたときだけです。ですから,磁石が遠くにある金属を引き付けることができないのと同様に,わたしたちが誘惑に抵抗するならば,誘惑の影響は弱まり,わたしたちの思いと心,ひいては行動に対する誘惑の影響力はなくなります。