「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -367ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ28:19-20
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。


「自分の十字架を負う」2019年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
「だれでもわたしについてきたいと思うなら,自分を捨て,自分の十字架を負うて,わたしに従ってきなさい。

自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを見いだすであろう。

たとい人が全世界をもうけても,自分の命を損したら,なんの得になろうか。また,人はどんな代価を払って,その命を買いもどすことができようか。」マタイ16:24-26

救い主はこの宣言を通して,主に進んで従おうとするすべての人は,自らを捨て,自分の望みや好み,情熱を制御しすべてを犠牲にし,必要ならば命さえも捨て,ご自分がされたように,完全に自分の意思を御父の御心に従わせる必要があることを強調されました。ヨハネ6:38参照)これこそが魂の救いを得るために払うべき代価なのです。イエスは,弟子たちが主の大義に対する犠牲と献身の真の意味をもっと良く理解できるように,意図的に,比喩的に十字架を象徴として使われました。十字架というものは弟子たちやローマ帝国の住民によく知られていました。なぜなら,ローマ人は十字架の刑の受刑者に自分の十字架やその支柱を十字架の刑が行われる場所まで運ばせていたからです。ヨハネ19:16-17参照)

救い主が復活されて初めて,弟子たちは救い主について書かれたあらゆることに対して理解の目が開かれマルコ16:17-20ルカ24:36-53参照),そのときから自分たちに何が求められているかをマタイ28:19-20参照)を理解するに至ったのです。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちも同じように,自分の思いと心を開くことによって,自分の十字架を背負い主に従うことの意味を,より十分に理解する必要があります。自分の十字架を負いたいと願う人は,自分自身を捨て,あらゆる不信心やこの世的な欲を捨て,主の戒めを守るという方法でイエス・キリストを愛します。それを聖文から学ぶことができます。JSマタイ16:25-29
 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ28:19
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、…


「愛し,分かち合い,招く」2022年4月、ゲーリー・E・スティーブンソン、十二使徒定員会
少しの間,ガリラヤの山に立って,復活された救い主が弟子たちを訪れておられる,不思議と栄光を目の当たりにしていると想像してみてください。主が弟子たちに厳かに命じられました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し〔なさい〕。」マタイ28:19それは主への畏れを感じさせるものだったことでしょう。この言葉は確かに力があり,それは使徒だけでなくわたしたちも鼓舞し,突き動かします。実際,使徒たちは,残りの生涯の間ひたすらまさにこの言葉どおり行ったのです。

面白いことに,イエスの言葉を心に留めたのは使徒だけではありませんでした。初期の教会員は,新会員も経験豊富な会員も,自分たちが出会い,知ることになった人々に,福音の良い知らせを伝えるという,救い主から託された偉大な務めを果たしました。イエス・キリストの証を伝えるという決意は,主が新たに建てられた教会が大きく成長する助けとなりました。

わたしたちもキリストの弟子として,主が初めてそれを宣言されたガリラヤの山にいるかのように,今日主の声に耳を傾けるよう招かれています。1830年,同じことがまた始まりました。ジョセフ・スミスがイエス・キリストの教会の初期の宣教師として弟のサミュエルを任命したときのことです。(SeeLucy Mack Smith, History, 1845, page 169, )それ以来,150万人以上の宣教師が世界中に出て行って,あらゆる国民を教え,回復された福音の良い知らせを受け入れる人にバプテスマを施してきました。

これがわたしたちの教義であり,心からの望みです。

……

兄弟姉妹の皆さん,そんなに難しいことではありません!有難いことに,救い主から託されている偉大な務めは,子供のころから教えられてきた,単純で簡単で理解しやすい原則を通して達成できます。愛し,分かち合い,招くことです。

 

 


今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ28:18-20
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。


「人が将来なり得る姿を見る」(英文)2012年10月、トーマス・S・モンソン大管長
復活された主がガリラヤで11人の弟子に御姿を現したときにお与えになった命令以上に,意義深い宣言,大きな義務,はっきりとした指示が記されている聖句はありません。主はこう言われました。

「わたしは,天においても地においても,いっさいの権威を授けられた。


それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,

あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終おわりまで,いつもあなたがたと共に
いるのである。」マタイ28:18-20

時の中間に神から与えられたこの命令は,その輝かしい約束とともに今日のわたしたちのモットーになっています。伝道は末日聖徒イエス・キリスト教会の基本的な特徴です。これまでもそうでしたし,これからもそうです。預言者ジョセフ・スミスが宣言したとおり,「結局のところ,最も偉大で最も重要な義務は福音を宣べ伝えることです。」(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』(2007年),330)

……

この言葉を語られた主について,わたし自身の証を宣言します。主は神の御子,わたしたちの贖い主,救い主であられます。
福音を伝えるという,わたしたちに託された務めを果たすときに,友情の手を差し伸べる勇気,あきらめない粘り強さ,御父から導きを求めるために必要な謙遜さを持てますように。その責任はわたしたち兄弟のうえにあります。イエス・キリストの御名により,アーメン。