「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -341ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント15:13-14
もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。



「復活」2000年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
わたしたちは文字どおり万人にもたらされる復活を信じることのとてつもない重要性を十分に理解しているでしょうか。不死不滅の約束はわたしたちの信仰の土台です。預言者ジョセフ・スミスはこう宣言しました。「わたしたちの宗教の基本原則は、イエス・キリストが死んで、葬られ、3日目に再びよみがえって、天に昇られたという、イエス・キリストに関する使徒と預言者たちの証です。わたしたちの宗教に関するほかのすべての事柄は、それに付随するにすぎません。」(Teachings of the Prophet Joseph Smith、ジョセフ・フィールディング・スミス選〔1938年〕121)

預言者ジョセフ・スミスが救い主の栄光の業の中で、その死と埋葬と復活についての証をわたしたちの宗教の基本原則に据え、「ほかのすべての事柄は、それに付随するにすぎません」と語ったのはなぜでしょうか。答えは、救い主の復活が預言者たちの言う「死から人々を解放する、偉大な永遠の計画」の中心であるという事実に見いだされます(2ニーファイ11:5)

永遠の旅路にあって、復活は死すべき状態の終わりと不死不滅の始まりを示す確固とした道標です。主はこの重要な移行についてこう宣言されました。「このようにして、主なる神であるわたしは、人に試しの生涯を定めた。人が、すなわち信じるすべての者が、肉体の死によって不死不滅によみがえり、永遠の命を受けられるようにするためである。」(教義と聖約 29:43) 同様に、モルモン書はこう教えています。「死がすべての人に及ぶようになったので、大いなる創造主の憐あわれみに満ちた計画を成就するためには、復活の力が必ずなければならない。」(2ニーファイ9:6)  また近代の聖文から、人は霊と肉体の再結合、すなわち復活なしには「満ちみちる喜び」は得られないことが分かります(教義と聖約93:33-34)

復活が永遠の旅路を支配する「贖いの計画」(アルマ12:25) の中で重要な役目を果たすことを理解すると、使徒パウロがなぜ「もし死人の復活がないならば、… わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」と説いたのかが分かってきます(1コリント15:13-14)。また、父なる神が「その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生まれさせて生ける望みをいだかせ」られた事実について、使徒ペテロが触れたのはなぜかが分かります(1ペテロ1:31テサロニケ4:13-18も参照)。

 

 

 


 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント14:33
神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、…



「個人の平安―義の報い」2013年4月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
神は「無秩序の神ではなく,平和の神である」ことを忘れないでください。1コリント14:33 参照) 神に背く者に平安はないのです。わたしたちは皆,現世における選択の自由が提示された天上の会議に参列しており,自らの選択の自由を誤って使うことにより,この世の苦痛や言い表せないほどの悲劇にさえ遭遇することを知っていました。そのために,わたしたちは怒ったり,困惑したり,無力になったり,傷ついたりするかもしれないことを理解していたのです。しかし,わたしたちは,救い主の贖罪がこの世のあらゆる不公平に打ち勝ち,埋め合わせをし,平和をもたらしてくれることも知っていました。マリオン・D・ハンクス長老は,次のようなウーゴ・ベッティの言葉を額に入れて壁にかけていました。「神を信じるとは,すべての戒めが正しいことが証明され,想像もできなかったすばらしい報いが待っているということを知ることである。」(マリオン・D・ハンクス「愛をもって人と語る神」『聖徒の道』1993年1月号,71から)

平安の源は何でしょうか。多くの人々はこの世の方法で平安を探し求めます。これまでに成功したことがなく,今後も成功する見込みのない方法です。平安は,ばく大な富や権力,名声を手に入れることで見いだせるものではありません。(ジェフリー・R・ホランドFor Times of Trouble(2012年),79参照。ジェフリー・R・ホランド長老は,「真の貧困は,罪そのものを除いて,ほかのいかなる状況にも増して人を気落ちさせることがある」と教えている。しかし,義にかなった金銭の使い方をすれば,平安を増し加えることができる。)楽しみや気晴らし,レジャーを追い求めることによっても見いだせません。これらはどれも,たとえどれほど多くを手に入れたとしても,永続する幸福や平安を生み出すことはないのです。

エマ・ルー・セインが大好きだった賛美歌は,実に的を射た疑問を投げかけています。「平和はいずこにありや。ほかに癒しなき時,慰めはいずこにありや。」(“Where Can I Turn for Peace?” Hymns,129番)その答えは救い主です。救い主こそ平和の神であり,「平和の君」であられるのです。イザヤ9:6

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント14:16
そうでないと、もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。あなたが何を言っているのか、彼には通じない。


「主の祈りから得られる教訓」2009年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
主は祈りの最後に,神の偉大な力と栄光を認め,「アーメン」と締めくくっておられます。わたしたちの祈りも,最後に「アーメン」と言います。様々な言語によって発音は異なりますが,意味は同じです。「心から」とか「ほんとうに」という意味です。(ヘブライ語とギリシャ語では,アーメンは,「心から」「確かに」「ほんとうに」「そのとおり」という意味である。)「アーメン」を付け加えることで,説教や祈りを厳粛に明言するのです。黙示22:20-21参照。アーメンという言葉は,相手の言葉への合意をはっきりと認めるためにも使われた(列王上1:36参照))同意する人は,ほかの人に聞こえるように「アーメン」と言い添えます。1コリント14:16参照)そうすることで,「わたしもそのことを厳粛に宣言します」と表明するのです。詩篇106:48黙示5:13-1419:4教義と聖約88:135参照)

主は祈られる前に,まず「無益に繰り返す」マタイ6:73 ニーファイ13:7ことを避けるように,そして「このような方法で」マタイ6:93 ニーファイ13:9参照)祈るようにと弟子たちに言われました。ですから,主の祈りは従うべき規範ですが,暗記し,繰り返し暗唱する祈りではありません。主がただ望んでおられることは,わたしたちが絶えず悪に抵抗し,義にかなった生活を送るよう努めながら,神の助けを祈り求めることです。