「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -342ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント14:10
世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。 


「戒めを守りなさい」2015年10月、トーマス・S・モンソン大管長
コリント人への第一の手紙にこうあります。「世には多種多様の言葉がある……。」1コリント14:10 わたしたちは,説得する声や誘いかける声,けなす声や洗練された声,混乱させる声に囲まれています。これらは うるさい 声であると付け加えましょう。皆さんにお勧めします。これらの声のボリュームを下げ,皆さんを安全へと導く,細くて小さな声の影響を受けられるようにしてください。バプテスマを受けた後,権威を持った兄弟があなたの頭に手を置き,あなたを教会の会員として確認し,「聖霊を受けなさい」(『手引き 第2部―教会の管理運営』(2010年)20.3.10) と言ったことを思い出してください。心と霊の扉を開き,真理を証する特別な声を聞いてください。預言者イザヤは,「『これは道だ,これに歩め』と言う言葉を耳に聞く」と約束しました。イザヤ30:21 わたしたちを慰め,導き,安全に保ってくれるこの声に常に波長を合わせ,聞き取ることができますように。

 

 

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント13:1
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。


「あなたは,わたしの手である」(英文)2010年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
真の愛には行動が伴わなければなりません。わたしたちは一日中愛について話すことができます。声高に愛を語る歌や詩を書くことができますし,愛をたたえる歌を歌うこともできます。愛するよう説教することもできます。しかし,その愛を行動で示さないかぎり,わたしたちの言葉は「やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じ」なのです。1コリント13:1

キリストは愛について語られるだけではありませんでした。日々の生活で愛を示されたのです。群集を残して立ち去ったりはなさいませんでした。イエスは人々の中にいながら,個人に手を差し伸べられました。迷い出た者を救助されました。愛の手を差し伸べるよう人々に教えるだけではなく,実際に人のために働くようゆだねられました。「弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強め」る方法を教えるだけでなく,実践して見せてくださいました。教義と聖約81:5

キリストは人を教え導く方法を完璧に御存じでした。救い主が御手を差し伸べられると,触れられた者は勇気づけられ,成長し,強くなり,その結果,さらに善い人になったのです。

わたしたちが救い主の手なのであれば,同じことをするべきではないでしょうか。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント12:25-26
それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。


「もう一人の放蕩息子」2002年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
美徳についてパウロが簡潔に定めた次のような優先基準を常に心に留めるならば、助けを得られるでしょう。「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」1コリント13:13パウロは、わたしたちが皆、キリストの体であり、肢体は、見栄えがよかろうと、弱っていようと、すべて尊ばれ、必要とされ、大切にされるものであることを思い起こさせてくれています。「からだの中に分裂がなく、それそれの肢体が互たがいにいたわり合〔うように、また〕もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ」という言葉からは、パウロの切なる願いが伝わってきます。1コリント12:25-26参照) この比類ない勧告により、“generosity(物惜しみしないこと) という言葉が “genealogy(系図、家系)“ と同じ語源、すなわちラテン語の “genus“ から派生し、その意味は「同じ生まれまたは種類、同じ家族または性別」(この語源学的関連を指摘したヘンリー・ニューエンから情報を得た) であることを思い起こします。親切にする相手が、ほんとうは自分の家族であるということを思い起こせば、もっと容易に、惜しみなく与えられるようになるでしょう。

兄弟姉妹の皆さん、神にとって、ほかの人より大切にされていなかったり、慈しまれていなかったりする人はだれもいないことを証します。自分に自信のない人や、不安を抱えている人、自分を否定的にとらえている人、そのほか様々な弱点を持つ人すべてを、神は愛しておられることを証します。神はわたしたちの才能、容姿、職業、財産などを測られたりはしません。神は、競技場で走るわたしたち一人一人に、この競技が参加者同士の争いではなく、罪との戦いであると呼びかけ、声援を送っておられます。もし忠実であるならば、それぞれの人に、あつらえの義の衣が用意されています。イザヤ61:10; 2ニーファイ4:33;9:14参照) それは「小羊の血で洗い……白くした衣」です。黙示7:14 わたしたちがそのような賞を得るために互いに励まし合えるよう、イエス・キリストの御名により心から祈ります。アーメン