「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -343ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント12:12-13,25-26
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。…それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。



「帰属の教義」2022年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
コリント人への第一の手紙の中で,パウロは,教会でバプテスマを受ける人は皆,キリストのからだにあって一つであると宣言しています。

「からだが一つであっても肢体は多くあり,また,からだのすべての肢体が多くあっても,からだは一つであるように,キリストの場合も同様である。

なぜなら,わたしたちは皆,ユダヤ人もギリシヤ人も,奴隷も自由人も,一つの御霊によって,一つのからだとなるようにバプテスマを受け,そして皆一つの御霊を飲んだからである。……

それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。

もし一つの肢体が悩めば,ほかの肢体もみな共に悩み,一つの肢体が尊ばれると,ほかの肢体もみな共に喜ぶ。」1コリント12:12-13,25-26

帰属意識は,わたしたちの肉体的,精神的,霊的な幸福にとって重要です。しかし,それでも時として,なじめないと感じることもあるかもしれません。落胆するとき,主の高い標準やほかの人々の期待に沿うことなど決してできないと感じるかもしれません。(ラッセル・M・ネルソン「完成への道」 『聖徒の道』1996年1月号,95-98;ジェフリー・R・ホランド「それだから,あなたがたもいずれ完全な者となりなさい『リアホナ』2017年11月号,40-42参照、「それだから,あなたがたもいずれ完全な者となりなさい」2017年10月)わたしたちは無意識のうちに,主の期待とは異なる期待を他人に,あるいは自分自身にさえ課すことがあり得ます。わたしたちは,それとなく,人の価値が特定の成果や受けている召しに基づいているというメッセージを送ってしまうことがあるかもしれません。しかし,わたしたちの立場は主の目から見てそのような尺度では測られません。「主は心を見〔られます〕。」サムエル上16:7主は,わたしたちの望みや切望,そしてわたしたちがどのような者になろうとしているかということを気にかけておられます。(ジェフリー・R・ホランド、歌われる歌と歌われない歌、2017年4月)

……

救い主は,状況がどうであれ,御自分のもとに来るようにとわたしたちを招いておられます。わたしたちが教会に来るのは,聖約を新たにし,信仰を深め,平安を見いだし,主が現世で完全に行われたように,自分の居場所がないと感じている人にミニスタリングを行うためです。」(ジョディー・キング「不妊というレンズを通して教会に自分の居場所を見いだす」、2020年3月)

パウロは,教会とその役員は,「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ,

わたしたちすべての者が,神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し,全き人となり,ついに,キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るため」エペソ4:12-13に神から与えられていると説明しました。

……

ラッセル・M・ネルソン大管長は最近このように記しています。

「皆さんやわたしが神と聖約を交わすと,わたしたちと神との関係は,聖約の前よりもはるかに近づきます。今やわたしたちはともに結ばれているのです。わたしたちが神と交わしている聖約のゆえに,神は決してうむことなくわたしたちを助けてくださり,わたしたちに対する神の憐れみ深い忍耐が尽きることは決してありません。わたしたちは一人一人が,神の心に特別な場所を得ています。……

イエス・キリストはそれらの聖約の保証人であられますヘブル7:228:6参照)。」(ラッセル・M・ネルソン「永遠の聖約」、2020年10月)

 

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント11:11
ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。


「人生で出会う女性たち」2004年10月、ゴードン・B・ヒンクレー、大管長
幼いイエスをエジプトに連れて行き,ヘロデの怒りから命を救ったのは女性でした。幼年期と青年期のイエスを育てたのは女性でした。カルバリの丘でイエスの苦痛に満ちた体が十字架にかけられたとき,マリヤはイエスの前に立っていました。苦しみながらもイエスはマリヤに言われました。「婦人よ,ごらんなさい。これはあなたの子です。」そして,母親を養うように頼んだ弟子に向かって言われました。「ごらんなさい。これはあなたの母です。」ヨハネ19:26-27

主の生涯を読むと,マリヤとマルタ,マグダラのマリヤが出てきます。最初の復活祭の朝,墓に行ったのは女性でした。そしてこの女性に,イエスは復活された主として最初に御姿をお見せになりました。イエスが女性を非常に重要な立場に置かれたとはいえ,主の御名を公言していた多くの男性がその祝福にあずかれなかったのはなぜでしょうか。

神はその偉大な計画の中で最初に人を創造されたとき,二つの対等な性をお造りになりました。その対等性を気高い形で表したのが結婚です。一方が他方を補っています。パウロは言いました。「主にあっては,男なしには女はないし,女なしには男はない。」1コリント11:11

全能者の神聖な目的を満たす制度はほかにありません。男性と女性は神が創造なさいました。そして対等に造られたのです。互いに補い合って機能する男女の関係は神の目的の基本となるものです。どちらか一方だけでは完全ではありません。

 

 


 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1コリント10:13
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。



「物心両面で賢い養い手となる」2009年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
わたしたちの直面する問題は,自身の決断によって引き起こすものを含めて,死すべき世における試しの一部です。はっきり言いますが,皆さんは,救い主が御手を差し伸べることがおできにならないような状況に置かれることは決してありません。あらゆる苦労は,主によってわたしたちの経験となり,益となります教義と聖約122:7参照)。誘惑は一つ一つ克服することでわたしたちを強めるのであって,滅ぼすのではありません。主は,わたしたちを耐えられないような苦しみに遭わせられることはありません1コリント10:13参照)

悪魔はわたしたちを非常によく知っているということを覚えておかなければなりません。いつ,どこで,どのように誘惑したらよいかを知っています。わたしたちは聖霊の導きに従っているなら,悪魔の策略を見抜くことができます。誘惑に負けないようにするには,断固たる決意をもって「サタンよ,引きさがれ」と言えるようにならなければなりませんマタイ16:23

どれほど強い誘惑を受けるかではなく,どれほど信仰深く抵抗するかによってわたしたちの成功が測られます。天の御父の助けを求め,御子イエス・キリストの贖罪による力を求めなければなりません。物質的,霊的な事柄について,神の助けを受けるならば,わたしたちは自分やほかの人々にとって賢い養い手となることができます。