1コリント12:12-13,25-26
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。…それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
「帰属の教義」2022年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
コリント人への第一の手紙の中で,パウロは,教会でバプテスマを受ける人は皆,キリストのからだにあって一つであると宣言しています。
「からだが一つであっても肢体は多くあり,また,からだのすべての肢体が多くあっても,からだは一つであるように,キリストの場合も同様である。
なぜなら,わたしたちは皆,ユダヤ人もギリシヤ人も,奴隷も自由人も,一つの御霊によって,一つのからだとなるようにバプテスマを受け,そして皆一つの御霊を飲んだからである。……
それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
もし一つの肢体が悩めば,ほかの肢体もみな共に悩み,一つの肢体が尊ばれると,ほかの肢体もみな共に喜ぶ。」 (1コリント12:12-13,25-26)
帰属意識は,わたしたちの肉体的,精神的,霊的な幸福にとって重要です。しかし,それでも時として,なじめないと感じることもあるかもしれません。落胆するとき,主の高い標準やほかの人々の期待に沿うことなど決してできないと感じるかもしれません。(ラッセル・M・ネルソン「完成への道」 『聖徒の道』1996年1月号,95-98;ジェフリー・R・ホランド「それだから,あなたがたもいずれ完全な者となりなさい」『リアホナ』2017年11月号,40-42参照、「それだから,あなたがたもいずれ完全な者となりなさい」2017年10月)わたしたちは無意識のうちに,主の期待とは異なる期待を他人に,あるいは自分自身にさえ課すことがあり得ます。わたしたちは,それとなく,人の価値が特定の成果や受けている召しに基づいているというメッセージを送ってしまうことがあるかもしれません。しかし,わたしたちの立場は主の目から見てそのような尺度では測られません。「主は心を見〔られます〕。」(サムエル上16:7)主は,わたしたちの望みや切望,そしてわたしたちがどのような者になろうとしているかということを気にかけておられます。(ジェフリー・R・ホランド、歌われる歌と歌われない歌、2017年4月)
……
救い主は,状況がどうであれ,御自分のもとに来るようにとわたしたちを招いておられます。わたしたちが教会に来るのは,聖約を新たにし,信仰を深め,平安を見いだし,主が現世で完全に行われたように,自分の居場所がないと感じている人にミニスタリングを行うためです。」(ジョディー・キング「不妊というレンズを通して教会に自分の居場所を見いだす」、2020年3月)
パウロは,教会とその役員は,「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ,
わたしたちすべての者が,神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し,全き人となり,ついに,キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るため」(エペソ4:12-13)に神から与えられていると説明しました。
……
ラッセル・M・ネルソン大管長は最近このように記しています。
「皆さんやわたしが神と聖約を交わすと,わたしたちと神との関係は,聖約の前よりもはるかに近づきます。今やわたしたちはともに結ばれているのです。わたしたちが神と交わしている聖約のゆえに,神は決してうむことなくわたしたちを助けてくださり,わたしたちに対する神の憐れみ深い忍耐が尽きることは決してありません。わたしたちは一人一人が,神の心に特別な場所を得ています。……
イエス・キリストはそれらの聖約の保証人であられます(ヘブル7:22;8:6参照)。」(ラッセル・M・ネルソン「永遠の聖約」、2020年10月)

