「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -323ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1テサロニケ5:8
しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。



「希望という無限の力」2008年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、大管長会
希望は三脚いすの脚の一つです。信仰と慈愛とともに,この3つはわたしたちの生活を安定させます。困難や試練に遭遇しても倒れることはありません。聖文には希望の大切さが明確に書かれています。使徒パウロは,聖文が書かれた目的はわたしたちに「望みをいだかせるため」ローマ15:4であると記しています。

希望は生活を幸福で満たす力を持っています。詩篇146:5しかし希望がないと,つまり望みをなかなか持てないでいると,「心を悩ます」箴言13:12ことがあります。

希望は御霊の賜物です。モロナイ8:26参照)それはキリストの贖いと復活の力を通して,また救い主を信じる信仰により,わたしたちが永遠の命へ引き上げられるという希望です。モロナイ7:41参照)このような希望は約束の原則であると同時に,戒めでもあります。コロサイ1:21-23参照)ほかのあらゆる戒めと同じように,責任が伴うのです。わたしたちは希望を生活の一部とし,希望を失わせようとする誘惑に打ち勝たなければなりません。天の御父の憐あわれみに満ちた幸福の計画に対する希望は,平安ローマ15:13参照),憐れみ詩篇33:22参照),喜びローマ12:12参照),幸福感箴言10:28参照)を生みます。救いへの希望はわたしたちの守りのかぶとであり1テサロニケ5:8参照),信仰の土台でありヘブル11:1モロナイ7:40参照),心の錨なのです。へブル6:19エテル12:4参照)

たった独りになったモロナイは,自分の民が完全に滅びるのを目の当たりにした後でさえも希望の大切さを信じていました。モロナイは,ニーファイの民が滅びる直前にも,希望がなければ神の王国で受け継ぎを得られないと記しています。エテル12:32参照;ローマ8:24も参照)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1テサロニケ4:16
すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 



「女よ,なぜ泣いているのか」(英文)1996年10月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会
救い主の復活と贖いは,わたしたちの人生において常に人を強める力を持っています。マーティン手車隊の一員であったエリザベス・ジャクソンの話には,それがよく表れています。彼女は,夫アロンが1856年にワイオミングの平原で亡くなったときのことを,次のような感動的な言葉で記しています。

「わたしは9時ごろ,床に就いた。寝具が乏しくなっていたので,服を脱がなかった。12時ごろまで眠ったかと思う。非常に寒かった。ひどい天候だった。夫が息をしているのか耳を澄ませてみた。夫は身じろぎひとつしなかった。息をする音も聞こえなかった。わたしははっとした。手を夫の体の上に置いてみた。恐ろしいことに,最も恐れていたことが現実になったことが分かった。夫は死んでいた。わたしは同じテントの中にいた人たちの助けを求めた。彼らにできることは何もなかった。朝になるまで,寂しく死体のそばにいるよりほかになすすべはなかった。時のたつのが何と遅く長く思われたことか。夜が明け,一行のうちの何人かの兄弟たちが,埋葬の準備をしてくれた。何とささやかな埋葬と葬儀であったことか。夫の衣服はそのままだった。夫が身に着けていたものはわずかだった。兄弟たちは夫の体を毛布にくるむと,ほかに亡くなった13人の遺体の山に夫の死体を重ね,雪をかぶせた。土は固く凍っていて,墓を掘れなかったのである。夫はそこに残された。神のラッパが鳴り響き,キリストにあって死んだ人々が起き上がり,第一の復活の朝に出て来るまで,そこで安らぎの眠りに就いたのだった。復活の時を迎えると,わたしたちの心は再び結ばれ,永遠の命がもたらされるのだ。」(リロイ・ R・ヘーフェン,アン・W・ヘーフェン, Handcart to Zion「シオンヘ向かう手車隊」p.111)

「女よ,なぜ泣いているのか」ヨハネ20:14-15という問いに対して, ヨハネは黙示録の中で,忠実な聖徒たちにあてて,次のような慰めの言葉を書いています。

「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって,その衣を小羊の血で洗い,それを白くしたのである。

それだから彼らは,神の御座の前におり,昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは,彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。

彼らは,もはや飢えることがなく,かわくこともない。太陽も炎暑も,彼らを侵すことはない。

御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって,いのちの水の泉に導いて下さるであろう。」黙示7:14-17

「女よ,なぜ泣いているのか」という問いに対して,主イエス・キリストにより偉大な贖いの犠牲がささげられ,死の縄目が解かれること,そしてそれは人の涙をぬぐってくれることを証します。わたしにはこのことについて証があります。それは,神の聖霊によってもたらされたのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1テサロニケ4:16
すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 



「御国が来ますように」2015年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
主の栄光に満ちた再臨の日を待ち望むとき,わたしたちの信仰は増します。主が来られることを思うとわたしの心は高鳴ります。きっと息をのむすばらしさでしょう!その規模の大きさと雄大さ,広大さ,壮麗さは,これまで誰も見たことも,経験したこともないほどでしょう。

その日,主は布に包まれて飼葉おけに寝かせられた状態ルカ2:12ではなく,「天の雲の中に,力と大いなる栄光とをまとって,すべての聖なる天使たちとともに」来られるのです。教義と聖約45:44「天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響く」1テサロニケ4:16のが聞こえ,太陽と月は光を与えず,「もろもろの星はその場所から投げ落とされる」教義と聖約133:49でしょう。皆さんやわたし,あるいはわたしたちの後に続く「聖徒たちは地の四方から出て来」教義と聖約45:46て,「身を変えられて,主に会うために引き上げられ〔ます〕。」教義と聖約88:96義のうちに亡くなった人々もまた,「天の……ただ中で主に会うために引き上げられる」教義と聖約88:97のです。

それから想像を絶するようなことを経験します。主は,「すべての肉なるものがともにわたしを見る」教義と聖約101:23と言われました。どのように起きるのでしょうか。わたしたちには分かりません。しかし,わたしは預言されたとおりに起きると証します。わたしたちは敬虔にひざまずくことでしょう。「また,主は声を発し,地の果てに至るすべての者がそれを聞く。」教義と聖約45:49「それは大水のとどろきのような,また激しい雷鳴のような声であ〔る〕。」教義と聖約133:22「〔それから〕,主すなわち救い主が,その民のただ中に立〔たれる〕」教義と聖約133:25のです。