1テサロニケ4:16
すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
「御国が来ますように」2015年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
主の栄光に満ちた再臨の日を待ち望むとき,わたしたちの信仰は増します。主が来られることを思うとわたしの心は高鳴ります。きっと息をのむすばらしさでしょう!その規模の大きさと雄大さ,広大さ,壮麗さは,これまで誰も見たことも,経験したこともないほどでしょう。
その日,主は布に包まれて飼葉おけに寝かせられた状態(ルカ2:12)ではなく,「天の雲の中に,力と大いなる栄光とをまとって,すべての聖なる天使たちとともに」来られるのです。(教義と聖約45:44)「天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響く」(1テサロニケ4:16)のが聞こえ,太陽と月は光を与えず,「もろもろの星はその場所から投げ落とされる」(教義と聖約133:49)でしょう。皆さんやわたし,あるいはわたしたちの後に続く「聖徒たちは地の四方から出て来」(教義と聖約45:46)て,「身を変えられて,主に会うために引き上げられ〔ます〕。」(教義と聖約88:96)義のうちに亡くなった人々もまた,「天の……ただ中で主に会うために引き上げられる」(教義と聖約88:97)のです。
それから想像を絶するようなことを経験します。主は,「すべての肉なるものがともにわたしを見る」(教義と聖約101:23)と言われました。どのように起きるのでしょうか。わたしたちには分かりません。しかし,わたしは預言されたとおりに起きると証します。わたしたちは敬虔にひざまずくことでしょう。「また,主は声を発し,地の果てに至るすべての者がそれを聞く。」(教義と聖約45:49)「それは大水のとどろきのような,また激しい雷鳴のような声であ〔る〕。」(教義と聖約133:22)「〔それから〕,主すなわち救い主が,その民のただ中に立〔たれる〕」(教義と聖約133:25)のです。
