1テサロニケ4:16
すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
「女よ,なぜ泣いているのか」(英文)1996年10月、ジェームズ・E・ファウスト、大管長会
救い主の復活と贖いは,わたしたちの人生において常に人を強める力を持っています。マーティン手車隊の一員であったエリザベス・ジャクソンの話には,それがよく表れています。彼女は,夫アロンが1856年にワイオミングの平原で亡くなったときのことを,次のような感動的な言葉で記しています。
「わたしは9時ごろ,床に就いた。寝具が乏しくなっていたので,服を脱がなかった。12時ごろまで眠ったかと思う。非常に寒かった。ひどい天候だった。夫が息をしているのか耳を澄ませてみた。夫は身じろぎひとつしなかった。息をする音も聞こえなかった。わたしははっとした。手を夫の体の上に置いてみた。恐ろしいことに,最も恐れていたことが現実になったことが分かった。夫は死んでいた。わたしは同じテントの中にいた人たちの助けを求めた。彼らにできることは何もなかった。朝になるまで,寂しく死体のそばにいるよりほかになすすべはなかった。時のたつのが何と遅く長く思われたことか。夜が明け,一行のうちの何人かの兄弟たちが,埋葬の準備をしてくれた。何とささやかな埋葬と葬儀であったことか。夫の衣服はそのままだった。夫が身に着けていたものはわずかだった。兄弟たちは夫の体を毛布にくるむと,ほかに亡くなった13人の遺体の山に夫の死体を重ね,雪をかぶせた。土は固く凍っていて,墓を掘れなかったのである。夫はそこに残された。神のラッパが鳴り響き,キリストにあって死んだ人々が起き上がり,第一の復活の朝に出て来るまで,そこで安らぎの眠りに就いたのだった。復活の時を迎えると,わたしたちの心は再び結ばれ,永遠の命がもたらされるのだ。」(リロイ・ R・ヘーフェン,アン・W・ヘーフェン, Handcart to Zion「シオンヘ向かう手車隊」p.111)
「女よ,なぜ泣いているのか」(ヨハネ20:14-15)という問いに対して, ヨハネは黙示録の中で,忠実な聖徒たちにあてて,次のような慰めの言葉を書いています。
「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって,その衣を小羊の血で洗い,それを白くしたのである。
それだから彼らは,神の御座の前におり,昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは,彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
彼らは,もはや飢えることがなく,かわくこともない。太陽も炎暑も,彼らを侵すことはない。
御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって,いのちの水の泉に導いて下さるであろう。」(黙示7:14-17)
「女よ,なぜ泣いているのか」という問いに対して,主イエス・キリストにより偉大な贖いの犠牲がささげられ,死の縄目が解かれること,そしてそれは人の涙をぬぐってくれることを証します。わたしにはこのことについて証があります。それは,神の聖霊によってもたらされたのです。
