「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -291ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録19:11
またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。


「まことの神でいますあなたを知ることであります(ヨハネ17:3)」2022年10月、ジョナサン・S・シュミット、七十人
最後に挙げるイエスの呼び名は,忠実で真実な者です。黙示19:11参照)イエスがまったく忠実で常に真実であったように,わたしたちもそれらの特質を生活の中で示すように,主は切に願っておられます。信仰が弱くなったとき,ペテロがガリラヤの荒れる湖面の上で沈みかけたときのように,わたしたちも「主よ,お助けください」とイエスに叫び求めることができます。マタイ14:30その日,主はおぼれる弟子に手を差し出されました。主は,わたしにも同じようにしてくださっており,皆さんにも同じようにしてくださいます。決してイエスを諦めないでください。主があなたを諦められることはないのです!

わたしたちが忠実で真実であれば,「わたしにつながっていなさい」というイエスの呼びかけに従うことになります。それは同時に「わたしのもとに留まっていなさい」という意味でもあります。ヨハネ15:4abide(留まる)を表すギリシャ語は μείνατε (メイナーテまたはメノー)で,「その場にいる」または「残る」という意味があります。)質問に対峙したとき,信仰をさげすまれたとき,この世の大きく広々とした建物にいる人々から指をさされあざけられたとき,わたしたちは忠実で真実でいることができます。そのようなときに,わたしたちはイエスの次の嘆願を思い出します。「あらゆる思いの中でわたしを仰ぎ見なさい。疑ってはならない。恐れてはならない。」教義と聖約6:36そのようにするとき,主は必要な信仰と希望,主のもとに永遠に留まる強さを与えてくださいます。(ジェフリー・R・ホランド、「わたしにつながっていなさい」2004年4月)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録19:10
そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。


「個人の証を得る」(英文)1994年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
私たちの証は、聖霊の賜と力を通してもたらされます。私たちが受けた証は、繁栄のときには道をそれずに歩むことを、逆境のときには疑いと恐れを克服することを可能にしてくれます。私たち一人一人は証とは何か、どのようにしてそれを得るか、そして証を受けた者にはどのような責任が伴うかを知らなければなりません。

証とは予言のみたまです。(黙示19:10参照) イエス・キリストの福音の真実性を明らかにする神からの個人的な啓示です。証は聖霊を通してもたらされ、私たちの魂に強烈で永続する印象を残します。

個人の証は教会の土台であり力です。証は人を導く光であり、私たちの行いや人生の進むべき道を左右する決意へと導いてくれます。証は霊の方位磁石の針となって正しい進路を示してくれるのです。それは、目に見えない、しかし確実に感じることのできる力です。また、心を内に燃やすことにより、何が正しいかを告げてくれます。「それは、頭ではわからないことを心が告げてくれる時である。」(ハロルド・B・リー『内にある気高い思いを大切にしなさい』「年度講話集」ブリガム・ヤング大学特別集会および10ステーキ部合同ファイヤサイドでの説教,1973年)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録19:10
そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。


「個人の証(あかし)が持つ力」2006年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
わたしたちは皆,証を得ることの方が述べるより難しいことを知っています。証を得るには,「人は自分のまいたものを,刈り取ることになる」ガラテヤ6:7という収穫の法則に従わなければなりません。努力と犠牲なしに良いものを手にすることはできません。証を得るために熱心に努力するならば,わたしたち自身と証を強めることができます。また,人々と分かち合うことで,証はさらに強まります。

証はこの上なく貴重な財産です。それは論理や理屈だけで得ることはできず,この世の富で買い取ることや,贈り物として受け取ること,先祖から受け継ぐこともできないのです。また人の証に依存することもできません。自分で知る必要があります。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう語りました。「すべての末日聖徒は,イエスが復活された,生ける神の生ける御子であられることを,はっきりと知る責任があります。」(「善を行うことをおそるるなかれ」『聖徒の道』1983年7月号,140)

この確かな知識と確信をもたらすのは,神から与えられる啓示です。「イエスのあかしは,すなわち預言の霊」だからです黙示19:10

聖なる御霊が内なる霊に語りかけてくださるときに,わたしたちはこの証を受けます。穏やかで揺るぎない確信は,文化や人種,言語,社会や経済的環境にかかわりなく,わたしたちに証と確信をもたらす源となります。人の論理だけでなく,御霊によるこれらの導きに頼ることが,証を築き上げる真の基盤となります。

この証の核となるのが,イエス・キリストとその神聖な使命に対する信仰と知識です。主は聖文の中で御自身のことを,「わたしは道であり,真理であり,命である」とおっしゃいましたヨハネ14:6)。