「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -292ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録17:14
彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る。


「ホサナ,ハレルヤ―生けるイエス・キリスト:回復と復活祭の中心」2020年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会
「しゅろの日」の1週間後が,復活祭の日曜日です。ラッセル・M・ネルソン大管長はこう教えています。イエス・キリストは「御自分のものではない負債を払うために来られました。それは,わたしたちが自分では支払うことのできない負債を負っていたからです。」(Russell M. Nelson, in Handel’s Messiah: Debtor’s Prison (video), ChurchofJesusChrist.org/media-library.)確かに,すべての神の子供は,キリストの贖罪を通して,「福音の律法と儀式に従うことよって救われ得る」のです。信仰箇条1:3復活祭にわたしたちは「ハレルヤ」と歌います。ハレルヤとは「主なるエホバをほめたたえよ」という意味です。Hallelujah (churchofjesuschrist.org)ヘンデルの『メサイア』の「ハレルヤ・コーラス」は,復活祭に当たりイエスが「王の王,主の主」であることを宣言する親しみ深い曲です。(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル,Messiah, T・タータス・ノーブル編(1912年)第8番。黙示17:14も参照)

しゅろの日と復活祭の日曜日の間に起きた神聖な出来事は,ホサナとハレルヤの物語です。ホサナは,お救いくださいという神への嘆願です。ハレルヤは,救いと昇栄の希望を与えてくださった主への賛美を表しています。ホサナやハレルヤと叫ぶとき,わたしたちは生けるイエス・キリストが復活祭と末日の回復の中心であられることを認めているのです。

末日の回復は,父なる神とその御子イエス・キリストが若き預言者ジョセフ・スミスに文字どおり現れられた,訪れに始まります。預言者ジョセフはこう述べています。「5分間じっと天を見詰めるなら,そのことについて書き記されたすべてを読むことによって得られるよりも,もっと多くのことが分かるでしょう。」『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』419)天が再び開かれたので,わたしたちは聖なる神会を成す「永遠の父なる神と,その御子イエス・キリストと,聖霊」を知っており,信じています。信仰箇条1:1

 

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録15:3
彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とを歌って言った、「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。


「良い羊飼い,神の小羊」2019年4月、ゲレット・W・ゴング、十二使徒定員会
兄弟姉妹の皆さん,良い羊飼いは,御自分の声とその御名によってわたしたちをお呼びになります。御自分の民を捜し出し,集められて,その民のもとに来られます。生ける預言者とわたしたち一人一人を通して,救い主は,回復された完全な福音と聖約の道の中に平安,目的,癒し,喜びを見いだすようにすべての人を招いておられます。救い主は愛をもってミニスタリングを行うよう,イスラエルの羊飼いたちに,模範によって教えておられます。

神の小羊としての,主の神聖な使命は予任され,使徒と預言者はそれを喜びました。救い主の贖罪は,無限にして永遠であり,幸福の計画と創造の目的の中心です。救い主は確かに,わたしたちを愛し,その懐に入れて携えてくださいます。

愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしたちが「神と小羊に謙遜に従う者」ヒラマン6:5 となって自分の名前がいつの日か小羊の命の書に記され黙示21:27参照),小羊の歌を歌い黙示15:3教義と聖約133:56参照),小羊の晩餐に招かれることを望めますように。黙示19:9教義と聖約58:11参照。黙示7:17黙示22:1も参照)

主は,羊飼いとして,小羊として,「〔あなたの〕贖い主,……〔あなたの〕大いなるまことの羊飼いを知る」「真実の知識」ヒラマン5:12のもとに再び来るように呼びかけておられます。「神​の​恵み​に​より,〔わたしたちは〕キリスト​に​よって​完全​に​なること​が​できる​」モロナイ10:32-33と約束しておられます。

この復活祭の季節に,わたしたちは救い主をほめたたえます。

「小羊こそは……ふさわしい」黙示5:12

「神と小羊にホサナ」教義と聖約109:79

わたしたちを名前で呼んでくださる,完全な良い羊飼い,完全な神の小羊について,その御名,すなわち,イエス・キリストの聖なる御名により証します,アーメン

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ2:11
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

 

 

「イエスを探し求める」1965年10月、トーマス・S・モンソン、十二使徒定員会

祈りの原則に助けられ、導かれながらイエスを個人的に探し求めるとき、私たちが求めるイエスについて明確な概念を持つことが必要です。昔の羊飼いたちは、子供であるイエスを探し求めました。しかし、私たちが求めるのは、兄であり、父との仲介者であり、贖い主であり、救いの神であるキリストです。この方こそ、私たちが求めるイエスなのです。

彼へのささげもの

イエスを見つけたとき、私たちは昔の賢者たちのように、多くの宝の中から贈り物を用意することができるでしょうか。マタイ2:11参照) 彼らは黄金、乳香、没薬を捧げました。しかし、これらはイエスが私たちに求めておられる贈り物ではありません。イエスは、私たちの心の宝から、私たち自身を捧げることを求めておられるのです。

「見よ、主は心と進んで行う精神とを求める」教義と聖約64:34

この驚くべき「時の満ちる時」において,わたしたちが自分自身をささげる機会は確かに無限にありますが,それはまた見失われやすいものでもあります。喜ばせることのできる心があります。語ることのできる優しい言葉があります。与えることのできる贈りものがあります。成し遂げられる行いがあります。救うことのできる魂があります。「行って、孤独な人、さびしい人を喜ばせなさい。行って、泣いている人、疲れた人を慰めなさい。行って、親切な行いをあなたの道に散りばめてください。(フランク・A・ブレック夫人、『デゼレット日曜学校の歌』197号)