「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -293ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

マタイ2:11
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

 

 

「イエスを探し求める」1965年10月、トーマス・S・モンソン、十二使徒定員会

祈りの原則に助けられ、導かれながらイエスを個人的に探し求めるとき、私たちが求めるイエスについて明確な概念を持つことが必要です。昔の羊飼いたちは、子供であるイエスを探し求めました。しかし、私たちが求めるのは、兄であり、父との仲介者であり、贖い主であり、救いの神であるキリストです。この方こそ、私たちが求めるイエスなのです。

彼へのささげもの

イエスを見つけたとき、私たちは昔の賢者たちのように、多くの宝の中から贈り物を用意することができるでしょうか。マタイ2:11参照) 彼らは黄金、乳香、没薬を捧げました。しかし、これらはイエスが私たちに求めておられる贈り物ではありません。イエスは、私たちの心の宝から、私たち自身を捧げることを求めておられるのです。

「見よ、主は心と進んで行う精神とを求める」教義と聖約64:34

この驚くべき「時の満ちる時」において,わたしたちが自分自身をささげる機会は確かに無限にありますが,それはまた見失われやすいものでもあります。喜ばせることのできる心があります。語ることのできる優しい言葉があります。与えることのできる贈りものがあります。成し遂げられる行いがあります。救うことのできる魂があります。「行って、孤独な人、さびしい人を喜ばせなさい。行って、泣いている人、疲れた人を慰めなさい。行って、親切な行いをあなたの道に散りばめてください。(フランク・A・ブレック夫人、『デゼレット日曜学校の歌』197号)

 

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 


箴言3:5-6
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。 すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。


「義人にとってクリスマスは,すべてが良くなることを意味します」2022年12月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
救い主が誕生される聖なる時について考えると,なぜ主は前日の夜まで待ってから,明日この世に来ると,ニーファイに告げられたのでしょうか。3ニーファイ1:12-13何週間や何か月も前に告げることもできたはずです。なぜ主は,エリサベツとザカリヤが子供のないまま年を取った後に,預言者ヨハネが誕生することを告げられたのでしょうか。ルカ1:13,17そしてなぜ,このよく知られた物語の中でマリヤがその後の展開に当惑し,ヨセフがこの重大な物語の中で自分の果たす役割について疑問を感じる必要があったのでしょうか。ルカ1:34マタイ1:20-21飼い葉おけや羊飼たち,天使たちの役割が,事前に知らされなかったのはなぜでしょうか。ルカ2:14

前世で,主はこう宣言しておられます。「そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」アブラハム3:25箴言にはこうあります。「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:5-6

不安な今のわたしたちの時代,問題と苦難に満ちた時代に悪戦苦闘するとき,主に忠実でありましょう。イエスは,あの聖なる夜に来られました。主は世の救い主,平和の君,王の王であられます。主は生きておられ,すべての年月の希望と畏れが主にあって満たされます。(「ああ,ベツレヘムよ『賛美歌』122番参照)わたしたちが義にかなう民であるとき,悲しみの涙と困難と不安はすべて,愛する神の御子により満たされ,主にあって正されると証します。「世界に喜びを,主は来ませり。」(「もろびと,こぞりて『賛美歌』〔英文〕201番から和訳)イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

イザヤ53:4-5
「まことに彼はわれわれの病を負い,われわれの悲しみをになった。… 彼はわれわれのとがのために傷つけられ,われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて,われわれに平安を与え,その打たれた傷によって,われわれはいやされたのだ」


「クリスマスのすばらしい,ほんとうの話」(英文)2000年12月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長
預言者イザヤは宣言しました。「まことに彼はわれわれの病を負い,われわれの悲しみをになった。… 彼はわれわれのとがのために傷つけられ,われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて,われわれに平安を与え,その打たれた傷によって,われわれはいやされたのだ。」イザヤ53:4-5)

クリスマスのすばらしい,ほんとうの話は次のとおりです。前書きはユダヤのベッレヘムでのイエスの降誕で,プロローグは主の3年間の教導の業です。そしてこの話の重要な本文は主の犠牲,すなわちわたしたち全員の罪を賄うためにカルバリの十字架上で苦しみを受けてまったく無私の気持ちで亡くなられた行為にあります。

結びは復活の奇跡です。それにより,「アダムにあってすべての人が夕じんでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである」という保証が与えられました(1コリント15:22)

復活祭がなければクリスマスもありません。ゲッセマネとカルバリで眼いの業を行われたキリストがおられず,勝利の復活の出来事がなければ.ベツレヘムのみどりごイエスはほかの赤ん坊と何も変わらなかったでしょう。

……

皆さん一人一人にとってこのクリスマスが楽しいクリスマスでありますように。しかしもっと大切なこととして,わたしは皆さん一人一人が,わずか1時間しか時間が取れないとしても,神の御子のこの奇跡と威厳について静かに瞑想し,静かに思い巡らす時を過ごしてくださればと思います。この御方が世に来てくださったので,このクリスマスの時期にわたしたちの喜びがあります。この御方から来る平安,わたしたち一人一人が感じるこの御方の無. 限の愛この御方が大きな代価を払ってわたしたちに無料で与えてくださったものに対する圧倒されるばかりの感謝の念,これらがクリスマスの真の本質なのです。