黙示録19:10
そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。
「個人の証(あかし)が持つ力」2006年10月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
わたしたちは皆,証を得ることの方が述べるより難しいことを知っています。証を得るには,「人は自分のまいたものを,刈り取ることになる」(ガラテヤ6:7)という収穫の法則に従わなければなりません。努力と犠牲なしに良いものを手にすることはできません。証を得るために熱心に努力するならば,わたしたち自身と証を強めることができます。また,人々と分かち合うことで,証はさらに強まります。
証はこの上なく貴重な財産です。それは論理や理屈だけで得ることはできず,この世の富で買い取ることや,贈り物として受け取ること,先祖から受け継ぐこともできないのです。また人の証に依存することもできません。自分で知る必要があります。ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう語りました。「すべての末日聖徒は,イエスが復活された,生ける神の生ける御子であられることを,はっきりと知る責任があります。」(「善を行うことをおそるるなかれ」『聖徒の道』1983年7月号,140)
この確かな知識と確信をもたらすのは,神から与えられる啓示です。「イエスのあかしは,すなわち預言の霊」だからです(黙示19:10)。
聖なる御霊が内なる霊に語りかけてくださるときに,わたしたちはこの証を受けます。穏やかで揺るぎない確信は,文化や人種,言語,社会や経済的環境にかかわりなく,わたしたちに証と確信をもたらす源となります。人の論理だけでなく,御霊によるこれらの導きに頼ることが,証を築き上げる真の基盤となります。
この証の核となるのが,イエス・キリストとその神聖な使命に対する信仰と知識です。主は聖文の中で御自身のことを,「わたしは道であり,真理であり,命である」とおっしゃいました(ヨハネ14:6)。