「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -279ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ11:21-23
すると天使がわたしに言った。「神の小羊、まことに永遠の父なる神の御子を見なさい。あなたは父が見た木の意味を知っているか。」 それでわたしは答えて言った。「はい、その木は人の子らの心にあまねく注がれる神の愛です。だから、どんなものよりも好ましいものです。」 すると天使はわたしに、「そのとおり。それは人にとって最も喜ばしいものである」と言った。


「預言者ジョセフの使命への不朽の証」2003年10月、ヘンリー・B・アイリング、十二使徒定員会
毎日聖文を読み,その意味を深く考え,しかも御霊から教えを受けるという信仰を持ちながら考えるように教えてください。今こそ,ジョセフ・スミスが翻訳した聖文の言葉に耳を傾けてください。なすべきことについて今教えが与えられると期待してください。そうすれば聖文を学ぶ方法や,愛する人たちに聖文の学習方法をどのように教えたらよいかについて,霊感を受けることでしょう。

「したがって,あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして,キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,御父は,「あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」2ニーファイ 31:20

預言者ジョセフは,聖文を味わうとはどういう意味か教えてくれました。モルモン書は「人〔が〕その教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる」(教会歴史4:461; 3ニーファイ 5:18教義と聖約 17:6教義と聖約 20:6–10も参照) 書物であると言いました。この書物を通して主に近づき,主をもっと愛するようになるのです。それこそモルモン書ヤコブ書第3章2節に記された約束なのです。

「おお,あなたがた,心の清いすべての人よ,頭を上げて,喜びをもたらす神の御言葉を受け入れ,神の愛をよく味わいなさい。あなたがたの思いが確固としていれば,とこしえにそうすることができるからである。」

皆さんも,皆さんの愛する人たちも神の御言葉に従うことによって神の御言葉を授かります。そうすることによって彼らは神の愛を感じることができます。これこそが聖霊の賜物のもたらす最も大きな祝福の一つです。この愛を感じるときに,自分が神の目にかなった道を歩んでいることが分かります。これがモルモン書に記されているおいしい実を味わうということなのです。( 1ニーファイ 11:21–231ニーファイ 15:36参照)

 

 

 

Tree of life, 2019 by Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ11:21-23
すると天使がわたしに言った。「神の小羊、まことに永遠の父なる神の御子を見なさい。あなたは父が見た木の意味を知っているか。」 それでわたしは答えて言った。「はい、その木は人の子らの心にあまねく注がれる神の愛です。だから、どんなものよりも好ましいものです。」 すると天使はわたしに、「そのとおり。それは人にとって最も喜ばしいものである」と言った。


「あなたが改心したときには」2004年4月、D・トッド・クリストファーソン、七十人会長会
聖文を学び理解するために祈りますが,ほかの目的でも祈る必要があります。モルモン書の中でアミュレクは,生活のあらゆることについて祈るよう勧めました。「自分の部屋でも,人目に触れない場所でも,荒れ野でも,あなたがたの心を〔神に〕注ぎ出さなければならない。」(アルマ 34:26) 天の御父は,望みや恐れ,友人や家族,学校や仕事,そして周りの人々の必要について祈るように望んでおられます。とりわけ,キリストの愛で満たされるように祈るべきです。この愛は,イエス・キリストに真に従い,熱意を込めて祈り求める人に授けられます。(モロナイ 7:47–48) この愛は命の木の実です。(1ニーファイ 11:21–23) 命の木の実を味わうことは改心の真髄です。たとえ少しでも自分に対する救い主の愛を知った人は,平安を得,心に主と御父への愛がはぐくまれるからです。御二方の御心を心から行いたいと思うようになります。自分の部屋,人目に触れない場所,荒れ野にしばしば行って祈ってください。祝福に感謝し,助けを求め,キリストの純粋な愛が注がれるよう祈ってください。時には断食が役立ちます。

 

 

 

The tree of life II, 2019 by Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

1ニーファイ11:17
それでわたしは、「わたしは、神がその子供たちを愛しておられることは知っていますが、すべてのことの意味を知っているわけではありません」と言った。


「望みをもって耕す」2001年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
しかし、わたしたちを取り巻く環境は一筋縄ではいきません。さじを投げてしまった親、ますます増える崩壊した夫婦関係、そして正常に機能しない家族が存在します。麻薬や暴力、ポルノグラフィーが、着実に壊滅的な結果を生んでいます。確かに、「絶望は罪悪のために生じ」ます(モロナイ10:22)。悪魔は「すべての人が自分のように惨めになることを求めて」いますから、悪魔の計画は惨めさの計画です(2ニーファイ2:2718節も参照)

それでもわたしたちの中の雄々しい人々は前進します。たとえ「すべてのことの意味を知っているわけでは」なくても、主が彼らを愛しておられることを知っているからです(1ニーファイ11:17)。雄々しい人々が厳しく容赦のない試練に見事に立ち向かうのを見るとき、わたしたちはその現れ出た強さと徳に拍手を送り、ほめたたえるのです。しかし残されたわたしたちは、自己を磨いてそのように秀でた人格を養うのに必要な授業料を支払うことに震えおののき、同じような状況に遭遇したときにつまずくことがないように願うだけなのです。

ある社会は改善が手遅れかもしれませんが、自らを進んで改善しようとする個人や家族を助けることはできます。家庭やそれぞれが置かれた場で開拓者らしい弟子になることや、平和の取り去られた世の中の身近なところで平和を作り出す人になることにも、遅すぎることはありません(教義と聖約1:35参照)。模範となる人が十分にいないのであれば、自らが模範となることができます。

ヨシュアは「ただし、わたしとわたしの家とは……」と言いましたが、それでも、今家族のきずなを失っている人は「ただし、わたしは……」と言うことができます。そして、主が用意してくださっているすべてのことにふさわしくなれるように生活するのです(ヨシュア24:15参照)。こうして、弟子たちは「しっかりと立ち」(教義と聖約9:14)、「最後まで患実であり続け」(教義と聖約6:13)、苦難に満ちた世の中でも「道に踏みとどまり」ます(教義と聖約122:9)

しかし、堪え忍ぶことや従順であることは、決して消極的な行動ではありません。かえって、過去の戦いで受けた傷を謙虚にしかも誇り高く背負いながら、さらに困難な任務に向けて十分に準備を整えているようなものなのです。

 

 

 

1847年7月,ウィリアム・カーター長老がソルトレーク・バレーで最初の半エーカーの土地を耕すのに使用した鋤

(教会歴史博物館にて)