「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -251ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

ルカ24:5-6

女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。

 

 

「主は生けりと知る」2007年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会

週の初めの日の明け方に,マグダラのマリヤとヤコブの母マリアがその他の人々とともに墓を訪れました。驚いたことに,主の体はそこにありませんでした。ルカは,輝く衣を着た二人の人が女たちのそばに立ち,こう語ったと記しています。「あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。」ルカ24:5-6

 

来週,キリスト教徒は歴史上最も重要な出来事を祝います。「そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ」という簡潔な言葉は,主なる救い主イエス・キリストの文字どおりの復活を最初に証した言葉でした。最初のイースターの朝,空からになった墓は,慰めと確信を与え,「人がもし死ねば,また生きるでしょうか」ヨブ14:14というヨブの問いかけに,はっきりとした肯定的な答えを与えました。

 

愛する人を失ったすべての人に向けて,ヨブの問いかけを答えにしてお伝えしましょう。もし人が死ねば,また生きるのです。わたしたちはそれを知っています。なぜなら,明らかにされた真理の光があるからです。「わたしはよみがえりであり,命である」と主は言われました。「わたしを信じる者は,たとい死んでも生きる。また,生きていて,わたしを信じる者は,いつまでも死なない。」ヨハネ11:25-26

 

涙や試練,恐れや悲しみ,愛する人を失った心痛や孤独の中にあっても,命は永遠であるという確信があります。主なる救い主はその生ける証人です。

 

わたしは特別な証人として,心を込め,熱い思いを尽くして,神が生きておられることを高らかに証し,宣言します。イエスは神の御子,肉における御父の独り子です。わたしたちの贖い主であり,御父と人との間の仲保者です。わたしたちの罪を贖うために,十字架上で亡くなり,復活の初穂となられました。主が命を捨てられたので,すべての人は再び生きることができます。「主は生けりと知る」(「主は生けりと知る」『賛美歌』75番。ヨブ19:25も参照)という歌詞の何と麗しいことでしょう。世のすべての人がこのことを知り,その知識に従って生きることができますように,主なる救い主,イエス・キリストの御み名なによってへりくだり祈ります,アーメン

 

 

 

 

 

 

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

2ニーファイ9:15

そしてすべての人は、この第一の死から命に移行すると、すでに不死となっているので、イスラエルの聖者の裁きの座の前に出なければならない。それから裁きがあって、すべての人は神の聖なる裁きによって裁かれなければならない。

 

 

「イエス・キリストの復活」2014年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

ナザレのイエスの真の姿および人生についての哲学的な論駁や疑問を決定的に解明するうえで,復活の持つ意義について,少しの間考えてみてください。もしイエスが本当に文字どおりに復活されたのなら,疑いもなく,主は神なる御方であるということになります。普通の人間が死んだ後に自分の中に再び生きる力を持つことはありません。イエスは復活されたので,単なる大工,教師,律法学者,もしくは預言者であったということはあり得ません。イエスは復活されたので,神,まさに御父の独り子でなければならなかったのです。

 

それゆえ,主が教えられたことは真実です。神はうそをつくことがおできになりません。エノス1:6参照)

 

それゆえ,主が言われたように,主は地球の創造主なのです。3ニーファイ9:15参照)

 

それゆえ,主が教えられたように,天と地獄は実在するのです。教義と聖約76章参照)

 

それゆえ,主が亡くなられた後に訪れた霊界があるのです。教義と聖約138章参照)

 

それゆえ,天使が告げたように,29主は再び来られて,自ら地上を統治されるでしょう。信仰箇条1:10;Topical Guide, “Jesus Christ, Millennial Reign”も参照。)

 

それゆえ,全ての人に復活と最後の裁きとがあるのです。2ニーファイ9:15参照)

 

キリストの復活が現実のものとなったことによって,世を贖うためにその独り子を犠牲にした父なる神の全知全能と慈愛に対する疑いの根拠がなくなります。人生の意味と目的に関する疑いは事実無根なのです。イエス・キリストは事実,人類に救いをもたらすことのできる唯一の名であり道なのです。キリストの恵みは実在し,悔い改めた罪人に対して赦しと清めの両方をもたらします。信仰は本当に想像や人が心の中で創り上げたものを超えるものです。絶対的で普遍的な真理があり,主によって教えられたとおりの普遍的で変わることのない道徳的な標準があります。

 

キリストの復活は本当のことですので,主の律法と戒めへの違背に対する悔い改めは,可能なものであるとともに,速やかに行うべきことです。救い主の行われた奇跡も,主が弟子たちに彼らは同様の奇跡やさらに大きな奇跡を行うであろうと約束されたことも,本当のことです。ヨハネ14:12主の神権は必然的に,「福音をつかさどり,王国の奥義の鍵,すなわち神の知識の鍵を持つ。それゆえ,この神権の儀式によって神性の力が現れる実在の力です。」教義と聖約84:19‐20キリストの復活は実際に起こったことなので,死がわたしたちの終わりではありません。肉体は一度滅ぼされるものの,わたしたちは再び肉体にあって神にまみえるのです。ヨブ19:26

 

 

 

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

2ニーファイ9:13

おお、わたしたちの神の計画の何と偉大なことよ。今語ったことのほかに、神のパラダイスは義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来のものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであって、わたしたちのように肉にあって完全な知識を持つ。わたしたちが持っている知識は、そのときに完全になるのである。

 

 

「水を動かす」(英文)1991年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

「おお、わたしたちの神の計画の何と偉大なことよ。今語ったことのほかに、神のパラダイスは義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来のものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであって、わたしたちのように肉にあって完全な知識を持つ。わたしたちが持っている知識は、そのときに完全になるのである。」(2ニーファイ9:13)

 

使徒パウロは「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」と言いました。(1コリント15:19)

 

人生をこの世限りのものとしか見ることができないと、とても悲しいことがいくつかあります。それらがあまりに不公平で、どうしようもないものと感じられるからです。ここでいくつか教義に触れてみます。ひとたびそれらを理解すれば、ほかの方法では納得のいく説明が得られない問題を、まったく異なる観点からとらえ、ありのままに受け入れることができるようになります。

 

そのひとつは、私たちは父なる神の霊の子供であるという真理です。私たちは前世において神と共に住んでいました。前世に始まりはありません。あり得ないのです。啓示の中には、「創世の前から」の事柄について書かれています。(教義と聖約124:33-41参照)

 

次は、現世は一時的なものであり、永遠と比較すれば取るに足らない短い時期であるという真理です。現世の長さを、目では見えない小さな水滴にたとえるとします。では、地球の海のすべての水をもって、永遠という時を表現できるかというと、それでもまったく足りないのです。

 

最後は、人は死んでもやがて復活し、終わりのない次の世へ行くという真理です。啓示の中に出てくる「永遠」、「いつまでも尽きない」などという言葉は、福音と生命の両方を説明しているものです。