イースターを祝う ルカ24:5-6 主は生けりと知る | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

ルカ24:5-6

女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。

 

 

「主は生けりと知る」2007年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会

週の初めの日の明け方に,マグダラのマリヤとヤコブの母マリアがその他の人々とともに墓を訪れました。驚いたことに,主の体はそこにありませんでした。ルカは,輝く衣を着た二人の人が女たちのそばに立ち,こう語ったと記しています。「あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。」ルカ24:5-6

 

来週,キリスト教徒は歴史上最も重要な出来事を祝います。「そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ」という簡潔な言葉は,主なる救い主イエス・キリストの文字どおりの復活を最初に証した言葉でした。最初のイースターの朝,空からになった墓は,慰めと確信を与え,「人がもし死ねば,また生きるでしょうか」ヨブ14:14というヨブの問いかけに,はっきりとした肯定的な答えを与えました。

 

愛する人を失ったすべての人に向けて,ヨブの問いかけを答えにしてお伝えしましょう。もし人が死ねば,また生きるのです。わたしたちはそれを知っています。なぜなら,明らかにされた真理の光があるからです。「わたしはよみがえりであり,命である」と主は言われました。「わたしを信じる者は,たとい死んでも生きる。また,生きていて,わたしを信じる者は,いつまでも死なない。」ヨハネ11:25-26

 

涙や試練,恐れや悲しみ,愛する人を失った心痛や孤独の中にあっても,命は永遠であるという確信があります。主なる救い主はその生ける証人です。

 

わたしは特別な証人として,心を込め,熱い思いを尽くして,神が生きておられることを高らかに証し,宣言します。イエスは神の御子,肉における御父の独り子です。わたしたちの贖い主であり,御父と人との間の仲保者です。わたしたちの罪を贖うために,十字架上で亡くなり,復活の初穂となられました。主が命を捨てられたので,すべての人は再び生きることができます。「主は生けりと知る」(「主は生けりと知る」『賛美歌』75番。ヨブ19:25も参照)という歌詞の何と麗しいことでしょう。世のすべての人がこのことを知り,その知識に従って生きることができますように,主なる救い主,イエス・キリストの御み名なによってへりくだり祈ります,アーメン