おお、わたしたちの神の計画の何と偉大なことよ。今語ったことのほかに、神のパラダイスは義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来のものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであって、わたしたちのように肉にあって完全な知識を持つ。わたしたちが持っている知識は、そのときに完全になるのである。
「水を動かす」(英文)1991年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会
「おお、わたしたちの神の計画の何と偉大なことよ。今語ったことのほかに、神のパラダイスは義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来のものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであって、わたしたちのように肉にあって完全な知識を持つ。わたしたちが持っている知識は、そのときに完全になるのである。」(2ニーファイ9:13)
使徒パウロは「もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる」と言いました。(1コリント15:19)
人生をこの世限りのものとしか見ることができないと、とても悲しいことがいくつかあります。それらがあまりに不公平で、どうしようもないものと感じられるからです。ここでいくつか教義に触れてみます。ひとたびそれらを理解すれば、ほかの方法では納得のいく説明が得られない問題を、まったく異なる観点からとらえ、ありのままに受け入れることができるようになります。
そのひとつは、私たちは父なる神の霊の子供であるという真理です。私たちは前世において神と共に住んでいました。前世に始まりはありません。あり得ないのです。啓示の中には、「創世の前から」の事柄について書かれています。(教義と聖約124:33-41参照)
次は、現世は一時的なものであり、永遠と比較すれば取るに足らない短い時期であるという真理です。現世の長さを、目では見えない小さな水滴にたとえるとします。では、地球の海のすべての水をもって、永遠という時を表現できるかというと、それでもまったく足りないのです。
最後は、人は死んでもやがて復活し、終わりのない次の世へ行くという真理です。啓示の中に出てくる「永遠」、「いつまでも尽きない」などという言葉は、福音と生命の両方を説明しているものです。
