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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

2ニーファイ9:13

おお、わたしたちの神の計画の何と偉大なことよ。今語ったことのほかに、神のパラダイスは義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来のものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであって、わたしたちのように肉にあって完全な知識を持つ。わたしたちが持っている知識は、そのときに完全になるのである。

 

 

「死の扉」(英文)1992年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

ある人々は、面白半分に「死後は何もないさ」と言いますが、それは真実ではありません。肉体の死は一時的に人を捕らえるだけです。それはアダムの堕落により始まり、イエス・キリストの贖罪により終わりました。パラダイスで待つ期間もまた一時的なものです。復活により終わりを告げるからです。モルモン書から次のことがわかります。「神のパラダイスは義人の霊を解き放し、墓は義人の体を解き放さなければならない。そして、その霊と体は再び本来のものに回復され、すべての人は不朽となり、不死となる。彼らは生けるものであ(る)。」(2ニーファイ9:13)

 

数年前、私たちのステーキ部のステーキ部長夫妻は、青春のさなかにあった息子を、交通事故で亡くしました。傷ついた彼の肉体は法則に従って死を被りましたが、復活の時には主がまさにその同じ永遠の法則を行使されて、彼の肉体は「元の自然の完全な身体のものにかえる」(アルマ40:2311:42-45参照)のです。私たちはこの知識により、慰めを受けています。

 

最初に主が私たちを創造されました。当然、再生させる力もお持ちです。主の命令の下に、私たちの体に必要な諸要素が、現在と同じような状態で再び組織されるのです。細胞の一つ一つにある独自の遺伝子が、現在と同じ配列で絡み合い、新しい体を形成するのです。復活の奇跡は、初めに起こった創造の奇跡にまさるとも劣らない、偉大な奇跡なのです。

 

 

 

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

2ニーファイ9:8

おお、神の知恵、神の憐れみと恵みよ。見よ、もしも肉体がもう二度と起き上がることがないとすれば、わたしたちの霊は、永遠の神の御前から落ちて悪魔となったあの天使に従うようになり、もはや起き上がることはない。

 

 

「主はよみがえられた」(英文)1988年4月、ハンター長老

私たちの教えでは復活に大きな重点が置かれていますが、その霊的な意義や永遠の偉大さを完全に把握している人は少ないようです。もしも把握しているのであれば、ニーファイ第二書の弟ヤコブのように、そのすばらしさに感銘を受けていることでしょうし、また、この神聖な賜物を受けていなければ直面したであろうまったく別の人生航路のことを思い、身震いしていたことでしょう。

 

「おお大いなる神の智恵よ。その深いあわれみと御恵みよ。ごらん、もし肉体がもうよみがえらないならば、私たちの霊は必ずあの天使、すなわち永遠の神の御前から堕ちて悪魔となった天使に服従してもうよみがえることは決してない。」(2ニーファイ9:8)

 

確かに、復活はあらゆるクリスチャンの信仰の中心をなすものです。復活はこの世の救い主によって行なわれた奇跡の中でも最も偉大なものです。復活がなかったならば、私たちは本当に絶望的な存在となっていたことでしょう。パウロの言葉を借りてみましょう。

 

「もし死人の復活がないならば、わたしたちの宣教はむなしく、すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは・キリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとな(るであろうの」(1コリント15:13-17)

 

 

 

イエスはよみがえられた—イースターを祝う

 

 

2ニーファイ9:6

死がすべての人に及ぶようになったので、大いなる創造主の憐れみに満ちた計画を成就するためには、復活の力が必ずなければならない。その復活は、堕落のゆえに必ず人に及ばなければならない。堕落は背きのゆえに生じたのである。そして、人は堕落したために主の御前から絶たれてしまった。

 

 

「復活」2000年4月、オークス長老

永遠の旅路にあって、復活は死すべき状態の終わりと不死不滅の始まりを示す確固とした道標です。主はこの重要な移行についてこう宣言されました。「このようにして、主なる神であるわたしは、人に試しの生涯を定めた。人が、すなわち信じるすべての者が、肉体の死によって不死不滅によみがえり、永遠の命を受けられるようにするためである。」(教義と聖約 29:43)同様に、モルモン書はこう教えています。「死がすべての人に及ぶようになったので、大いなる創造主の憐あわれみに満ちた計画を成就するためには、復活の力が必ずなければならない。」(2ニーファイ9:6)また近代の聖文から、人は霊と肉体の再結合、すなわち復活なしには「満ちみちる喜び」は得られないことが分かります(教義と聖約93:33-34)。