「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -240ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

オムナイ1:15、17

さて見よ、モーサヤが知ったところによれば、ゼラヘムラの民は、ユダの王ゼデキヤがバビロンへ囚われの身となって連れ去られたときに、エルサレムから出て来た民であった。

そして、モーサヤが発見したときには、彼らは非常に大きな数になっていた。しかし、その前に多くの戦争と激しい争いがあって、民が剣によって倒れたことも度々あった。また、彼らの言葉はなまっており、そのうえ、彼らは何一つ記録を持って来ておらず、しかも、自分たちの創造主の存在を否定していた。それでモーサヤも、モーサヤの民も、彼らのことを理解できなかった。

 

 

「聖文の祝福」(英文)2010年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

また、聖文が多くのことを思い出させてくれるおかげで、わたしたちは、自分や昔の世代の人々が学んだことを忘れずにいられます。記録された神の言葉を持っていない人、あるいは無視する人は、最終的に神を信じなくなり、自分が存在する目的を忘れてしまいます。皆さんは、エルサレムを去るときに真鍮の版を携えて行くことがリーハイの民にとってどれほど大切だったかを覚えているでしょう。それは聖文であり、神と、来るべきキリストの贖いについて知るうえで欠かせないものでした。リーハイのすぐ後に「エルサレムから出て来た」別の民は、聖文を持っていませんでした。そのおよそ300年から400年後、リーハイの子孫が彼らに会ったときの状況について、記録には次のようにあります。「彼らの言葉はなまっており、……しかも、自分たちの創造主の存在を否定していた。」オムナイ1:15、17

 

ティンダルの時代、聖文に無知な人が多かったのは、聖書、とりわけ自分たちの言語で理解できる聖書がなかったためでした。今日、聖書などの聖典はすぐ手に入りますが、それを読もうとしないために聖文に無知な人の数が増えています。そうした人々は、結果として彼らの祖父母が知っていたことを忘れてしまっているのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エノス1:27

わたしは間もなく安息の場所へ行く。それは、贖い主のもとでの安息である。わたしは、贖い主によって安息を得ることを知っているからである。わたしは自分の死すべき体が不死のものを着て、贖い主の前に立つ日のあることに喜びを感じる。そのとき、わたしは喜んで贖い主の顔を拝するであろう。そして、贖い主はわたしに、「祝福された者よ、わたしのもとに来なさい。わたしの父の住まいには、あなたのために用意された場所がある」と言われるであろう。アーメン。

 

 

「世に打ち勝つ」2017年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

世に打ち勝つとは,たとえ落胆しているときでも,救い主の愛と光を感じたときのことを思い出すことです。ニール・A・マックスウェル長老はそのような経験の一つについて,こう説明してくれました。「わたしはこれまで,ずっと祝福されてきましたし,神が,わたしがそれを知っていることを御存じであることも知っていました。」「主が・・・どれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし」なさい 2004年4月)わたしたちは一時的に神から忘れられたと感じることがあったとしても,神を忘れてはなりません。

 

世に打ち勝つとは,この世の不公正や困難から守られるために世間との交わりを断絶した生活を送ることではありません。むしろ,信仰をより広い視点で捉えることで,わたしたちを救い主と主の約束に近づけてくれるものです。

 

現世で完全にはなれないものの,世に打ち勝つことで,いつか「贖い主の前に立〔ち〕,……喜んで贖い主の顔を拝〔し〕」エノス1:27,「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,……あなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」マタイ25:34と言う主の声を聞く日が来る,と希望の火をともし続けることができるのです。

 

……

 

わたしたちも,世に打ち勝つよう,もう少し努力をしましょう。深刻な過ちを見過ごしにすることなく,それでいて小さなつまずきや失敗には忍耐強くあり,熱心に歩みを速め,喜んで人を助けましょう。救い主への信頼を深めるとき,祝福され,現世において大きな平安と,自らの永遠の行く末についての確信を深めることができると約束します。イエス・キリストの御名により,アーメン

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エノス1:16

わたしは信仰を持っていたので、わたしたちの記録を残すように神に叫び求めた。すると神は、御自身がふさわしいと思うときにそれらの記録をレーマン人に伝えると聖約された。

 

 

「つぶやくことなかれ」(英文)1989年10月、ニール・ A・マックスウェル、十二使徒定員会

主は、「わたしにはわたし自身の業を行う能力がある」2ニーファイ27:20-21と言われたにもかかわらず、実際に神の力に疑問を抱く人がいます。こうなると、その疑問は神の救いの計画への侮辱になります。3ニーファイ29:6参照)そのような人は、神は全体的な計画を定めてくださるのはいいが、その計画を具体的にいつ実行するかということまでは決めてほしくないと言います。しかし、聖典ではこのように具体的に勧告されています。2ニーファイ27:21エノス1:16エテル3:24 , 27参照)「すべてのことは時節にかなって起こる。」教義と聖約64:3224:16参照)