「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -239ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモンの言葉1:7

わたしは、ある賢明な目的のためにこのようにする。わたしの内にある主の御霊の働きによって、わたしにそのようなささやきがあるからである。わたしはすべてのことを知っているわけではないが、主は将来起こることをすべて御存じである。したがって主は、御自分の御心どおりに行うように、わたしに働きかけられるのである。

 

 

「聖文―救いを得させる神の力」2006年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

兄弟姉妹の皆さん,聖文は「ある賢明な目的のために」「主の御手みてによって〔わたしたちのために〕保存され,残され」アルマ37:4, 14; 1ニーファイ9:5; モルモンの言葉1:7参照)てきたことを証します。リーハイはこう預言しました。「この真鍮の版は決して朽ちることなく,またこれから先どれだけ歳月を経ても,さびて読めなくなることはまったくない……。」1ニーファイ5:19主は聖文を保存し,「御自身がふさわしいと思うときに」エノス1:16聖文を世に出すとエノスに約束されました。モルモン書について,預言者モロナイは「書き記され……,封じられ,主に託し隠され,損なわれることのないようにされたもの」モルモン書タイトルページであると記しています。わたしたちが持っている聖文には預言と約束が載せられていて,それらは今日成就しているのです。

 

何とすばらしい祝福でしょう。神に話しかけたいときには,祈り,神から話しかけてもらいたいときには,聖文を読むことができます。なぜなら神の御言葉は神の預言者を通して語られるからです。そして,聖霊の促しに耳を傾けるとき,教えを授けていただけるのです。

 

最近,神の声を聞いていない人は,聖文を新鮮な気持ちで読み,その言葉に耳を傾けてください。聖文はわたしたちの霊的な命綱です。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

オムナイ1:26

ところで、わたしの愛する同胞よ、わたしはあなたがたがイスラエルの聖者であるキリストのもとに来て、キリストの救いと、キリストの贖いの力にあずかるように望んでいる。まことに、キリストのもとに来て、自分自身をキリストへのささげ物としてささげ、断食と祈りを続け、最後まで堪え忍びなさい。そうすれば、主が生きておられるように確かに、あなたがたは救われるであろう。

 

 

「進み続ける」2004年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

モルモン書の預言者ニーファイはこう教えています。「したがって,あなたがたはこれからもキリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。そして,キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,見よ,御父は,『あなたがたは永遠の命を受ける』と言われる。」2ニーファイ31:20

 

最後まで堪え忍ぶとは,信仰,悔い改め,バプテスマ,および聖霊を受けることによって永遠の命に至る道に入った人が,その道を歩み続けるという教義です。最後まで堪え忍ぶには心を尽くすことが求められます。あるいはモルモン書の預言者アマレカイが教えているように,「キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ,断食と祈りを続け,最後まで堪え忍」ばなければなりません。「そうすれば,主が生きておられるように確かに,〔わたしたち〕は救われる」でしょう。オムナイ1:26

 

最後まで堪え忍ぶとは,人生を福音の土壌にしっかりと植え付け,承認された教会の教義を守り,謙遜に同胞に仕え,キリストのような生活を送り,聖約を守ることを意味します。堪え忍ぶ人はバランスが取れていて,堅実で,謙遜であり,絶えず改善していて,偽りがありません。彼らの証はこの世的な根拠に基づくものではなく,真理,知識,経験,御霊に基づいています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

オムナイ1:26

ところで、わたしの愛する同胞よ、わたしはあなたがたがイスラエルの聖者であるキリストのもとに来て、キリストの救いと、キリストの贖いの力にあずかるように望んでいる。まことに、キリストのもとに来て、自分自身をキリストへのささげ物としてささげ、断食と祈りを続け、最後まで堪え忍びなさい。そうすれば、主が生きておられるように確かに、あなたがたは救われるであろう。

 

 

「心からのすべて」2022年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会

救い主はこの忠実なやもめをほめたたえ,その言葉のすべてにおいて,弟子として評価される基準を示されました。マルコ12:41-44イエスは,ささげ物の大小にかかわらず,心からのすべてをささげる必要があると教えられました。

 

この原則は,モルモン書の預言者アマレカイの嘆願の中で繰り返されています。「イスラエルの聖者であるキリストのもとに来て,キリストの救いと,贖いの力にあずか〔りなさい〕。まことに,キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ……なさい。」オムナイ1:26

 

しかし,どうすればできるでしょうか。多くの人は,心のすべてをささげるという基準には手が届かないと思っています。すでに限界まで手を伸ばしているからです。実生活の多くの要求と,自分自身を主にささげたいという望みとのバランスを取るには,どうすればよいでしょうか。

 

恐らく問題は,バランスとは競合する関心事に,時間を均等に分配することだという考えにあるようです。そのように考えると,イエス・キリストへの献身は,忙しいスケジュールに組み込まなければならない,なすべき事柄の一つになってしまいます。しかし,別の見方もあるかもしれません。

 

……

 

何より,自転車のバランスを取れるようになった人は,これらの大切なポイントを学びます:

 

足もとを見ない。

 

前を見る。

 

目の前の道から目をそらさない。目的地に集中する。そして,ペダルをこぐ。バランスを維持するとは,要は前に進むということなのです。

 

イエス・キリストの弟子として生活のバランスを取るときも,同じ原則が当てはまります。多くの大切な事柄に時間とエネルギーを分配する方法は,人によって,また人生の時期によって,異なることでしょう。しかし,全員に共通する全般的な目標は,主イエス・キリストの道に従って進み,愛する天の御父のみもとに戻ることです。この目標は,だれであろうと,人生で何が起ころうと,一貫して変わりません。ルカ2:52