ところで、わたしの愛する同胞よ、わたしはあなたがたがイスラエルの聖者であるキリストのもとに来て、キリストの救いと、キリストの贖いの力にあずかるように望んでいる。まことに、キリストのもとに来て、自分自身をキリストへのささげ物としてささげ、断食と祈りを続け、最後まで堪え忍びなさい。そうすれば、主が生きておられるように確かに、あなたがたは救われるであろう。
「心からのすべて」2022年4月、ディーター・F・ウークトドルフ、十二使徒定員会
救い主はこの忠実なやもめをほめたたえ,その言葉のすべてにおいて,弟子として評価される基準を示されました。(マルコ12:41-44)イエスは,ささげ物の大小にかかわらず,心からのすべてをささげる必要があると教えられました。
この原則は,モルモン書の預言者アマレカイの嘆願の中で繰り返されています。「イスラエルの聖者であるキリストのもとに来て,キリストの救いと,贖いの力にあずか〔りなさい〕。まことに,キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ……なさい。」(オムナイ1:26)
しかし,どうすればできるでしょうか。多くの人は,心のすべてをささげるという基準には手が届かないと思っています。すでに限界まで手を伸ばしているからです。実生活の多くの要求と,自分自身を主にささげたいという望みとのバランスを取るには,どうすればよいでしょうか。
恐らく問題は,バランスとは競合する関心事に,時間を均等に分配することだという考えにあるようです。そのように考えると,イエス・キリストへの献身は,忙しいスケジュールに組み込まなければならない,なすべき事柄の一つになってしまいます。しかし,別の見方もあるかもしれません。
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何より,自転車のバランスを取れるようになった人は,これらの大切なポイントを学びます:
足もとを見ない。
前を見る。
目の前の道から目をそらさない。目的地に集中する。そして,ペダルをこぐ。バランスを維持するとは,要は前に進むということなのです。
イエス・キリストの弟子として生活のバランスを取るときも,同じ原則が当てはまります。多くの大切な事柄に時間とエネルギーを分配する方法は,人によって,また人生の時期によって,異なることでしょう。しかし,全員に共通する全般的な目標は,主イエス・キリストの道に従って進み,愛する天の御父のみもとに戻ることです。この目標は,だれであろうと,人生で何が起ころうと,一貫して変わりません。(ルカ2:52)
