「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -238ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ2:5-6

さて、彼らは神殿に来ると、その周りに天幕を張った。男たちは皆、自分の妻と息子、娘、孫から成る各々の家族に応じて、最年長の者から最年少の者まで、すべての家族が互いに離れて場所を取った。

彼らは神殿の周りに天幕を張ったが、天幕の中にいながらベニヤミン王の語る言葉を聞けるように、すべての者がその天幕の入り口を神殿の方へ向けていた。

 

 

「教会の若者たち」(英文)2006年4月、ロナルド・A・ラズバンド、七十人会長会

モルモン書の初期の時代の教会員も、預言者であり指導者である人から指示を受けるために神殿の近くに集まりました。ベニヤミン王は晩年、勧告と訓戒を与えるため、父親たちに家族とともに集まるよう命じたのです。モーサヤ書第2章から読んでみましょう。

 

「さて、彼らは神殿に来ると、その周りに天幕を張った。男たちは皆、……各々の家族に応じて……場所を取った。彼らは……天幕の中にいながらベニヤミン王の語る言葉を聞けるように、すべての者がその天幕の入り口を神殿の方へ向けていた。」モーサヤ2:5-6

 

わたしはこの光景を想像するのが好きです。比喩的な言い方ですが、兄弟の皆さん、わたしたちの家庭の扉は、こよなく愛する神殿に向いているでしょうか。これらの神聖で特別な場所の大切さを模範によって子供に教え、できるだけ頻繁に参入しているでしょうか。

 

モーサヤ書によれば、そこに集った家族は主の御言葉を預言者から熱心に注意深く学びました。民はベニヤミン王の教えに深く感銘し、主イエス・キリストの教えに従うという新しい聖約を受け入れました。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モーサヤ1:6

おお、息子たちよ、わたしが望むのは、これらの言葉が真実であり、これらの記録も真実であることを覚えておいてほしいということである。そして見よ、エルサレムを出たときから今に至るまでの先祖の記録と言葉が載っているニーファイの版も真実である。これが今わたしの目の前にあるので、これが確かであることが分かる。

 

 

「立派な父親,立派な息子」(英文)1985年10月、工ズラ・タフト・ベンソン、十二使徒定員会

反復は学習のひとつの鍵になるものです。子供たちには繰り返し真理を教えなければなりません。特に、世には偽りがあふれていますから、それが必要です。モルモン書に出てくる忠実な父親たちは、自分の子供に常に真理を思い起こさせています。ヒラマンはこう言っています。「わが子らよ。ベンジャミン王が彼の民に語った言葉を覚えておきなさい。… … イエス・キリストの贖いの血によってのみ人は救われるのであり、ほかには一切道も手段もないことを覚えておきなさい。」ヒラマン5:9そしてこう続けています。「あなたたちは、神の御子でありキリストである贖い主の岩の上に基を築かなければならないことを覚えておきなさい。」ヒラマン5:12

 

モルモン書の中で、忠実な父親たちは常に自分の証を子供に伝えています。ベンジャミン王は子供たちに「わたしが望むのは、これらの言葉が真実であり、これらの記録も真実であることを覚えておいてほしいということである」モーサヤ1:6と証し、アルマも息子ヒラマンに「わたしが今知っていることは、神から出たものである」アルマ36:26と証しています。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モルモンの言葉1:14

そして、ベニヤミン王の軍隊は主の力を頂いて敵と戦い、ついにレーマン人を何千人も殺した。彼らはレーマン人と戦って、自分たちの受け継ぎの地の全域からレーマン人を追い払ったのである。

 

 

「容易に重荷に耐えられるように」2014年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

問題や困難は,すぐには取り除かれませんでした。しかし,アルマの民は強められました。能力が高められた結果,重荷が軽くなったのです。彼らは贖罪によって,自ら選択し行動する者として行動する力を授かり教義と聖約58:26-29参照),状況に影響を及ぼしました。その後,アルマの民は「主の力を受けて」安全なゼラヘムラの地に導かれましたモルモンの言葉1:14モーサヤ9:1710:10アルマ20:4を参照)

 

イエス・キリストの贖罪は,アダムの堕落の影響に打ち勝ち,人間が犯す一つ一つの罪の赦しを可能にします。しかしそれだけではなく,主の贖罪はまた,人が善い行いをすることを可能にし,死すべき人間の限界を超えてより善い者となることを可能にします。ほとんどの教会員が知っているように,間違いを犯したときや,罪の影響力に打ち勝つ助けが必要なときに,贖いの力によって清めていただくことができます。しかし,贖罪が,忠実で,従順で,ふさわしく,誠実な人,そして善い人になろう,忠実に仕えようと努力している人のためにもあることを,わたしたちは理解しているでしょうか。わたしたちは贖罪に人を強める側面があることを十分に認識していないのではないかと懸念しています。根性や意志の力,自制心,明らかに限界のある自分の能力によって,積荷を独りで負わなければならないと思い違いをしてはいないでしょうか。

 

イエス・キリストが地上に来て人のために死んでくださったという知識は大切です。しかし同時に,主は贖罪を通して,そして聖霊の力によって,わたしたちを活気づけたい,単に導くだけでなく強め癒したいと望んでおられるということも知る必要があります。