わたしは、ある賢明な目的のためにこのようにする。わたしの内にある主の御霊の働きによって、わたしにそのようなささやきがあるからである。わたしはすべてのことを知っているわけではないが、主は将来起こることをすべて御存じである。したがって主は、御自分の御心どおりに行うように、わたしに働きかけられるのである。
「聖文―救いを得させる神の力」2006年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
兄弟姉妹の皆さん,聖文は「ある賢明な目的のために」「主の御手みてによって〔わたしたちのために〕保存され,残され」(アルマ37:4, 14; 1ニーファイ9:5; モルモンの言葉1:7参照)てきたことを証します。リーハイはこう預言しました。「この真鍮の版は決して朽ちることなく,またこれから先どれだけ歳月を経ても,さびて読めなくなることはまったくない……。」(1ニーファイ5:19)主は聖文を保存し,「御自身がふさわしいと思うときに」(エノス1:16)聖文を世に出すとエノスに約束されました。モルモン書について,預言者モロナイは「書き記され……,封じられ,主に託し隠され,損なわれることのないようにされたもの」(モルモン書タイトルページ)であると記しています。わたしたちが持っている聖文には預言と約束が載せられていて,それらは今日成就しているのです。
何とすばらしい祝福でしょう。神に話しかけたいときには,祈り,神から話しかけてもらいたいときには,聖文を読むことができます。なぜなら神の御言葉は神の預言者を通して語られるからです。そして,聖霊の促しに耳を傾けるとき,教えを授けていただけるのです。
最近,神の声を聞いていない人は,聖文を新鮮な気持ちで読み,その言葉に耳を傾けてください。聖文はわたしたちの霊的な命綱です。
