わたしは間もなく安息の場所へ行く。それは、贖い主のもとでの安息である。わたしは、贖い主によって安息を得ることを知っているからである。わたしは自分の死すべき体が不死のものを着て、贖い主の前に立つ日のあることに喜びを感じる。そのとき、わたしは喜んで贖い主の顔を拝するであろう。そして、贖い主はわたしに、「祝福された者よ、わたしのもとに来なさい。わたしの父の住まいには、あなたのために用意された場所がある」と言われるであろう。アーメン。
「世に打ち勝つ」2017年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
世に打ち勝つとは,たとえ落胆しているときでも,救い主の愛と光を感じたときのことを思い出すことです。ニール・A・マックスウェル長老はそのような経験の一つについて,こう説明してくれました。「わたしはこれまで,ずっと祝福されてきましたし,神が,わたしがそれを知っていることを御存じであることも知っていました。」(「主が・・・どれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし」なさい 2004年4月)わたしたちは一時的に神から忘れられたと感じることがあったとしても,神を忘れてはなりません。
世に打ち勝つとは,この世の不公正や困難から守られるために世間との交わりを断絶した生活を送ることではありません。むしろ,信仰をより広い視点で捉えることで,わたしたちを救い主と主の約束に近づけてくれるものです。
現世で完全にはなれないものの,世に打ち勝つことで,いつか「贖い主の前に立〔ち〕,……喜んで贖い主の顔を拝〔し〕」(エノス1:27),「わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,……あなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」(マタイ25:34)と言う主の声を聞く日が来る,と希望の火をともし続けることができるのです。
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わたしたちも,世に打ち勝つよう,もう少し努力をしましょう。深刻な過ちを見過ごしにすることなく,それでいて小さなつまずきや失敗には忍耐強くあり,熱心に歩みを速め,喜んで人を助けましょう。救い主への信頼を深めるとき,祝福され,現世において大きな平安と,自らの永遠の行く末についての確信を深めることができると約束します。イエス・キリストの御名により,アーメン
