「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -204ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ9:19-23

あなたがたが罪悪のあるまま生き続けて主の民を滅ぼすことを、主は許されないからである。わたしはあなたがたに、そのとおりであると言う。もしニーファイの民と呼ばれる主の民が、主なる自分たちの神から授けられた非常に多くの光と非常に多くの知識を受けた後、罪と背きに陥るようなことがあるとすれば、主はむしろレーマン人がニーファイの民をことごとく滅ぼすのを許されるであろう。

まことに、ニーファイの民は、そのように主から厚い恵みを受けた民であり、まことに、ほかのあらゆる国民、部族、国語の民、民族に勝る恵みを受け、彼らの望みと信仰と祈りに応じて、過去、現在、未来のことをすべて示され、

また、神の御霊の訪れを受け、天使と語り、主の声による御告げを受け、預言の霊と啓示の霊と、そのほか異言で語る賜物、説教の賜物、聖霊の賜物、翻訳の賜物など、多くの賜物を受けてきた。

また、神によりエルサレムの地から主の御手によって救い出され、飢饉や病気、あらゆる患いから救われ、戦闘の際には滅ぼされないように強くされ、幾度も奴隷の状態から導き出されて現在に至るまで守られ、保護され、そしてこのように栄えてあらゆるものに富むようになった。

さて見よ、わたしはあなたがたに言う。このように多くの祝福を主の御手から受けてきたこの民が、もし現在受けている光と知識に背くとすれば、わたしはあなたがたに言うが、もし彼らが戒めに背くならば、レーマン人の方がこの民よりもはるかに堪えやすいであろう。

 

「求め,捜し,門をたたく」2020年10月、ミルトン・カマルゴ、中央日曜学校会長会

4か月前,個人の聖文研究でアモナイハにおけるアルマの宣教について読んでいたとき,『わたしに従ってきなさい』に次の提案があるのを見つけました。「ニーファイ人に与えられた偉大な祝福について読みながらアルマ9:19-23参照),神があなたに与えられた偉大な祝福について深く考えてください。」『わたしに従ってきなさい—個人と家族用:モルモン書 2020年』 91)そこでわたしは,神がわたしに与えられた祝福をリストにし,デジタル版のテキストに記録することにしました。わずか数分で,16個の祝福がリストに挙がりました。

 

真っ先に挙げたのは,救い主の憐れみと,わたしのために払われた贖いの犠牲がもたらす偉大な祝福です。また,救い主を代表し,若い宣教師としてポルトガルで伝道できた祝福や,後に愛情深い永遠の伴侶であるパトリシアと,522人の力強くすばらしい宣教師とともにブラジル・ポルトアレグレ南伝道部で伝道することができた祝福についても書きました。パトリシアと言えば,その日書き留めた祝福の多くは,40年間の結婚生活を通して夫婦で味わってきたものでした。そのような祝福として,ブラジル・サンパウロ神殿での結び固めや,3人のすばらしい子供とその伴侶たち,13人の孫たちが挙げられます。

 

わたしの思いは,福音の原則の中で育ててくれた義にかなった両親にも向けられました。特に,10歳のころ,愛情深い母がわたしのベッドの傍らで一緒にひざまずいて祈ってくれたことを思い出しました。母はわたしの祈りが天の御父まで届くためには,改善が必要だと感じたのでしょう。母はこう言いました。「わたしが先に祈るから,その後あなたが祈りなさい。」このパターンは,わたしが原則と実践によって天の御父に語りかける方法を学べたと母が確信するまで,幾晩と繰り返されました。祈る方法を教えてくれた母に永遠に感謝することでしょう。天の御父がわたしの祈りを聞き,それに答えてくださることを学べたからです。

 

実は,このことも祝福としてリストに挙げていました。すなわち,主の御心に耳を傾け,それを知ることができる賜物です。天の御父の計画の重要な点は,わたしたちは望むときにいつでも御父とコミュニケーションが取れるということです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ8:18

さて、アルマは主の天使から御告げを受けると、すぐにアモナイハの地へ引き返した。そして、別の道、すなわちアモナイハの町の南にある道を通って町に入った。

 

「神聖な計らいにより」2017年10月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

これはアルマがアモナイハの民に福音を宣べ伝えた後で語った言葉とは少し違います。アルマはアモナイハを去りました。この町の人々が邪悪だったからです。それからほどなくして,一人の天使がアルマに現れ,「アモナイハの町へ引き返してその町の民にもう一度教えを説く」ように命じました。アルマ8:16

 

アルマは「すぐに」「別の道……を通って町」に戻りました。アルマ8:18

 

「町に入ったとき,彼は飢えていたので,一人の人に,『神の至らない僕に何か食べるものを下さいませんか』と言った。

 

するとその人は,彼に言った。『わたしはニーファイ人であり,あなたが神の聖なる預言者であることを存じています。 示現の中で天使が,「迎えなさい」と,あなたのことを告げたからです。』」アルマ8:19-20

 

その人がアミュレクでした。

 

アルマはただ偶然にアミュレクに出会ったのでしょうか。いいえ,アルマが別の道を通って町に入り,自分の同僚となるこの忠実な人のもとに導かれたのは偶然の一致ではありませんでした。

 

ニール・A・マックスウェル長老はかつてこう語りました。「だれ一人として,自分たちの友情の輪を通して与えられている,人との交わりを十分に活用している人はいません。こうした巡り合わせを,わたしたちは『偶然の一致』と呼ぶことがあります。この言葉を人間に使うのは理解できます。しかし,偶然の一致という言葉を全知全能であられる神の働きを描写するのに使うのは適切ではありません。神は『偶然の一致』ではなく『神聖な計らい』によって物事を行われるからです。」(ニール・A・マックスウェル,“Brim with Joy”(ブリガム・ヤング大学ディボーショナル,1996年1月23日))

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ8:15

アルマ、あなたは幸いである。頭を上げて喜びなさい。あなたには喜んでよい十分な理由がある。あなたは初めて神から御告げを受けて以来、忠実に神の戒めを守ってきたからである。見よ、わたしはあなたにその御告げを伝えた者である。

 

「神からこられた教師」(英文)1998年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

天からの御霊による働きかけなしには, 永遠に関する事柄は何も学べません。親, 教師, 指導者として, わたしたちはモーセが約束の地で対処した方法に倣い, 課題に取り組まなくてはなりません。ほかの方法では達成不可能だと知っていたモーセは, エホバに次のように語りました。「もしあなた自身が一緒に行かれないならば, わたしたちをここからのぼらせないでください」出エジプト33:15

 

これこそ, 会員が集会に集い, 様々なクラスに参加する際, ほんとうに求めているものです。福音の知識を新たに幾つか学び, 友人に会うことは大切な要素ですが, 単にそれだけを目的に教会に来る会員はほとんど存在しません。会員が教会に集うのは, 霊的な経験を求め, 平安を感じ, 信仰を強め,新たに希望を得たいと望んでいるからです。つまり,神の善い言葉で養われ,天の力により強められるよう望んでいるのです。話の責任や, 教え, あるいは指導する責任を受ける人は最善を尽くし, 教会に集う目的を満たせるようにする義務があります。自ら神を知るよう熱心に努め, 神の独り子の光を求め続けるときにのみ, この義務は達成されます。そして, 自らの心が正しく,最善を尽くして自らを清め, 自身の力の及ぶかぎり祈り, 涙を流し, 備え,悩むならば, 神はアルマとモーサヤの息子に語られたと同様, わたしたちにも次のように言われるでしょう。「頭を上げて喜びなさい。… … あなたがたに成功を得させよう。」アルマ8:15; アルマ26:27