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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ8:14

さて、彼がアモナイハの町に住んでいる人々の悪事のために悲しみに打ちひしがれ、多くの艱難と苦しみに耐えながら旅をしていたときに、すなわち、アルマがこのように悲しみに打ちひしがれていたときに、見よ、主の天使が彼に現れて言った。

 

「頭を上げて喜びなさい」2018年10月、M・ジョセフ・ブラフ、中央若い男性会長会

「人が存在するのは喜びを得るためである」(2ニーファイ2:25)ということを忘れないでください。リーハイは,あれだけの困難に遭遇しながら,なお喜びを見いだしていました。アルマがアモナイハの民のために,「悲しみに打ちひしがれ」(アルマ8:14)ていたときのことを思い出してください。天使がアルマに言いました。「アルマ,あなたは幸いである。頭を上げて喜びなさい。……あなたは……忠実に神の戒めを守ってきたからである。」(アルマ8:15)アルマは偉大な真理を学びました。わたしたちは戒めを守るとき,常に喜ぶことができるのです。司令官モロナイの時代には戦争や問題がありました。それでも,「ニーファイの民にとって……当時以上に幸せな時はかつて一度もなかった」(アルマ50:23)ことを忘れないでください。わたしたちは,難しいことに遭遇しているときでも,喜びを見いだすことができます。またそうすべきです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ5:33

見よ、主はすべての人を招き、憐れみの御腕を伸べて、『悔い改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れよう』と言われる。

 

「わたしに従ってきなさい」2019年4月、ラッセル・M・ネルソン大管長

家族を思うジョンの話を聞き,わたしは今日,死すべき試しの生涯が終わりに近づいたとき「わたしの家族はどこにいるのだろう?」と問うかもしれない皆さんに向けて話そうと思いました。この世の試しが終わって霊界へ行く,来るべきその日に,皆さんは,胸の痛むこの問いに向き合うことになります。「わたしの家族はどこにいるのだろう?」

 

イエス・キリストは,永遠の家に帰る道を教えてくださっています。主は天の御父の永遠の進歩の計画をだれよりもよく理解しておられます。何と言っても,主はそのすべてのかなめ石であられ,わたしたちの贖い主,癒し主,救い主なのですから。

 

アダムとエバがエデンの園を追われて以来,キリスト・イエスは,御自分に従うことを選ぶすべての人を助けるために,力強い御腕を差し伸べてこられました。繰り返し聖文に記録されているように,あらゆる人があらゆる罪を犯すにもかかわらず,主の御腕は今もなお伸べられています。エレミヤ27:5マタイ23:37ルカ13:34アルマ5:333ニーファイ9:14参照)

 

わたしたち各人の霊は,家族の愛が永遠に続くことを生来切に望むものです。愛さえあれば永遠に一緒にいられるとラブソングは歌継ぎいますが,これは間違いです。また,イエス・キリストの復活によってすべての人が死後愛する人とともにいられるという約束が与えられていると信じている人がいますが,誤った期待です。

 

実際には,救い主御自身が非常に明確にしておられるように,主の復活のおかげで,かつて生を受けたすべての人は確かに復活して永遠に生きることができます。アルマ 11:41–45; 40章; 教義と聖約 76章; モーセ 7:62も参照)しかし昇栄という貴い特権を得たければそれ以上のことが求められるのです。救いは個人の問題ですが,昇栄は家族の問題です。

 

主イエス・キリストが御自分の預言者に語られた次の御言葉を聴いてください。「すべての聖約や契約,きずな,義務,誓詞,誓言,履行,関係,交際,期待がなされ,また交わされるとき,……約束の聖なる御霊により結び固められなければ,これらは死者の中からの復活の時も,その後も,まったく効験や効能,効力がない。……この目的で結ばない契約はすべて,人が死ぬと終わるからである。」教義と聖約132:7

 

では,家族が永遠の昇栄にあずかるために何が必要なのでしょうか。それは神と聖約を交わし,その聖約を守り,救いに不可欠な儀式を受けることによって,その特権にあずかる資格を得ることです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ 5:26

さて見よ、わたしの同胞よ、わたしはあなたがたに言う。もしあなたがたが心の変化を経験しているのであれば、また、贖いをもたらす愛の歌を歌おうと感じたことがあるのであれば、今でもそのように感じられるか尋ねたい。

 

「わたしの愛のうちにいなさい」2016年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

神の愛をどのように言い表すかは様々です。今日,よく耳にするのが,神の愛は「無条件」という言葉です。ある点でこれは真実ですが,「無条件」という言葉は聖文のどこにも見られません。聖文の中では,神の愛は「大きな驚くべき愛」教義と聖約138:3,「完全な愛」1ヨハネ4:18モロナイ8:16,「贖いをもたらす愛」アルマ 5:26,「限りなき愛」エレミヤ31:3という言葉で表現されています。そのような言葉の方が適切です。なぜなら,「無条件」という言葉は神の愛について誤った印象を与えかねないからです。例えば,神の愛は無条件なので,わたしたちのすることは何でも容認される,神の愛は無条件なので,わたしたちには何も要求されない,あるいは,神の愛は無条件なので,すべての人が神の王国に救われるといった印象です。神の愛は無限であり,永遠に持続しますが,それが各人にとって何を意味するかは,わたしたちが神の愛にどう応えるかによって決まります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)