さて、アルマは主の天使から御告げを受けると、すぐにアモナイハの地へ引き返した。そして、別の道、すなわちアモナイハの町の南にある道を通って町に入った。
「神聖な計らいにより」2017年10月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会
これはアルマがアモナイハの民に福音を宣べ伝えた後で語った言葉とは少し違います。アルマはアモナイハを去りました。この町の人々が邪悪だったからです。それからほどなくして,一人の天使がアルマに現れ,「アモナイハの町へ引き返してその町の民にもう一度教えを説く」ように命じました。(アルマ8:16)
アルマは「すぐに」「別の道……を通って町」に戻りました。(アルマ8:18)
「町に入ったとき,彼は飢えていたので,一人の人に,『神の至らない僕に何か食べるものを下さいませんか』と言った。
するとその人は,彼に言った。『わたしはニーファイ人であり,あなたが神の聖なる預言者であることを存じています。 示現の中で天使が,「迎えなさい」と,あなたのことを告げたからです。』」(アルマ8:19-20)
その人がアミュレクでした。
アルマはただ偶然にアミュレクに出会ったのでしょうか。いいえ,アルマが別の道を通って町に入り,自分の同僚となるこの忠実な人のもとに導かれたのは偶然の一致ではありませんでした。
ニール・A・マックスウェル長老はかつてこう語りました。「だれ一人として,自分たちの友情の輪を通して与えられている,人との交わりを十分に活用している人はいません。こうした巡り合わせを,わたしたちは『偶然の一致』と呼ぶことがあります。この言葉を人間に使うのは理解できます。しかし,偶然の一致という言葉を全知全能であられる神の働きを描写するのに使うのは適切ではありません。神は『偶然の一致』ではなく『神聖な計らい』によって物事を行われるからです。」(ニール・A・マックスウェル,“Brim with Joy”(ブリガム・ヤング大学ディボーショナル,1996年1月23日))