「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -198ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ19:16

そして彼らは、力の限り主の名を呼び、ついに一人のレーマン人の女を除いて、全員が地に倒れてしまった。この女は名をエービシといい、父の驚くべき示現のために、何年も前からすでに主に帰依していた。

 

「人生にとって霊的に重要な記憶」2020年4月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

人生にとって霊的に重要な瞬間は,わたしたち一人一人に合わせて様々な時に様々な方法で訪れます。

 

聖文の中で自分が好きな例について考えてみてください。使徒ペテロの話を聞いていた人々は「強く心を刺され」ました。使徒2:37レーマン人の女性エービシは「父の驚くべき示現」を信じました。アルマ19:16エノスの思いに語りかける声がありました。エノス1:5参照)

 

わたしの友人であるクレイトン・クリステンセンは,よく祈りながらモルモン書を読んでいたときの経験についてこう記しています。「麗しく,温かく,愛にあふれた御霊が……わたしを取り囲み,心を貫き,想像もしなかったような愛の気持ちで包んでくださいました。〔そして,そのような気持ちを毎晩感じました。〕」(クレートン・M・クリステンセン「最も役立つ知識」『リアホナ』2009年1月号,23)

 

時に,霊的な気持ちは火のように心の中にともり,思いを照らします。ジョセフ・スミスは,わたしたちに時々「突然様々な考えがわいてくる」ことや,時折「純粋な英知が流れ込んで」くることがあると説明しています。(『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』132参照)

 

ダリン・H・オークス管長は,今までそのような経験をしたことがないと主張する誠実な男性に答えて次のように勧告しました。「恐らくあなたの祈りは何度もこたえられていますが,偉大なしるしや大きな声を期待しているがために,答えが得られていないと思っているのです。」(Dallin H. Oaks, Life’s Lessons Learned: Personal Reflections (2011), 116–69.)救い主は,「火と聖霊に〔よって祝福されたが,〕……それを知らなかった」,大いなる信仰を持つ人々について自ら語られました。3ニーファイ 9:20

 

……

 

人生にとって重要な瞬間が訪れる時期を自分で選ぶことはできませんが,それに備えることについてヘンリー・B・アイリング管長は次のように助言しています。「今晩と明日の晩,皆さんは祈り,深く考えながら,次の質問を自分に問いかけるかもしれません。『神はわたし個人に向けてメッセージを送られただろうか。自分自身や〔家族〕の生活に神の御手を見ただろうか。』」(ヘンリー・B・アイリング「記憶にとどめ,覚えておきなさい」2007年10月)信仰,従順,謙遜,誠意によって天の窓は開かれます。

 

2ニーファイ31:13モロナイ10:4参照1991年にダリン・H・オークス管長は,フランス・ボルドーにあるわたしたちの伝道部を訪問しました。オークス長老が伝道部の宣教師に説明したところによると,「誠心誠意」とは,人が祈るとき,主に対して次のように言うことです。「わたしは好奇心からお尋ねするのではありません。うそ偽りのないまったくの真心をもって,祈りの答えに従って行動するためにお伺いしています。もしこの祈りにこたえてくださるのなら,わたしは自分の生活を変えるために行動し,主の御心に従います。」

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ17:25

しかしアンモンは、「そうではなく、王の僕になりたいのです」と言い、ラモーナイ王の僕になった。そして彼は、レーマン人の習わしに従って、ほかの僕たちの中に加えられてラモーナイ王の家畜の群れを守ることになった。

 

「神の証人」(英文)1996年10月、ヘンリー・B・アイリング、十二使徒定員会

親切な思いが証を述べる行動に結びついたときには、人生を変えるほどの大きな力が発揮されます。わたしが旅の途中で経験したように、教会員は毎日、何千という人々から見られています。人々はわたしたちの生活に好奇の目を向けています。わたしたちは証人となるという聖約を交わしていますので、福音によってどのように幸せになったかを人々に話そうとするでしょう。話を聞いた彼らが何を考えるかは、わたしたちが彼らに対して抱いている関心をどれほど感じるかによって大きく違ってきます。

 

アンモンに会ったラモーナイ王もそうでした。『モルモン書』にその次第が記されています。アンモンは衛兵に捕まって、王のもとへ連れて行かれました。王はアンモンを殺すこともできました。しかし、明らかに数分もしないうちにラモーナイ王はアンモンが王に関心を持ち、王に仕えたいと願っていることを知りました。アンモンは高い地位を与えようと言われたときにこう答えました。「そうではなく、王の僕になりたいのです。」アルマ17:25王は数日のうちにアンモンが王のために命を投げ出す覚悟を持っていることを知りました。その後に神の証人となる機会がアンモンに訪れたのです。

 

わたしたちが出会う人々は、「悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰める」モーサヤ18:9聖約を長年実行してきたわたしたちから、あふれ出る愛を感じることでしょう。ラモーナイ王の場合のように数時間や数日ではないかもしれませんが、彼らはわたしたちの真意を試してから愛を感じてくれます。そして彼らが誠心誠意の関心であることに気づいたとき、聖なる御霊が彼らの心の琴線に触れやすくなるため、わたしたちはアンモンのように教え、証することができます。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ17:11

主はまた彼らに、「あなたがたの同胞であるレーマン人の中へ行き、わたしの言葉を確立しなさい。しかし、あなたがたはわたしにあって彼らに良い模範を示せるように、長い苦しみと苦難の中で忍耐強くありなさい。そうすれば、わたしはあなたがたをわたしの手に使われる者として多くの人を救おう」と言われた。

 

「わたしの証人」2001年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

何よりもまず、わたしたちは福音に添って生活することができます。わたしたちが世に送ることのできる伝道のメッセージの中で、愛にあふれ幸福な末日聖徒が生活の中で示す模範ほど力強いメッセージはありません。患実な教会員の礼儀や振る舞い、笑顔や優しさは、伝道用のパンフレットやビデオテープでは伝えることのできないぬくもりや関心を伝えます。人は、何かを知っているから教会に入るのではありません。何かを感じ、霊的に何かを理解し、霊的に何かを求めているから教会に入るのです。先ほど述べた証の霊や幸福の霊をわたしたちが放射するなら、それらはほかの人々の心に浸透します。主はアルマとモーサヤの息子たちにこう語られました。「〔行って〕……あなたがたはわたしにあって彼らに良い模範を示せるように〔し〕なさい。そうすれば、わたしはあなたがたをわたしの手に使われる者として多くの人を救おう……。」(アルマ17:11)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)