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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ17:10

そこで主は彼らに御霊を下し、「慰めを得なさい」と言われた。そこで彼らは慰めを得た。

 

「わたしは平安をあなたがたに残して行く」2017年4月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

レーマン人への伝道に着手するに当たって,モーサヤの息子たちはその平安の賜物を必要としていました。自分たちが着手した業の重大性を感じ,少なからず不安だった彼らは励ましを求めて祈りました。そして「主は彼らに御霊を下し,『慰めを得なさい』と言われた。そこで彼らは慰めを得た。」アルマ17:10アルマ26:27も参照)

 

不確かな状況やこれから対峙することになりそうな試練を前にして,わたしたちは平安を切に望むことがあります。モーサヤの息子たちは,主がモロナイに教えられた教訓を学びました。それはわたしたちすべてにとっても導きとなります。「もし人がわたしのもとに来るならば,わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために,人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して,わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」エテル12:27

 

モロナイは「これらの御言葉を聞くと慰めを得〔た〕」と言っていますエテル12:29。この御言葉からだれもが慰めを得られます。自分の弱点を見ない人は成長しません。自分の弱点に気づくことは祝福です。なぜならそのように気づくことによって,いつも謙遜で,救い主に頼り続けることができるからです。御霊はわたしたちを慰めるだけでなく,贖罪が人の性質そのものに変化を及ぼすうえで仲立ちにもなってくださいます。そのときに弱さは強さに変わります。

 

 

 

Alma and the sons of Mosiah by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ17:9

そして、彼らは荒野の中を幾日も旅をした。また彼らは、主が御霊の一部を授けて自分たちに伴わせてくださり、またとどめてくださることを願って、大いに断食し、大いに祈った。それは、彼らが神の手に使われる者となり、できれば自分たちの同胞であるレーマン人に真理を知らせ、彼らの先祖の正しくない言い伝えが不純であることを知らせるためであった。

 

「主の御手に使われる者となる」2006年10月、ドン・R・クラーク七十人

モーサヤの息子たちの伝道の経験からも,主の御手に使われる者となる方法が理解できます。「そして,彼らは荒れ野の中を幾日も旅をした。」アルマ17:9わたしたちは喜んで旅に出なければなりません。モーサヤの息子たちは慣れ親しんだ環境を自ら進んで離れて,苦難の道を歩みました。アンモンが進んで旅をせず,野蛮でかたくなで残忍な民が住む異国の地に行かなかったとしたら,ラモーナイとその父,そして多くのレーマン人がイエス・キリストについて知ることはありませんでした。神は旅をするようわたしたちに求めておられます。伝道に出るよう,召しを受けるよう,人を教会に招待するよう,また困っている人を助けるよう求めておられるのです。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ17:3

そればかりではない。彼らはしばしば祈り、また断食もしたので、預言の霊と啓示の霊を受けていた。そして、教えるときには、神の力と権能をもって教えた。

 

「主の祈りから得られる教訓」2009年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会

主はわたしたちの祈りの力を高める方法を教えてくださいました。例えば,主はこのように言っておられます。「義人の歌はわたしへの祈りである。それに対する答えとして,彼らの頭に祝福が注がれるであろう。」教義と聖約25:12

 

また,祈りの力は断食によって高められます。使徒14:231コリント7:5オムナイ1:26アルマ5:466:617:317:928:645:13 ニーファイ27:14 ニーファイ1:12モロナイ6:5参照)主はこう言っておられます。「わたしはあなたがたに一つの戒めを与える。あなたがたはこれから先,祈りと断食を続けなければならない。」教義と聖約88:76ジョセフ・F・スミス大管長は,断食における知恵を願い求め,次のように注意しています。「度を越すということがあります。ある人は命をなくすまで断食し,祈るかもしれません。そのようなことは必要ないし,賢明なことでもありません。……主は短い言葉であっても信仰あふれる簡潔な祈りを聞いてくださいます。また, 24時間に満たない断食も認めてくださいます。ちょうど何千という言葉を費やし1か月断食してささげる祈りにこたえるのと同じように快く,同じ力をもってこたえてくださいます。……主は,過度で不必要な祈りよりも,十分な祈りを,さらに大きな喜びと満足感をもって受け入れてくださいます。」(ジョセフ・F・スミス,Conference Report,1912年10月,133-134で引用)