「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -200ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ17:2

モーサヤのこの息子たちは、天使が初めてアルマに現れたときにアルマとともにいた人々である。そのため、アルマは自分の仲間に会えたことでひとかたならず喜んだ。しかも、彼らがなおも主にあって兄弟であったので、その喜びはいっそう深かった。さらに、彼らは正しい理解力を備えた人々であり、また神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきたので、すでに真理を深く知るようになっていた。

 

「船にとどまり,つかまっていなさい」2014年10月、M・ラッセル・バラード、十二使徒定員会

救命胴衣は常に着用し,両手でつかまる必要があります。主の言葉は,聖文の中や使徒と預言者の教えの中にあります。それらは,わたしたちに助言と指示を与えてくれます。そして,それに従ったとき,霊的な救命胴衣となり,両手でつかまる方法を知ることができます。

 

わたしたちは,「真理を深く知〔っていた〕」モーサヤの息子たちのようになる必要があります。わたしたちは「正しい理解力を備えた」男女になれますが,それを可能にするには「神の言葉を知るために,聖文を熱心に調べ」(アルマ17:2)なければなりません。

 

聖文とともに過去と現在の使徒と預言者の言葉を調べるときには,キリストの教義を研究し,実践し,その教義を愛することに集中するべきです。

 

個人で聖文を読むことを習慣とするだけなく,モーサヤの息子たちのように「しばしば祈り,また断食」(アルマ17:3)を行うことも必要です。

 

こうした簡単に測ることのできないことが非常に重要であるようです。これらの簡単な事柄に集中し続け,注意を他にそらさないようにしてください。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ13:29

さらに主を信じる信仰を持ち、永遠の命を得る希望を抱き、常に心の中に神の愛を持って、終わりの日に上げられて神の安息に入れるようにしてほしい。

 

「いつも御子を覚える」2016年4月、ジェリット・W・ゴング、七十人

復活について,聖文にはこう記されています。「手足と関節はことごとくその体に回復される。まことに,髪の毛一筋さえも失われることなく,すべてのものが本来の完全な造りに回復される。」アルマ40:23それなら,なぜ救い主の完全な復活体に,いまだに脇腹の傷と,手足のくぎ跡が残っているのかを,どうかよく考えてみてください。教義と聖約6:37参照)

 

歴史上,時には,死すべき人間に十字架の刑が執行されていたこともあります。しかし,わたしたちの救い主であるイエス・キリストのみが,その純粋な愛のしるしを今も身に残して,わたしたちを受け入れてくださいます。全ての人を主の御名によってみもとに引き寄せるために十字架に上げられるという預言を成就したのは,救い主ただ御一方だけです。3ニーファイ27:14参照。例として,ヨハネ12:32-331ニーファイ11:33モーサヤ23:22アルマ13:2933:19ヒラマン8:14-15も参照)

 

救い主はこう宣言されました。

 

「たとい彼らが忘れるようなことがあっても,わたしは,あなたを忘れることはない。

 

見よ,わたしは,たなごころにあなたを彫り刻んだ。」イザヤ49:15-161ニーファイ21:15-16も参照)

 

救い主は証しておられます。「わたしは上げられた者である。十字架につけられたイエスである。神の子である。」教義と聖約45:52

 

いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,わたしたちがいつも御子を覚えていられるよう,へりくだり証し,祈ります。モーサヤ18:9参照)イエス・キリストの神聖かつ聖なる御名により,アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ13:28

しかし、あなたがたは主の御前にへりくだり、主の聖なる御名を呼び、自分が耐えられないような誘惑を受けないように、目を覚ましていて絶えず祈りなさい。そのようにして、聖なる御霊の導きを得て、謙遜、柔和、従順になり、忍耐強くなり、愛に富み、限りなく寛容になって、

 

「胸に燃ゆる」2024年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

兄弟姉妹の皆さん,わたしは証します。神はわたしたちがささげるすべての祈りに耳を傾け,わたしたちを完成させるために描いてくださった道に従って,一つ一つの祈りにこたえてくださいます。わたしの健康回復のために多くの祈りがささげられていたのとほぼ同じ時期に,多くの人々がわたしの妻の健康が回復するように祈ってくださいました。わたしも祈りました。妻のための祈りはわたしの願いどおりにはこたえられませんでしたが,どちらの祈りも,哀れみ深い天の御父によって聞かれ,確かにこたえられたのであることを証します。祈りが期待したとおりにこたえられない理由は神のみが御存じですが,祈りが確かに聞かれ,いつまでも絶えることのない神の愛と天の時刻表に従って確かにこたえられることをお約束します。

 

わたしたちが「道理に外れた求め方をしなければ」,2ニーファイ4:35いつ,どこで,何について祈るべきかについては何の制限もありません。啓示によると,わたしたちは「絶えず〔祈る〕」ようにと言われています。ルカ21:36アルマ13:2834:27教義と聖約23:6も参照)アミュレクが述べたように,「〔自分〕の周りの人々」のために,アルマ34:272テサロニケ1:11アルマ34:21も参照)「義人の〔祈りには〕大いに力が……ある」ヤコブの手紙5:16と信じて祈りましょう。プライバシーが確保されている場合は,声に出して祈りをささげるべきです。詩篇55:17参照)それが現実的でない場合は,声を上げることなく心の中で祈りをささげるべきです。モーサヤ24:10-12アルマ34:273ニーファイ20:1教義と聖約19:28参照)祈りは「胸に燃ゆる」(「祈りは魂の」『賛美歌』83番参照)という歌詞がありますが,救い主御自身が言われたように,わたしたちは常に,御子イエス・キリストの御名によって父なる神に祈るべきなのです。 3ニーファイ18:19-21参照)

 

愛する友人の皆さん,祈りとは,いちばん楽しい時間であり,「祈りは楽しき」『賛美歌』81番参照)わたしたちの「切なる望み」であり,"Prayer Is the Soul’s Sincere Desire"『賛美歌』(英文)145番)最も簡素で最も純粋な礼拝です。アルマ33:3参照)わたしたちは個人として,家族として,またあらゆる規模の集会で祈るべきです。マタイ14:2318:19-203ニーファイ18:16,21-24,30ヒラマン3:35参照)誘惑に対抗する盾として,祈りの助けを借りるべきです。マタイ6:13ルカ22:403ニーファイ18:15教義と聖約10:5参照)祈る気持ちになれないとき,その気持ちは神から来るものではないのは確かです。神はいつも御自分の子供たちと交わりたいと切に望んでおられるからです。実際,わたしたちを祈らせまいとする試みの中には,敵対者が直接仕掛けてくるものもあります。2ニーファイ32:8ジョセフ・スミス—歴史1:15-16参照)何をどう祈るべきか分からないときでも,祈りを始めて,聖霊が祈るべき言葉を与えてくださるまで,祈り続けましょう。ローマ8:263ニーファイ19:24教義と聖約50:30参照)わたしたちが敵のために,またわたしたちを不当に扱う者たちのために祈る際には,このようなアプローチが必要と言えるかもしれません。マタイ5:44参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)