「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -201ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ13:28

しかし、あなたがたは主の御前にへりくだり、主の聖なる御名を呼び、自分が耐えられないような誘惑を受けないように、目を覚ましていて絶えず祈りなさい。そのようにして、聖なる御霊の導きを得て、謙遜、柔和、従順になり、忍耐強くなり、愛に富み、限りなく寛容になって、

 

「胸に燃ゆる」2024年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

兄弟姉妹の皆さん,わたしは証します。神はわたしたちがささげるすべての祈りに耳を傾け,わたしたちを完成させるために描いてくださった道に従って,一つ一つの祈りにこたえてくださいます。わたしの健康回復のために多くの祈りがささげられていたのとほぼ同じ時期に,多くの人々がわたしの妻の健康が回復するように祈ってくださいました。わたしも祈りました。妻のための祈りはわたしの願いどおりにはこたえられませんでしたが,どちらの祈りも,哀れみ深い天の御父によって聞かれ,確かにこたえられたのであることを証します。祈りが期待したとおりにこたえられない理由は神のみが御存じですが,祈りが確かに聞かれ,いつまでも絶えることのない神の愛と天の時刻表に従って確かにこたえられることをお約束します。

 

わたしたちが「道理に外れた求め方をしなければ」,2ニーファイ4:35いつ,どこで,何について祈るべきかについては何の制限もありません。啓示によると,わたしたちは「絶えず〔祈る〕」ようにと言われています。ルカ21:36アルマ13:2834:27教義と聖約23:6も参照)アミュレクが述べたように,「〔自分〕の周りの人々」のために,アルマ34:272テサロニケ1:11アルマ34:21も参照)「義人の〔祈りには〕大いに力が……ある」ヤコブの手紙5:16と信じて祈りましょう。プライバシーが確保されている場合は,声に出して祈りをささげるべきです。詩篇55:17参照)それが現実的でない場合は,声を上げることなく心の中で祈りをささげるべきです。モーサヤ24:10-12アルマ34:273ニーファイ20:1教義と聖約19:28参照)祈りは「胸に燃ゆる」(「祈りは魂の」『賛美歌』83番参照)という歌詞がありますが,救い主御自身が言われたように,わたしたちは常に,御子イエス・キリストの御名によって父なる神に祈るべきなのです。 3ニーファイ18:19-21参照)

 

愛する友人の皆さん,祈りとは,いちばん楽しい時間であり,「祈りは楽しき」『賛美歌』81番参照)わたしたちの「切なる望み」であり,"Prayer Is the Soul’s Sincere Desire"『賛美歌』(英文)145番)最も簡素で最も純粋な礼拝です。アルマ33:3参照)わたしたちは個人として,家族として,またあらゆる規模の集会で祈るべきです。マタイ14:2318:19-203ニーファイ18:16,21-24,30ヒラマン3:35参照)誘惑に対抗する盾として,祈りの助けを借りるべきです。マタイ6:13ルカ22:403ニーファイ18:15教義と聖約10:5参照)祈る気持ちになれないとき,その気持ちは神から来るものではないのは確かです。神はいつも御自分の子供たちと交わりたいと切に望んでおられるからです。実際,わたしたちを祈らせまいとする試みの中には,敵対者が直接仕掛けてくるものもあります。2ニーファイ32:8ジョセフ・スミス—歴史1:15-16参照)何をどう祈るべきか分からないときでも,祈りを始めて,聖霊が祈るべき言葉を与えてくださるまで,祈り続けましょう。ローマ8:263ニーファイ19:24教義と聖約50:30参照)わたしたちが敵のために,またわたしたちを不当に扱う者たちのために祈る際には,このようなアプローチが必要と言えるかもしれません。マタイ5:44参照)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ13:27、29

さて、わたしの同胞よ、まことにわたしが心痛を感じるほどにひどく心配するとともに、心の底から願っていることがある。それは、あなたがたがわたしの言葉を聴き、罪を捨て、悔い改めの日を先に延ばすことのないようにということである。

さらに主を信じる信仰を持ち、永遠の命を得る希望を抱き、常に心の中に神の愛を持って、終わりの日に上げられて神の安息に入れるようにしてほしい。

 

「神の愛」2021年10月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会

わたしはこれまでずっと,神の預言者が罪に対して警告するときに心から願う愛を感じ,その愛に感銘を受けてきました。彼らは,非難しようとしているのではありません。彼らの心の願いは,神の愛を映し出しています。事実,これが神の愛です。預言者たちは,だれであろうと,どんな人であろうと,自分が遣わされた相手を愛しています。主と同じように,主の僕たちは罪や誤った選びの苦しみをだれにも味わってほしくないのです。モーサヤ28:3参照)

 

アルマは,彼自身を含むキリスト教徒を迫害し,苦しめ,殺すことさえする憎しみに満ちた人々に,悔い改めと贖いのメッセージを宣言するために遣わされました。アルマは彼らを愛し,彼らの救いを切に望みました。アモナイハの民にキリストの贖いについて告げた後,アルマはこう嘆願しています。「さて,わたしの同胞よ,まことにわたしが心痛を感じるほどにひどく心配するとともに,心の底から願っていることがある。それは,あなたがたがわたしの言葉を聴き,罪を捨て,……終わりの日に上げられて神の安息に入れるようにしてほしい。」アルマ13:27,29

 

ラッセル・M・ネルソン大管長の言葉で言うと,「わたしたちが神の真理を宣言するのは,神のすべての子供たちについて深く気にかけているからにほかならないからです。」(Russell M. Nelson, “The Love and Laws of God.” 3)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ13:12

そして彼らは、聖霊によって聖められ、衣を白くされ、神の御前に清く、染みのない状態になったので、罪を見て忌み嫌うのを禁じることができなかった。このように清められて、主なる神の安息に入った人々は大勢おり、非常に多くの数に上った。

 

「手が清く,心のいさぎよい者」2007年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

わたしたちはこの世の生涯で完成の域に達することはありません。しかし,細くて狭い道に沿ってキリストを信じながら力強く前進し,永遠の行く末に向かって着実に進んで行くことはできますし,そうすべきです。人の霊的成長過程において主が取られる方法は,「ここにも少し,そこにも少しと,教えに教え,訓戒に訓戒を加えて」いくことです2ニーファイ28:30。小さくとも着実に前進を続けていくことにより,主はわたしたちが霊的に成長できるようにしてくださいます。神の御前に罪なく歩むための備えは,死すべき生涯の第一の目的の一つであり,生涯にわたって追求すべきことです。それは決して,霊的な活動にひととき集中したからといってできることではないのです。

 

わたしたちが着実に進歩を続けられるよう,救い主が強め,支えてくださることを証します。モルモン書には,神の御前に清く染みのない者が古代の教会に「大勢おり,非常に多くの数に上った」と記されていますがアルマ13:12,これはわたしにとって励みであり,慰めでもあります。この古代の教会の会員たちも,皆さんやわたしと同じように,普通の人だったことでしょう。この人たちは罪を見て忌み嫌うのを禁じることができなかったために,「清められて,主なる神の安息に入」りました12節。そして,この霊的成長に関する同じ原則,同じ過程が,いつでも同じように,わたしたち一人一人に当てはまるのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)