そして彼らは、聖霊によって聖められ、衣を白くされ、神の御前に清く、染みのない状態になったので、罪を見て忌み嫌うのを禁じることができなかった。このように清められて、主なる神の安息に入った人々は大勢おり、非常に多くの数に上った。
「手が清く,心のいさぎよい者」2007年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会
わたしたちはこの世の生涯で完成の域に達することはありません。しかし,細くて狭い道に沿ってキリストを信じながら力強く前進し,永遠の行く末に向かって着実に進んで行くことはできますし,そうすべきです。人の霊的成長過程において主が取られる方法は,「ここにも少し,そこにも少しと,教えに教え,訓戒に訓戒を加えて」いくことです(2ニーファイ28:30)。小さくとも着実に前進を続けていくことにより,主はわたしたちが霊的に成長できるようにしてくださいます。神の御前に罪なく歩むための備えは,死すべき生涯の第一の目的の一つであり,生涯にわたって追求すべきことです。それは決して,霊的な活動にひととき集中したからといってできることではないのです。
わたしたちが着実に進歩を続けられるよう,救い主が強め,支えてくださることを証します。モルモン書には,神の御前に清く染みのない者が古代の教会に「大勢おり,非常に多くの数に上った」と記されていますが(アルマ13:12),これはわたしにとって励みであり,慰めでもあります。この古代の教会の会員たちも,皆さんやわたしと同じように,普通の人だったことでしょう。この人たちは罪を見て忌み嫌うのを禁じることができなかったために,「清められて,主なる神の安息に入」りました(12節)。そして,この霊的成長に関する同じ原則,同じ過程が,いつでも同じように,わたしたち一人一人に当てはまるのです。