1998年、私は総合上飯田第一病院眼科部長として、また、愛生会の理事として、常勤医5~6名、非常勤6~8名の眼科を率いていました。網膜硝子体手術、緑内障手術、白内障手術など、民間病院としてはほとんどすべての眼科疾患に対して、それぞれ、日本のトップサージャンに手術をしていただける施設として、学会活動も順調で、一生、勤務医として過ごすつもりでした。ただ、唯一心残りであったのは、自分自身の専門である、屈折矯正に対する手術であるLASIK、PRKなどの屈折矯正手術をやってこなかったのが、残念でした。ただ、これは、自費診療ですので、保険診療とは、別の形態です。名古屋市北区では、そのような患者はいませんので、やるのであれば、名古屋駅と思っていたところ、名古屋駅ターミナルビルで医療フロアを開くということを知り、2000年11月に総合上飯田第一病院の分院ということで、セントラルアイクリニックを立ち上げることにしました。午前は、第一病院の院長として働き、午後はセントラルアイクリニックの院長として働き、3年で黒字にするという目標を立て、順調に患者も増え、赤字額も減っていったのですが、そのころ、東海銀行の貸しはがしがおこり、愛生会に、融資金を回収するという事態になってきました。東海銀行としては、2年で赤字の分院が、3年目で黒字になるかどうかわからない。クローズしろと言ってきたのです。東海銀行としては三和銀行との合併を控え、少しでも赤字を減らしたいということだったのでしょうが、新しく雇ったスタッフのリストラなどをしなければならず、私自身としては、来年は必ず黒字になるという思いがあったので、何とか、もう1年待ってくれとお願いしましたが、話がつかず、そうであれば、買い取ってくれという話になり、清水の舞台から飛び降りるつもりで、買い取って独立しました。 ほとんどのスタッフは残ってくれましたが、愛生会に戻った人もいました。独立して、開業がいかに大変なことかを身をもって知りました。これまで、診療だけしていればよかったのが、膨大な事務作業、お金の手配、人の手配、業者との交渉、疲れ果てて、いつの間にか、頭頂部が脱毛していました。でも買い取った4月から、予定どうり、黒字路線になりました。東海銀行も、結局、見る目がなく、最終的にはUFJ銀行に吸収されてゆきました。
開業して、一番つらかったことは、全て一人で判断しなければならず、相談することができません。勤務医の時は、皆に、いろいろ相談することができますし、わからないことは、事務に聞けばよかったわけですから。
落ち着いてくると、やはり、全て一人でやることは無理があるので、税理士をたのみ、腕のたつ、医師にきてもらい、手術をやってもらったり、外来を分担してもらったりするようになりました。独立して24年たちました。LASIK,PRK、オルソケラトロジー、多焦点眼内レンズ、網膜硝子体手術、緑内障手術を全て日帰り手術でやり、スーパーライザー、高濃度水素吸入療法などを人より早く取り入れ、何とか生き残ってきました。