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一神教の誕生

キリスト以前の、あっちこっちで酷い目に遭うユダヤ人の歴史は
やたらめったらと面白い。その歴史がユダヤ教・旧約聖書にどう
反映しているかを論述。

色川武大が「私の旧約聖書」にて神と人間は五分五分の関係で
あると書いているが、五分五分であるがためにユダヤ人は神に
見放されては酷い目に遭う。そこにおいて神を役立たずと見放さずに
なぜ神に見放されたのかと考え、ここに神と人間との「契約」の関係が
誕生する。

【書物としてGOOD】 2002年

加藤 隆
一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ

戦争の日本近現代史

太平洋戦争について「なぜ負ける戦いをしたのか」と開戦責任を問う声がある。
しかし明治以降の日本は別段、選り好みをして戦争してきたわけではない。
相手構わず、事情がありさえすれば、戦争をしてきたのである。

また「天皇の軍隊」という物言いがある。天皇のために戦い犬死にした庶民という
ニュアンスであろうか。しかし日清戦争では「開戦後は国民も国家もともに、戦争に
よって得られる現実的な利益への期待」を持つ。日露戦争においては、「国民が
戦費負担をしていることを実感」しており、(であるがゆえに賠償なしの講和条約が
成立するや日比谷焼き討ち事件が起きる。)主体性を持って国民は戦争に参加
していたのである。

日本が戦争に向かう意思形成の過程が書かれているわけだが、後半、すなわち
日中戦争の頃には、ただ手詰まりになった日本が浮かび上がるのだが。

【話のネタ本にGOOD】 2002年

加藤 陽子
戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで

東大法学部

東大法学部は、薩長出身でなくとも出世する機会を与えるために
明治時代に誕生し存在した。その変遷を様々なネタを披露しながら
紹介していく新書。 

かつてはボーナスシーズンになると公務員のボーナス1位は東大総長との
ニュースが毎年のようにあったのだが、その東大の特権的地位の低下が
うかがえる。

その東大法学部は官僚予備校であるはずが、年々減少。
その東大に多数の生徒を送り込んできた灘高では、東大を受験する学生が
半数程度となったそうな。学力が落ちたのではなくハーバードやMIT、中国の
なんとか大学など海外の大学に進学する生徒が増えたため。

果ては東大法学部卒でなくては次官になれないと言われていた官界で
農林水産省はついに東大からの採用ゼロという年次が発生したのである。

【話のネタ本にGOOD】 2005年

水木 楊
東大法学部

「小皇帝」世代の中国

中国在住の著者による反日デモの様子と中国の若者像あれこれ。

この12月に出た新刊なのだが、中国の反日デモ直後にあふれかえった
週刊誌の記事やニュース番組のワンコーナー程度の内容が、今頃になって
書籍という体裁で出るとは。時間を経た分のプレミアもなにもない。

新潮新書の敷居はあまりに低い。

【車窓からの眺めの方がマシ】 2005

青樹 明子
「小皇帝」世代の中国

不勉強が身にしみる

書名ほど面白くない。
歯科医でありながら畑違いの著書を多数もつ著者の来歴が
書かれているものとばかり思っていたら、まるでちがった。

【車窓からの眺めの方がマシ】 2005

長山 靖生
不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か

日本映画はアメリカでどう観られてきたか

黒澤明・溝口健二、遅れて小津安二郎がアメリカで認知される。
この流れは誰しもが知ることであるが、本書では芸もなく、
それが書かれている。

よって意外性がなくつまらない。

例えば、岡本喜八の「大菩薩峠」がアメリカではカルト映画となっている。
理由があんなに意味もなく人を斬れるのは麻薬をやっているからだとの
突飛な解釈のためである。

こういう意外性のあるエピソードを期待して手にしただけに、残念。

【車窓からの眺めの方がマシ】 2005年

北野 圭介
日本映画はアメリカでどう観られてきたか

マラソンランナー

国の期待を背負い走るマラソンランナーを通じての「日本人の精神史」。

金栗四三(ストックホルムオリンピックに出走)
孫基禎(ベルリンオリンピックで優勝)
田中茂樹(1947年ボストンマラソン優勝)
君原健二(東京オリンピック)
瀬古利彦(ロサンジェルスオリンピック)
谷口浩美(バルセロナオリンピック)

「日本人の精神史」はここまでで、女子ランナー有森裕子に高橋尚子は
そのようなものはない。

高橋尚子は次のように言う。「有森さんの場合は、走るのが好きとか
嫌いとかじゃなくて、自分が一番輝けて表現できる場所が陸上であり
マラソンなんだというように思えるのです。走ることを通して何かを
達成していきたいともおっしゃっていますね。それに対して私は、
単に走ることが好きでやっているといいますか、これ楽しいよ、あなたも
やりませんか、という次元でやってきたように思うのです」(207)
有森と高橋の違いが端的に高橋によって言い表されている。

また「陸上自体、ちっぽけなものだと思います。でも、たまたま私は
陸上ならがんばれるし、そこでなら満足感を得られる。その意味で
陸上をやってきてよかったと思うのです。他の人はきっと別のことで
同じことを覚えているんじゃないでしょうか」(216)
野球選手ならこうはいかないだろう。エリートなき女子マラソンの選手なら
ではの言葉であろうか。

【時間つぶしにはGOOD】 2003年

後藤 正治
マラソンランナー

コーチ論

「捕手論」の織田淳太郎による。
コーチ論というよりも、いかに出鱈目な指導がまかり通って来たかが
書かれている。

むやみやたらと水も飲まずに走るのが野球の指導である。
ところがランニングで身に付くのは野球では必要のない持久力で、
本来必要な瞬発力はまったく身につかない。それを証拠に高校球児の
筋力測定をすると早い動きの筋肉が一般人と変わらないのだという。

また走り込みで下半身を強化、というのも疑わしく、短距離・中距離・
長距離の選手の中で下半身の筋力が最も弱いのは、充分すぎるほど
走り込んでいる長距離選手である。

【時間つぶしにはGOOD】 2002年

織田 淳太郎
コーチ論

若者はなぜ「決められない」か

当世フリーター論。働かないとなにがまずいのかを論じている。
いつものように漱石の小説が取り上げられるが、漱石だけで
一冊いけそうである。

漱石の講演「文芸と道徳」(1911年)の引用がある。
昔の道徳すなわち忠とか考とか貞とかいう字を吟味してみると、
当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方にのみ
非常に都合のよいような義務の負担に過ぎないのであります。

今は「忠」や「考」や「貞」のかわりに「愛国心」が持ち上がっている。

【車窓からの眺めの方がマシ】 2003年

長山 靖生
若者はなぜ「決められない」か

いっしょに暮らす。

いっしょに暮らす…親子・夫婦・軍隊・ルームシェア・学生寮・ヤマギシ会などの
コミューンと様々である。その考察。この著者にしてはウンチクが効いていない。

唯一興味を惹いたのは和敬塾 。村上春樹の「ノルウェイの森」のかの学生寮の
モデルと言われる寮である。本書によると親子二代でここで生活した者も居るという。
ここのサイトを見るとなかなか興味深く、親子二代というのもわかるような気がする。

【車窓からの眺めの方がマシ】 2005年

長山 靖生
いっしょに暮らす。