モカの雑記録

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光る君へ

 

敦賀の松原客館に立ち寄ったまひろと藤原為時は、

宋人の朱仁聡や通事の三国若麻呂らに迎えられます。

 

浜辺に出かけたまひろは、そこで佇む周明と出会います。

 

その夜、国守を歓迎する宴が行われてまひろは皆と楽しいひと時を過ごします。

 

宴では宋の酒や羊の肉が振る舞われていましたが、

日本人の口には合わなかったように思います。

 

翌日、越前国府に到着、源光雅や大野国勝に出迎えられます。

 

若麻呂の話では宋人は争いを好まず

船の修理を求めているようでした。

 

光雅から船の修理は遅れてはいるものの進んでいると伝えられます。

 

しかし、為時が自ら宋人の問題に取りかかろうとすると反発。

 

為時はこの反応と前越前国守は何をしていたかに疑問を感じ始めます。

 

そして、為時は激務で体調を崩してしまい宋の医師として周明が現れます。

 

為時に鍼治療を行っていましたね。

 

周明は日本語を話せるようで謎は深まるばかりです…。

 

参考:

 

光る君へ

 

藤原定子が髪をおろしたことは内裏に広まり一条天皇は落胆します。

 

任地に赴くことを拒み逃亡する藤原伊周を藤原実資らが捜索、

やがて発見しますが出家したと偽って太宰府行きを拒否。

 

最終的には母と太宰府へ行くことになりますが、

途中で引き離されて馬で移動するように命じられます。

 

定子を守ることができず落胆する清少納言を励ましたいまひろは、

中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイス。

 

こうして、『枕草子』が誕生しました。

 

やがて、まひろは藤原為時とともに越前へ旅立ちます。

 

参考:

 

光る君へ

 

藤原為時が淡路守に任命されて藤原惟規らも大喜び。

 

しかし、まひろは宋の言葉を理解している父は

越前守」の方が適任だと考えて行動を起こします。

 

一方、内裏では花山院の牛車に矢を放った一件で、

一条天皇が藤原伊周と藤原隆家に厳しい処分を命じました。

 

さらに、藤原定子は兄弟の不祥事によって内裏を出ることを命じられます。

 

絶望の淵に立った定子は寛大な処分を訴えて、

藤原道長もそれに同意。

 

伊周と隆家は院の命を危険にさらした罪従者2名を殺害した罪を問われて、

本来は死罪になるところでした。

 

しかし、減刑によって伊周は太宰府へ、隆家は出雲へと流されることになりました。

 

参考:

 

光る君へ

 

藤原道長が右大臣に任命されて公卿の頂点となります。

 

これを境に先を越された藤原伊周との軋轢が高まります。

 

一方、まひろは清少納言のはからいで内裏の登華殿を訪ねることになります。

 

藤原定子との初対面に緊張する中、

一条天皇も現れて話す機会が得られました。

 

ある夜、藤原隆家は女に裏切られたと落ち込む伊周を

強引に女の家へ連れていきますがこれが大事件へと発展します。

 

参考:

 

光る君へ

 

藤原道隆の死後、一条天皇が次の関白に命じたのは藤原道兼でした。

 

道兼は「民のための政を」と奮起していましたが、

関白就任の日に倒れて7日後にこの世を去ります。

 

疫病が死因とされています。

 

そして、清少納言がまひろを訪ねてきます。

 

次の関白は藤原伊周か藤原道長かで

内裏では話が持ち切りだと聞かされます。

 

若くて勢いがある伊周が優勢で、

道長は人気がないともいわれていましたね。

 

しかし、藤原詮子の訴えに耳を貸した一条天皇は道長を右大臣にします。

 

関白ではないものの、

伊周よりも地位が上となって公卿たちをまとめる存在となりました。

 

参考:

 

光る君へ

 

一命をとりとめたまひろ。

 

藤原道長が夜通し看病してくれたことを知らされます。

 

道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていました。

 

また、藤原道隆が体調を崩し衰弱し始めます。

 

藤原定子は兄の藤原伊周が関白に準ずる職につけるよう一条天皇に働きかけます。

 

対する藤原詮子は藤原道兼を関白にしようと考えます。

 

次の関白については道隆や定子が推薦する伊周と、

詮子や道長が推薦する道兼が候補に挙がったのです。

 

参考:

 

光る君へ

 

宮中では、後宮に藤原伊周や弟の藤原隆家らが集い賑わう中、藤原詮子が現れます。

 

一条天皇らが緊張していましたね。

 

詮子がいないとき、

一条天皇や藤原定子が子どものように、はしゃぐ姿が印象に残りました。

 

また、都では疫病が蔓延。

 

安倍清明は従者に対して、

疫神が通るから門を閉めるように伝えていました。

 

疫病が蔓延していても藤原道隆は十分な対策をせず、

道長からは不信感が出始めます。

 

参考:

 

光る君へ

 

藤原道隆は、強引に藤原定子を中宮にして、

藤原詮子を内裏の外へと追いやります。

 

2年後、一条天皇は麗しく成長。

 

道隆の独裁には拍車がかかっていました。

 

藤原伊周らに身内びいきの人事を行い、

定子のために公費を投じ始めていました。

 

藤原道長は兄のやり方に納得がいきません。

 

定子はききょうに「清少納言」という名を与えていました。

 

一方、まひろは近江の石山寺へと出かけます。

 

当時は石山詣が流行していました。

 

そこでは藤原道綱母と出会い、『蜻蛉日記』について語り合います。

 

今回は『大鏡』の「競べ弓」の場面が登場しましたね笑

 

緊張感があってとても面白かったです。

 

参考:

 

光る君へ

 

仕え先を探すまひろは、

土御門殿からの帰りに藤原道長と鉢合わせに。

 

ある日、藤原兼家は道長らを呼び、藤原道隆を後継者にすると告げます。

 

そこで、藤原道兼は納得がいかず激高。

 

やがて兼家が逝去します。

 

跡を継いだ道隆は摂政となり独裁を始めました。

 

前例にないことを進める道隆は、

周囲の人々から反感を買うようになります。

 

藤原為時は藤原宣孝から兼家の死を知らされて涙を流していました。

 

参考:

 

光る君へ

 

4年が過ぎて藤原道隆の娘の藤原定子が、

元服してわずか20日後の一条天皇に入内。

 

道隆ら中関白家が絶頂期を迎えて、藤原兼家の後継争いが始まろうとしていました。

 

兼家は年をとって正常な判断ができなくなり、

関係のないことや意味不明なことを言い出すようになっていました。

 

一方、藤原為時は官職を得られず、貧しい暮らしが続きます。

 

ある日、まひろは市で揉め事に巻き込まれます。

 

文字が読めずに騙された親子を助けようとしますが失敗、

こういった人々を少しでも減らすために民に文字を教えるようになります。

 

参考: