先日、堀茂樹氏(慶応大学名誉教授)に教えていただいたフランス人経済学者ジャック・サピエールのことを調べていたが、タダ者ではないことがわかった。

言語の壁があるため、彼のフランス語の記事に気づいていなかった。
今日紹介したいのは、2022年の2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まった4日後に投稿されたサピエールの報告だ。

ロシアの侵攻からわずか4日後なのに、サピエールの報告は、いままでウクライナ戦争に関わる議論において俎上に載るほぼ全ての議論を網羅している。
この時点でここまでの知識を有していた識者を私は知らない。本当にすごい論者でこの人のことをいろいろ知りたくなるが、今回はこの件だけを紹介したい。


https://www.france24.com/fr/20161111-invite-eco-jacques-sapir-trump-brexit-economie-mondialisation-ehess

サピエールは、EHESS(フランス国立社会科学高等研究院)付属校のCEMI-EHESSの所長。モスクワ経済大学の講師も務め、ロシア科学アカデミーのメンバーでもある。
フランス国防研究財団の研究者で、国防省のコンサルタントも務めるロシア経済と防衛分野の専門家だ。

メディアからは極左とも極右とも称される、いわゆるポピュリストのようだ。反グローバリズム・EU離脱賛成・保護主義賛成の主張を重ねている。
ロシア国営RTとスプートニクへの寄稿が多かったがウクライナ戦争を機に停止した。
ロシア系ユダヤ人の家系だ。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Jacques_Sapir

ルモンドによると、EHESSではマルクスやポストケインズ主義を教えている非主流派とのことだ。
https://www.lemonde.fr/politique/article/2017/04/11/jacques-sapir-premier-du-non_5109353_823448.html


そのサピエールの報告を抄訳する。
仏語→英語に機会翻訳した文章を元にした抄訳なので間違いもあるかもしれないが、大きな問題はないのではないかと思う。

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▼ Ukraine : sortir de la guerre 
Par Jacques Sapir
22年2月28日
https://frontpopulaire.fr/international/contents/guerre-en-ukraine-lanalyse-de-jacques-sapir_co782664
元文章 https://1940lafrancecontinue.org/OTL/JS_Ukraine.pdf

2022年2月23日から24日の夜にロシアとウクライナの間で始まった出来事は極めて深刻である。大規模な軍事介入と軍事作戦の実施というロシアの決定は、ウクライナ領土全体に対する露骨な侵略に相当する。これは不当であり、容認できない

 ◇ロシアによる正当化
・国連の資料によると、ウクライナとドンバス地域の2018年以降の死者数に非対称性がある。全体では1万4000人の死者を記録するが、ドンバス地域ではより多くの死者が生まれた。

・ロシア侵攻前の22年2月24日以前、2月17日~19日に約1500件の停戦合意違反があり、その多くはウクライナ軍からの挑発の激化であったことは疑う余地がない(OSCE報告)が、ロシアの言う「大量殺戮」とまでは呼べない。

・ロシア政府は、ウクライナへの介入を正当化するために、ウクライナの「非ナチ化」について言及した。ウクライナにおける国家主義者、ネオナチ運動の存在は周知の事実であり、文書化されている。
・しかしウクライナの現実は、ネオナチ政権というより、腐敗した寡頭制の国であり、主に外国の私的利益や米国の影響が浸透している。こうした運動は依然として国民や政府内で少数派であり、今でも残っているが極右政党「スヴォボダ」は前回の選挙で2%しか獲得できなかったため、ロシア政府の言い分は過剰である
ゼレンスキー大統領が「ミンスク2合意」の適用を拒否してきたことにも注目しなければならない
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サピエールも、ジャック・ボーや私が以前に使用した同じ国連資料を使用している。2014年~15年の同様の資料はないので、内戦初期の状況はこのあたりの数字から推察するしかないが、18年以降の平均的キルレイシオが「ウ国16:ドンバス81」であることから、基本的にはウクライナ軍が一方的に圧倒的火力でドンバスのロシア語話者を殺戮していたことが伺える。
また、サピエールはロシア侵攻前の2月17日~19日にウクライナ軍からの砲撃が激化したことにも触れている(OSCE報告:それ以前と比べて30倍の砲撃)。これもボーや私が何度も指摘している点だ。米欧メディアの大本営発表のように2月24日にロシア軍が一方的に攻め込んだのではないことがわかる。
【参考】 

 

他方でサピエールは、アゾフやスヴォボーダなどのネオナチの影響をロシアが過大に評価しているとの指摘を行っているが、私はそうは思わない。
例え彼らネオナチの国会での議席が以前より減少していたとしても、軍や警察機構、内務省に上級官僚として深く入り込んでいることは明らかだ。このことはべリングキャットや各人権団体が証明するところだが、重要な点は、2014年以降のウ国は戦時体制であり、軍部などの暴力装置こそがもっとも大きな力を持つということだ。
【参考】

 

そして、スヴォボーダとアゾフは「CIAのアセット」である可能性が高く(https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12796606615.html)、アゾフやネオナチ民兵の部隊に資金援助したオリガルヒのコロモイスキーもアメリカの工作員だったこと(https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12735038527.html)はほぼ確実だ。
大統領だったポロシェンコやゼレンスキーもアメリカの「駒」だろう。
多くの傍証から、アメリカの諜報機関とウクライナのオリガルヒ、ネオナチ運動が深く結びついていることがわかっている。

ちなみにサピエールは最近でも「ロシアの侵攻は容認できない」との発言を重ねているので、この部分はゆるぎないようだ。

サピエール報告に戻る。
 

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 ◇コソボの先例
・ロシアがコソボ紛争を取り上げたことについて。 NATO諸国は当時、「人道戦争」というフィクションの概念の下に身を隠し、西側の報道機関にフェイクニュースを氾濫させていた。彼らがセルビアに対して行った事実上の戦争は人道主義とは何の関係もなく、国際法違反である。NATO諸国は、コソボがセルビアの州であったにもかかわらず独立を承認した。
しかし、NATOと米国がセルビアに対して不当で、言語に絶する作戦を実行した事実があったとしても、ロシアがウクライナに対して同じことを行う権利を決して正当化するものではない。

 ◇国際法の問題
・1990年代末以来、国際法が米国とその同盟国によってひどく悪用されていることは明らかである。コソボから2003年のイラク侵略、さらにはシリアやリビアでの作戦に至るまで、「西側陣営」はしばしば国際法の規則や慣行から逸脱し、悲惨な結果をもたらした。
・フランスとフランスの指導者ら、そしてNATO諸国と米国による現在のロシアに対する非難は偽善であり、過去の行為に対する集団的記憶喪失という不健全性に基づいている
我々は国際法の下で違法な行為を非難しなければならないが、この法に何度も違反した国々、つまり紛争の原因をロシア人のせいにしている米国とNATO諸国、そしてロシアのいずれかが「道徳的」立場があるということはあり得ない。そこには政治的立場だけが存在し得る。
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サピエールが言いたいのは、例えアメリカが、ベトナムやニカラグア、ユーゴ、アフガニスタン、イラク、リビア、イエメンなどで実質的に違法な侵略を行ったとしても、同じことをロシアもやって良いという理屈にはならない、ということだ。(アメリカも過去に国連安保理の決議を無視したり、国連憲章51条「集団的自衛権」を盾に侵略を行ってきた)
サピエールは、法を遵守する学者の立場としてそれを容認することはできない。

私は彼よりもロシアに同情的だ。
ソ連崩壊後から今に至るまでアメリカは約束を破り続けた。NATOを東欧に拡大し、ロシア潰しの包囲網を狭めながらついには2008年にウクライナのNATO加盟を宣言した。
アメリカは、2013年にキエフでクーデターを起こし傀儡政権を樹立、ロシア語話者を弾圧し、殺戮をサポートした。アメリカの庇護のもと、ウクライナは「NATO加盟」を憲法に書き込み、自国史上最大級のNATOとの合同演習を何度も重ね、NATO国から数十億ドル規模の軍事・財政支援を受け、2021年にはとうとうクリミア奪還軍事作戦の大統領令を発令し、20万超の兵力をもってドンバス・クリミアの軍事的包囲を固めた
一方でロシアは再三にわたって「ミンスク合意」を履行するよう要請し、21年冬にはNATOに対して和平調停案を提案するも全てが足蹴にされている。
独メルケル、仏オランド、ウ国ポロシェンコというプーチンのカウンターパート全員が認めたように、「ミンスク協定」はウクライナの軍事化のための時間稼ぎでしかなかった。
NATO加盟国がロシアに戦争を挑むため、一体となってウクライナをけし掛けたことは明白であり、プーチンが騙されていたことが事実だ。
21年末には、ロシアにとって、これ以上一歩も引くことのできない「国家の存立危機事態」となっていた。それが国境付近への軍事演習と称した10万の兵力の結集に繋がった。
プーチンが22年3月7日の演説(https://thesaker.is/extremely-important-statements-by-putin-must-see/)で発したように「ウクライナ軍がNATOに加盟したうえでクリミアに攻め込み、ロシアとの戦闘を開始したら一気にNATO対ロシアの戦線に拡大し、国が滅亡する恐れがある」のだ。そうなる前にウクライナで最も好戦的なネオナチを叩き、非軍事化・非NATO化を政権に迫るしかなかった。

ロシアに避難した民間人と、ロシア支配地域5州に住む親露派の民間人を除いたウクライナ人の約3割が、この戦争を「NATO・ウクライナ対ロシアの戦争」だと認識している。
https://twitter.com/cargojp/status/1686734319434268672
米英を中心としたNATO国とロシアとの代理戦争であることは、周知の事実だ。

再度サピエール報告に戻ろう。

 

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 ◇ロシアの安全保障上の利益
ロシアはNATOの東方拡大に関して安全保障上の懸念を抱いており、それは今も昔も完全に正当なものである。
・ 1991年3月6日、米国外務省、英国、フランス、ドイツの国務長官はポーランドと他の東欧諸国の安全保障について話し合うためボンで会合した。英国、米国、ドイツ、フランスは、東欧諸国のNATO加盟は「容認できない」という重要な点で一致し、ゴルバチョフに伝えられた。
NATO諸国と米国がこの決定に従わないことこそが、西側に対するロシアの不信感の増大の根源である。
ロシア科学アカデミー欧州研究所所長のグロムイコ氏は、この状況を1962年のミサイル危機を念頭に「逆さまのキューバ」と呼んでいる。この類似点は原則として誤りではない。
2022年1月26日にロシアから提出された協定草案をアメリカ政府が無視したことは、ロシア政府の状況認識を悪化させた、いや、決定的な要因となった。(*筆者注:NATOの不拡大要求のこと https://www.aljazeera.com/news/2022/1/26/russian-ukrainian-advisers-to-meet-over-tensions-liveblog
・このロシア政府の状況認識が現在の侵略につながった。この決定は集団的なものであり、よく言われるようなプーチンの「狂気」の結果ではない。
・このことは、ロシアの長期的な安全保障上の利益にとって逆効果になりかねない今回の侵略を正当化するものではない。しかし、歴史的な文脈に照らし合わせれば、この侵略を正当化することはできる。

 ◇ロシアの目標
・紛争の結果については3つの仮説が立てられる。
・ソ連再建のシナリオでは、ロシアがウクライナとその付属地域を軍事占領する。これは明らかにありそうもない。
ロシアはキエフに傀儡政府を樹立するつもりなのか?これは不可能ではないが、その政府は少数派となり、正当性に欠けるだろう。そのようなシナリオは、ウクライナの国民感情を無視することになる。傀儡政府の樹立後、ロシアは際限なく、非常に費用のかかる法執行活動に従事することになる。
・いずれにせよ、最終的にはロシアが撤退し、独立・中立のウクライナが誕生するだろう。この結果が唯一許容できる結果だ。したがって、(停戦協議で)議題にされるべきは中立論(*筆者注:NATO非加盟)である。
・2月27日の日曜日に最初の交渉が開始されているが、これは心強い兆候である。

 ◇どのような交渉プロセスになるか?
・交渉は27日に既にベラルーシで始まっている。まず、敵対行為の終結と、ドネツクとルハンシク2つの共和国の領土を除くウクライナからのロシア軍の部分的/全面的撤退に関するものである。
・この形式は、ミンスク合意の形式を思い起こさせるだろう。ロシア軍撤退に関する明確かつ正確な約束と日程表があれば、交渉のこの段階は完遂されるはずである。
・見返りに、キエフ政府は、これら2つの共和国に対して軍事作戦を試みないこと(そして挑発を避けるために非武装地帯を拡大すること)、そして生じている多くの人道問題(人の往来、年金の支払いや物資の輸送など)を解決するために両国と交渉を開始することを約束する。
・その後、欧州の安全保障構造とウクライナの地位に関連する第2レベルの交渉が始まることになる。これらの交渉には、すべての関係国が参加する必要がある。これらの交渉の目的は、自由で中立なウクライナの定義となるべきだが、ロシアの正当な安全保障上の懸念も考慮すべきである。
・中立に関しては1945年以降のフィンランドや1955年以降のオーストリアの例は、考えられる解決策に光を当てるだろう。国境の保証と引き換えに、ウクライナは憲法からNATOとEUに言及した条項を削除し、商業レベルを除いてNATOにもEUにもその他の地域組織にも加盟しないことを約束するだろう。EUは除外されることになるが、他国との二国間または多国間経済協力協定がウクライナの経済発展に有益であることが判明した場合、これらの協定からは除外されない。またウクライナは発展のためにロシア市場へのアクセスを切実に必要としている。
ウクライナの非武装化には、中距離攻撃兵器(戦闘用無人機、重砲、ミサイル)の放棄やその他の兵器(戦闘機や戦車など)の制限など、ウクライナ軍の軍備の制限が伴う可能性がある)。
・これらの合意は、ウクライナがロシアに向けられた攻撃兵器の拠点になり得ないことをロシアに保証することになる。ロシアがベラルーシを核化しないことと引き換えに、同様の制限をNATOへの「新規参入国」と交渉することも可能だろう。
・以上が基本的なポイントとなる。しかし、米国とNATO諸国がロシアの安全保障上の利益を真剣に考慮することに同意することも不可欠である。好むと好まざるにかかわらず、ここで最初の一歩を踏み出し、欧州大陸の安定を達成したいという彼らの願望が誠実であることを示すかどうかは、NATO諸国と米国にかかっている
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サピエールは最近のエマニュエル・トッドとの動画で、開戦当初のキエフ攻略は、ウクライナに中立化と非ナチ化を迫るための威嚇だったと評している。
トルコが仲介した停戦交渉がまとまりかけ、ゼレンスキーが「中立化」を認めると同時にロシア軍がキエフ近郊から撤退した事実からもこの評価は正しいと見なせる。
https://www.youtube.com/watch?v=AVtZovjZB5g

また、時系列と戦果を鑑みれば、サピエールの言う「停戦交渉のための威嚇」のほかに、南東部4州を取るための「陽動作戦」も兼ねていたと見るのが正しいだろう。

結局、サピエールが言及した、2月末に始まった停戦協議は、3月末にアメリカとイギリスに阻止され(事実かどうか疑わしい「ブチャの虐殺」もその理由として)白紙となったわけだが
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12812435489.htmlhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20220327/k10013553951000.html)、停戦案の内容に関しては、サピエールの当該報告がだいぶ妥当ではないだろうか。現在までに耳にする現実的な停戦案はやはりミンスク合意やサピエール案に似たり寄ったりだ。
ポイントはウクライナの中立化(NATO非加盟)が軸になるだろうが、国境に関しては、ロシアがクリミアと南東4州の併合を宣言してしまったことで、「自治州化の案」はすでに現実的ではなくなっている。

最近はNYTやCNN、WSJ、NPRなどの大本営メディアもウクライナの反転攻勢が失敗であることを伝え、停戦すべきだとの提案もちらほら散見されるようになった。
今年中にぜひ停戦を実現してほしい。

今回の記事ではサピエールによる戦争最初期の報告を扱ったが、彼は、以降も度々鋭い洞察を提供している。また別の機会に抄訳しようと思う。

 

 

 

 

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