前回の続きとなります。
今回はこちらのアトキンソン氏の記事の間違いを正していきます。

日本人の知らない経済政策「PGSを増やせ!」
衝撃の事実!途上国の半分しかない日本のPGS
 デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長 
 2021/03/24 
https://toyokeizai.net/articles/-/417254
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アトキンソン氏:
前回の記事(仮にMMTが正しくても「特効薬にはならない」訳)では「政府によるさらなる財政出動は有効なものの、それが必ずしも特効薬になるわけではない」ことを確認しました。

さて、財政出動については必要性を訴える人がいる一方で、反対の声を上げるエコノミストも少なくありません。そこで今回は財政出動に反対する人の意見を検証し、両者の妥協点を探ります。
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三橋貴明氏や朴勝俊教授、松尾匡教授、室伏謙一氏や山本太郎・れいわ新選組代表、他野党の議員らにさんざん論破されてしまったので、直球で工作活動を行うのではなく、三浦瑠璃氏のような「冷静に両論併記したフリをしながらネオリベ方面にミスリードする」手法に切り替えたようですね。

 

 

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アトキンソン氏:
〇反対意見1:政府支出を増やすと、生産性が上がっても、労働生産性は上がらない

改めて、生産性の本質を確認しましょう。生産性は、創出された付加価値の総額(=GDP)を全国民の数で割ったものです(1人あたりGDPとも言われます)。さらに分解すると、付加価値総額を働いている人数で割った金額(=労働生産性)に、全国民に占める働いている人の比率(=労働参加率)をかけたものが生産性です(生産性=労働生産性×労働参加率)。労働生産性が1000万円で、労働参加率が50%であれば、生産性は500万円となります。

一般的に、政府が支出を増やすと需要が増えます。増えた需要に応じて供給を増やすため、企業は人を雇います。その結果、失業率は下がり、労働参加率が上がり、生産性も上がります。

例えば、労働生産性が1000万円の場合、労働参加率が50%から60%まで上がれば、国全体の生産性は500万円から600万円まで上昇します。
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この部分は朴勝俊教授の記事への反論ですね。

私が浅学のためか初めて聞きましたが、「生産性」は「生産性=労働生産性×労働参加率」のことらしいです。
しかしこの彼独自の方程式ですけど、分解して考えるとなんかおかしいんですよね。

  生産性[金額] = (GDP[金額] / 就労者数[人数])×労働参加率[%]

つまり、「就労者1人当たりの生産額」に、「人口に占める就労者の割合」をかけたものが「生産性」(??)ということになります(笑)。

普通、労働生産性とは「GDP(or 付加価値額)÷就労者数」なので、単純計算すると、もし分母の就労者数が増えただけなら労働生産性の値は下がります。
もし政府支出で需要が増え、就労者数が増えても総生産額(付加価値額)が殆ど変わらなければ、労働生産性は下がる場合もあるということです。

アトキンソン氏が出した数字の例で考えると、彼は「500兆円(GDP)÷5000万人(就労者数) =1000万円(労働生産性)」を想定しているので、この状態から、例えば就労者数が100万人増え、GDPが5兆円増えたとしたら以下のようになり、約990万円と労働生産性は減ります。

  500兆円[GDP]÷5000万人[就労者数] = 1,000万円[労働生産性]
   ↓
  505兆円[GDP]÷5100万人[就労者数] = 9,901,961円[労働生産性]

でもアトキンソン流の「生産性」の式では、「例えば、労働生産性が1000万円の場合、労働参加率が50%から60%まで上がれば、国全体の生産性は500万円から600万円まで上昇します。」とありますので、式はこうなります。

  (500兆円[GDP]÷5000万人[就労者数])×50%[労働参加率] = 500万円[アトキンソン流の生産性]
   ↓
  (500兆円[GDP]÷5000万人[就労者数])×60%[労働参加率] = 600万円[アトキンソン流の生産性]

なんだこりゃ??
[労働参加率]が増えたという前提なのだから、[就労者数]も増えていなきゃおかしいのですが、その[就労者数]が変わらない前提になっている…。しかもGDPも変わらない…。
私の頭が悪いからなのか、よく理解できません。

おそらく「”生産性”原理主義者」のアトキンソンさんとしては、どうしても「就労者が増えGDPが増えたら、生産性が上がる」という結論にもっていきたいがために、「新たに考えた生産性の定義」を持ち出すことによって、誤魔化したかったのだと思われます。

自論の正しさを主張するための無理やりな詭弁ですね。

 

 

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アトキンソン氏:
1人あたりの労働生産性を見るとき、人的資本は同じ人がどのくらい働くかを測るので、政府支出の増加によってプラスの影響が出るのは残業の増加です。ただ、労働時間には制約があるので、大きな影響を生み出すことはありません。

物的資本は簡単に言えば設備投資です。全要素生産性は、人と設備投資をどの程度上手に組み合わせて活用しているかを測ります。技術力、経営能力、規模の経済、組織力、ブランド力などが全要素生産性として把握されます。

労働生産性が政府支出の増減と単純に連動しない原因は、政府支出の増加がどこまで設備投資と経営者の工夫につながるかにかかってくるからです。後ほどこの論点に戻りますが、とりあえずここで私が言いたいのは、ただ単に政府が予算を増やして、お金をばら撒いても、経済が持続的に成長し始めることはないということです。
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「政府支出の増加によってプラスの影響が出るのは残業の増加」と言っていますが、これは経営者が就業者を増やさなかった場合のことであろうと思います。

「ただ単に政府が予算を増やして、お金をばら撒いても、経済が持続的に成長し始めることはない」というのは、多くのバラモン系の皆さまにとって馴染みのあるレトリックでしょうが、アトキンソン氏はどうしてもサプライサイド視点・経営者目線で経済をとらえており、経営者が効率良く人やモノに投資をしないと労働生産性が向上せず、経済成長もしないと考えているようです。
これれは、一部は当たっていますが、やはり、どうしても需要側のことを忘れた議論になっています。

まず、政府が公共事業などに支出する(G)と、その瞬間に国民生産恒等式[Y=C+I+G(Ex-Im)]上でGDP(Y)が増えることは、誰でも理解できる事実です。
恒等式から離れて考えたとしても、まず政府支出(G)を投じられ、工事などを委託された業者が、工事もせず、誰にも給料を払わないなんてことがあるでしょうか?(笑)
ですので、GDPが増えないわけはないのです。

全要素生産性を否定するわけではないけど、極端な例でいうと「穴を掘って壺を埋めて、また取り出す」という、生産的ではない、意味のない工事があったとしても、政府支出(G)を投じれば国民総生産(Y)は必ず増えてしまうものなのです。

前段でアトキンソン氏が「一般的に、政府が支出を増やすと需要が増えます。増えた需要に応じて供給を増やすため、企業は人を雇います。」と自分で認めている通り、政府の継続的な支出があれば、需要が生まれるため雇用は増え、雇用された人々がまた消費するので、嫌でも経済成長(GDPが上がる)します。
これはアトキンソン氏の言う「持続的な成長」そのものではないでしょうか。

アトキンソン氏は「労働生産性自体を上げればGDPや給料も上がる」という謎理論に固執することによって、見当違いの奇妙な論理が導き出されてしまっています。
もちろん事実は「給料、そしてGDPが上がると、おのずと労働生産性も上がる」です。

というか、事実を逆向きで捉えて工作活動を行わないと、大企業に比べて労働生産性の低い中小企業を潰してM&Aするというミッションを促進することができなくなってしまい、結果、自分のM&Aコンサル会社(三田証券)が儲けられなくなるので、必死なのでしょう。

 

 

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アトキンソン氏:
〇反対意見2:労働生産性は上がらないどころか、下がることもありうる

業種ごとの労働生産性は、かなり大きくばらついています。そのため、政府支出を増やす場合、全体の労働生産性より低い業種での雇用増を促す支出を増やすと、加重平均する際にその業種の寄与度が高まるので、全体の労働生産性が下がることも十分考えられます。

例えば、日本全体の労働生産性は546万円ですが、医療・福祉分野の労働生産性は289万円です。医療・福祉分野の雇用を増やすような政府支出を増やすと、労働生産性の低い医療・福祉分野の労働者の構成比が増えるので、この分野での労働生産性がそのままの場合、全体の労働生産性が下がってしまうのです。
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この部分も朴先生に対する反論でしょうが、何の反論にもなっていません。

「政府支出を増やす場合、全体の労働生産性より低い業種での雇用増を促す支出を増やすと、加重平均する際にその業種の寄与度が高まるので、全体の労働生産性が下がることも十分考えられます」と、需要が増えて雇用が増えるだけなら労働生産性が下がることもあると認めているだけですね。

アトキンソン氏の主張は「労働生産性を上げれば給料もGDPも上がる」だったはずですが、これでは、経済成長していても労働生産性は下がることもあるということを認めなければなりませんね。
つまり、労働生産性の高低は殆ど何の指標にもならないし、労働生産性を上げることだけを目的としたらかえって給料やGDPが下がることもあるということです。

「労働生産性の低い医療・介護分野に支出しても全体の労働生産性は下がる場合がある」とのことですが、だから何だとしか言いようがありません。
正直言って、労働生産性なんか上がってたって下がってたってどっちでも良いんですよ。
労働生産性はただの結果ですし、完全雇用に近づけば設備投資も増えて技術革新が起こり能率が上がり、結果としておのずと労働生産性は上がるものなのです。
大事なのは医療・介護分野のような低生産性・低所得分野に支出して、労働者の給料を上げるべく支えることです。
低所得分野の彼らの需要を支え、経済を好循環させなければなりません。

 

 

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アトキンソン氏:
安部政権の間に増えた労働者は、非正規雇用者や最低賃金に近い低賃金で働く学生、高齢者が多かったので、生産性の低い労働者の構成比率が高まり、そのことが全体の労働生産性を低迷させることになりました。これは現実に起きた、まぎれもない事実です。
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その通りですけど、ひょっとして「労働生産性が低かったから給料も上がらなかった」と、既に論破されたことを再び結論として示唆しようとしているのでしょうか。

何度も繰り返しますが、経済が低迷(需要が喪失)していて実質賃金や可処分所得が下がったので、働かざるを得なくなった高齢者や女性が労働市場に参加したけど、低賃金職しかなかった。賃金が低いから結果として労働生産性も低い状態だったというだけです。

「労働生産性が低いから給料も低い」のではなく、「給料が低いから労働生産性も低い」のですが、アトキンソンさんは自身の工作活動の妨げになる事実は一向に認めませんね。

 

 

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アトキンソン氏:
〇反対意見3:GDPに対する国の借金が90%を超えると経済成長に悪影響

2011年に発表された「Growth and Productivity: the role of Government Debt」では、155カ国の1970~2008年のデータを分析して、GDPに対する国の借金比率が90%を超えると、経済成長に悪影響が出るというエビデンスが提示されています。

さらに、借金の比率が90%を超えている国の場合、借金の比率が1割上がると、経済成長率にマイナス0.1%の影響が出ると分析されています。一方、借金の比率が30%以下の国の場合、0.1%のプラスとなります。

特に、借金の比率が90%を超えている国の場合、政府支出の増加は労働生産性に悪い影響を与えると指摘されており、大変興味深く読みました。

数多ある論文に目を通すと、どの論文でもGDPに対する国の借金の比率が90~100%を上回った場合、政府支出の増加は経済成長に対して悪影響を及ぼすとされています。

経済が成長しなかったから借金の比率が増えたのではなく、借金の比率が高くなればなるほど、借金が増えることで経済成長に悪影響が出ることが検証されています(この分析では景気のサイクルを調整しています)。これは私の意見ではなく、エコノミストによる155カ国に及ぶ、38年間分のデータをベースにした、しっかりとした統計分析の結果です。
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当該論文を細かく精査するには至っていませんが、同じように「先進国20カ国の過去110年のデータを分析した結果、政府債務対GDP比90%超の国では、平均成長率が-0.1%になる」とした、有名なケネス・ロゴフとカーメン・ラインハートの「Growth in a time of Debt(債務時代の経済成長)2010年」とする論文があります。

ロゴフはハーバード大学教授でIMFの元チーフ・エコノミスト、FRB理事、CFR委員などを務め、ラインハートは同じくハーバード大学教授でピーターソン国際経済研究所のシニアフェロー、CFRの委員などを歴任、現在は世界銀行の副総裁兼チーフエコノミストを務めています。

このような超有名学者の書いた論文「Growth in a time of Debt」は世界に多大な影響を与え、米英独などの国に緊縮財政を講じさせる要因になりましたが、2013年に、なんとまったくの誤りであったことが指摘され、本人たちもそれを認めるに至りました。(データを分析する手法に大きな誤りがあった)

彼らの論文が主張した「債務がGDP比90%を超えることで、債務と経済成長の間の負の相関関係が大きくなる」という事実は見いだされなかったばかりか、-0.1%とされていた政府債務対GDP比90%超の国の平均成長率が、実際には+2.2%であり、債務対GDP比30~60%の国より、債務対GDP比が90%超の国の方が成長率が高いことまでわかったのです。

アトキンソン氏の引用するAntónio AfonsoとJoão TovarJallesの論文は2011年ですから、ラインハート=ロゴフ論文が発表された直後のもので、誤りが確定した2013年より前のものとなります。
(ざっとAfonso & TovarJalles論文に目を通しましたが、ラインハート=ロゴフ論文とは別のデータを使い、彼らとは異なる手法で分析しているようでしたので、なぜ結果が同じになるのか不思議です。この謎を誰かに解明してほしい)

さらに言うと、アトキンソン氏や当該論文では「債務比率が高くなると、政府支出しても経済成長しない」と考えているようですが、「経済成長しないから、債務比率が高くなる」という逆の経路は考えないようです。

仮に、彼が言うような、「債務対GDP比が高い国の成長率が低かった」ということがあったとしても、それは債務の積み上げを恐れた政策立案者たちが「戦力の逐次投入」というかたちで緊縮財政をしいて、経済成長を鈍化させ、余計に債務比率を高めてしまったものであるということもいえるでしょう。

当該論文では、「債務比率が高くなると、政府支出しても経済成長しない」という因果関係の向きを「前提」としたことについて、説明がありません。
(結局、非ケインズ効果が本当に認められるのか甚だ疑問であるということです)

MMT創始者のランダル・レイ教授は、以下のように説明しています。

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ランダル・レイ バード大学教授:
日本は景気後退に直面した際には一時的かつ十分ではない財政刺激策を行い、景気が回復し始めると思われるときには必ず緊縮財政を行うという、ストップ・ゴー型の財政措置を一貫して選択してきた。
これを赤字と債務が大きすぎるという信念によって正当化した。

[中略]
日本が大きい赤字と債務を抱えているのは、積極的な財政政策をしたためではなく、積極的な財政政策をしなかったためである。

 ▼ 少子高齢化は問題じゃない。レイ教授に教わる日本の「Stop-Go-Stop政策(ドケチ財政)」
  https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12664539224.html
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また、「債務比率が高くなると、政府支出しても経済成長しない」説に、2014年のIMFが真っ向から反対の論理を唱えています。
米国の元財務長官でハーバード大学元学長のラリー・サマーズは、2014年の「公共投資はなぜフリーランチなのか」という記事でこう述べています。

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IMFが最近発表した「世界経済展望」は、注目すべき重要な文書となっている。
IMFは、公共インフラへの投資を大幅に増やすことを提唱しているのだ。
IMFは、先進国の多くがそうであるように、失業率が高い場合には、他の支出を削減したり増税したりするのではなく、借金をして投資を行う方が、景気刺激効果が大きくなると主張している。
最も注目すべきは、IMFは、適切に設計されたインフラ投資は、政府の債務負担を増やすのではなく、減らすことができると主張していることだ。
公共インフラ投資はそれ自体で採算がとれ、経済のキャパシティーを広げることによって、インフラ投資はあらゆるレベルの債務を処理する能力を高めるのだ。
IMFは1ドルの投資で3ドル近く生産高が増加するとしている。


どの国においても重要なのは、経済が停滞し、公共投資が十分に行われていない状況下で、政府が経済と自らの財務状況の両方を強化するための方法として、フリーランチがあるという認識だ。
「手厳しい愛」の緊縮財政の砦であったIMFが、この重要な覚醒に至った。
IMFのリードに従う知恵ある国は利益を得ることができるだろう。

 フィナンシャル・タイムス ラリー・サマーズ「公共投資はなぜフリーランチなのか」 (cargoによる抄訳)
 https://www.ft.com/content/9b591f98-4997-11e4-8d68-00144feab7de
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最近でも、IMFは財政モニターの報告から、「先進国でも中国のように公共投資を拡大すればGDPが上がる」という主旨の分析をしています。

多くの先進国の債務はGDP比で80~90%以上ですから、IMFの報告からも債務の多寡は経済成長に関係ないことがわかります。



アトキンソン氏は、この10年で「時代が変わった」「常識が変わった」ことを知らないのでしょうね。


さて、この反論記事も長くなってきたので、続きは次回にします。
長文を最後までご覧いただきありがとうございました。

cargo