しつこいようですが、今回もスガ政権の中小企業潰し政策と労働生産性の件についてです。

スガ首相やブレーンのアトキンソンさん、財務省や経産省は、「中小企業の労働生産性が低いから、大企業に合併させれば全体の労働生産性もあがって経済成長するのだ!」として、中小企業を潰し、大企業にM&Aさせようとしています。
M&Aの際には、不採算部門やいらない人材を切り捨てられることになります。

コロナ禍で疲弊する企業にそんなことをしたら、余計に不況を深めてしまうことは明白ですが、このショックドクトリンを荒療治か何かだと勘違いして完遂させるようです。


画像出所:日経新聞  中小企業減 容認 
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61616000W0A710C2EE8000/


【参考】

菅内閣はコロナ禍に便乗し「中小企業潰し法案」を成立させようとしている
https://diamond.jp/articles/-/264052


そもそも大企業の労働生産性がなぜ高いのかというと、下請けに費用対効果の低い仕事を請け負わせ、その上澄みをハネているからであって、大企業というものが、なるべく少ない労働で高い付加価値を生み出せるメカニズムになっていることは、社会人であれば誰でも知っています。

【厚労省】COCOA、元請けのパーソルは2億9448万円で受注 下請けMTIへの委託は1615万円
https://newsplus.grade.tokyo/article/post-14963.html

上記のコロナ感染者追跡アプリ「COCOA」の件は、顕著な例ですが、大抵の企業間の関係ってこんな感じですよね。
逆にいうと、大企業というのは、ピンハネ対象となる下請けがいないと儲けを出せないのですから、その中小企業を潰してしまったら、いったい誰から搾取すればいいんだ?という話にもなります。

儲からない仕事を請け負う中小企業をどんどん潰していってしまったら、この社会に儲かる仕事しかなくなってしまう方向にインセンティブがはたらきますよね。
そうすると、労働生産性の低い飲食や宿泊業、音楽や娯楽、福祉といったサービス業(下図参照)がこの世から消えてしまいませんでしょうか。

現在、各地で見られるシャッター商店街なんかはその証左となりえるでしょうけど、価格の安い海外の原材料を使って海外で製造し、日本でアマゾンやコストコで売る…、そんなディストピアになってしまいませんかね。


https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2020/chusho/b1_2_2.html
出所:経産省・中小企業庁


スガ政権が、個人事業主やフリーランス、文化芸術関係、宿泊旅行業や小売全般など、コロナ禍でもっとも打撃を受ける人達にコロナ支援をほとんど出さないのは、こういった生産性の低い業界の中小・零細企業を一気に潰してしまいたいからでしょう。(緊急事態宣言発令地域の飲食業だけは批判が大きかったので例外的に支援対象としましたけど)

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本稿では、労働生産性の問題とともに、経済学における上部構造と下部構造についても考えてみたいと思います。


ケインズは「主流派は上っ面の計算はよくできてても、前提となる下部構造が間違っていませんかね?」と古典派を批判しています。
これが偉大な名著「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936)が書かれた理由ですね。


 「ポストケインズ派経済学入門」 マルク・ラヴォア(2009) より

「新古典派(ネオリベ)は道具とか手段にばっかこだわってるけどさ、その道具って現実離れしとらんかい? 
なんで社会の全員が合理的判断ができるって前提になってんの?」
と、ポストケインズ派のラヴォアも、下部構造の設定がおかしいというようなことを言っています。

ポストケインズ主義(以下PK)は70年代に、新古典派やネオリベに対抗すべくケンブリッジ大学のロビンソンやカレツキ、カルドアらが始めたものですが、彼らの研究がその後にミンスキーやMMT派に繋がっていくことになります。
PKは、広義では70年代以前のラーナーやガルブレイスも含まれるとされます。

ラヴォアが言う「道具」とは「合理的経済人」とか「合理的期待形成」のことで、新古典派が好んで使っていた前提となります。


https://u-note.me/note/47506215

上記を見たら、経済学にあまり触れることのない人や、私のようなシロウトにしてみれば「そんなわけねえ!」と即座にツッコミが入りますよね。


一般均衡理論の礎を築いたノーベル経済学者のケネス・アローも、新古典派の「合理的経済人」という「ミクロ的基礎づけ」についてこう言っています。

集計レベルでは、合理的な行動という仮定は一般に何のインプリケーションも持たない」(1986)

インプリケーションとは「意味合い」ということで、要するに「合理的行動を前提に置いた視点は、マクロで見たらなんの意味もねえぞ」と言っているのです。

彼は後に、「個人の好き嫌いと全体の行動が一致するわけがない。そんなもんが実現できた社会があったとしたら、それは独裁主義国家だろ(アローの不可能性定理)」とも結論付けています。

つまり、世の中には不確実性があって、そういうことを全部合わせて定式化することは不可能だというわけです。


日本でもおなじようなことを言う人たちがいるので、こちらも紹介させてください。

日本のPK派の第一人者、渡辺良夫・明治大学教授の論文から引用します。

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リーマン・ショックからすでに年が経過したにもかかわらず、資本主義経済はグローバル金融危機の後遺症が癒えないままで、多くの国が大後退から長期停滞へ陥った。 

こうしたグローバルな規模の経済・金融危機が発生したという事実は、自由市場主義を信奉する主流の経済学に対する信用を失墜させるとともに、はからずもケインズの貨幣経済思想に対する関心を復活させる契機にもなった。 

このようにケインズ経済学と政策に対する関心が再び復活したことは, ノーベル経済学賞の受賞者であるアカロフとシラーといった主流の経済学者たちでさえ,「経済の本当の仕組みを理解するには, マクロ経済理論にアニマル・スピリットを組み込む必要がある……マクロ経済学をきれいにして科学的にしようとする中で, 標準のマクロ経済学者たちは, 完全に合理的に行動したら経済がどう動くかだけに専念することで研究の構造と規律を課してきた」と述べるように変わってきたことにも見て取れる。

明治大学教授・渡辺良夫
https://economics.rikkyo.ac.jp/research/paper/pudcar00000002ed-att/p061-082_73-2watanabe.pdf

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この場合の主流派というのは新古典派のことで、アニマルスピリットは「非合理的な行動を伴う不確実性」ということになりますでしょうか。

PKの学者だけでなく、土木工学の学者さんも同じような批判をしていますので論文を引用します。

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土木計画学の分野で用いられている個人行動モデルの多くは, 新古典派経済学の合理的選択理論にその理論的基盤をおいている。

【中略】

これまで通り様々な分析対象に対して合理的個人を仮定した行動モデルを盲目的に適用して良いものであろうか?

ロジットモデル等を実際に扱ったことのある人であれば、少なからず、モデルのキャリブレーション段階において「現実と合わない」「観測データを再現できない」ことに手を煩わせ、予測の段階においては「直感的な行動基準と異なる」「これまでの変化パターンを再現できない」ことに頭を悩まされたことがあろう。

名古屋大学大学院教授 森川高行
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscej1984/2002/702/2002_702_15/_pdf

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いろんな人が主流派の前提条件、つまりケインズが言うところの下部構造がおかしいことを指摘しています。

MMTerがあまり数式を使わないのも、このように現実離れした、変に一般化した仮定を置いて計算すると、逆に間違ってしまうからに他なりません。
(内閣参与の高〇洋〇さんは、MMTは数式がないからデタラメだと言っていますが…)

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このことをふまえて次のことを考えてみましょう。

「スーパーのレジ係が2倍速で仕事したら、スーパーとしての労働生産性はどうなりますか? 上がると思いますか?」

3年前の国会での興味深いシーンから引用します。
 

▼ 参院予算委員会基本的質疑 民進党・新緑風会 大塚耕平議員 2018年3月1日
https://www.youtube.com/watch?v=AnBHvJooSYI
  *上記ビデオの1時間15分あたりの部分を抜粋。
 
 【前略】

 (政府が労働生産性を毎年2%上げることを目標とすることについての質問)
民進大塚代表(当時) 「スーパーのレジ係が2倍速で仕事したら、スーパーとしての労働生産性はどうなりますか?上がると思いますか?」

加藤勝信厚労相(当時) 「GDPを分子とする定義とは変わるかと思いますが、この場合は上がります」

安倍首相(当時) 「生産性は上がるというふうに考えます」

大塚議員 「総理、これは一緒になって考えてもらいたいのですが、この場合レジが倍速になってもスーパーの売上は増えないんですよ」

 【中略】

 (前段の大塚議員の「労働生産性はそれなりに上がっているが企業の労働分配率が低い」とする話に対する答弁として)
日銀黒田総裁 「実質賃金ギャップについては、労働生産性の上昇率と実質賃金の上昇率を比較して、労働生産性の上昇率のほうが実質賃金上昇率より高い場合は負のギャップができている。逆に労働生産性の上昇率を上回って実質賃金が上がっているときは、ギャップが縮んでいるということであります。現在は労働生産性の上昇率に実質賃金が追いついていないので、実質賃金ギャップが大きい」

大塚議員 「総裁がおっしゃったように”労働生産性の上昇率に実質賃金が追いついていない”。そのことによって国民の購買力が伸びていない。客の購買力が増えなければスーパーの売上も増えないんですよ。こういう認識を共有していただかないと、この労働生産性の議論がかみ合わないのです」
 

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大塚議員の言う通り、レジ打ちが倍速になってもスーパーの労働生産性は増えません。

 

どんなに一生懸命に働いて、合理的に仕事の効率を上げたとしても、お客さんの財布の紐がかたくてモノが売れません。
需要がなくてモノが売れないのだから、レジが倍速になろうが生産性も売り上げも上がらないのです。


これは過去にも何度も私や朴教授が言ってきた通りです。

【参考】
▼ 生産性を上げるために中小企業を潰し大企業に編入してもGDPは下がるだけ。③
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12655030571.html
▼ 「改革して生産性を上げても給料は増えない」~新自由主義者の間違い【下】
https://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12612426911.html

安倍ちゃんはよく理解せずに「生産性は上がる」と答えているだけですが、加藤厚労相(当時)は、「労働生産性という道具」の使い方を間違ったうえで返答しています。

加藤厚労相は「労働生産性=GDP(もしくは付加価値額)÷労働量(労働者数や労働者数×労働時間)」という式だけを見て返答していて、黒田総裁も「そもそも需要がない」という視点が抜け落ちて近視眼になっているのだろうということです。


労働生産性=GDP(もしくは付加価値額)÷労働量(労働者数や労働者数×労働時間)」の式の付加価値額には賃金も含まれますが、賃金を上げるには政府が需要を創出して好景気にしなければなりません。
分母の労働時間を短くしたり効率を上げても限界があります。

 

経産省や厚労省なんかは、そういった現実を無視して、「企業が効率を上げればGDP上がる」として、すべての政策を講じています。
彼らの労働生産性に関する考え方は、構造が逆転してしちゃってる、というか無茶苦茶なんですよ。

前回のブログ投稿で、イエレン財務長官の発言を翻訳しましたが、科学的事実は以下のようになります。

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この当時から安倍氏や日本政府は「労働生産性向上 → 賃金上昇 → GDP増加」と、前提を設定してしまっている。

でも、正しい前提は「政府支出 → 需要増加 → 賃金上昇 ≒ 労働生産性向上 ≒ GDP増加」となります。

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「卵が先か、ニワトリが先か」論のように感じるかもしれませんが、ヒヨコに卵を産ませようとしても無理な話です。

ヒヨコがニワトリに成長しなければ卵は産みませんよ。

前提を誤って置いてしまってるから、どんなに精巧な道具を使えたとしても、解答が誤ったものになってしまうんです。


実はこの「倍速レジ係」問題、三年前もまったく同じ話題をブログで取り上げ、私はまったく同じ結論を出しています。


みなさんにも、「労働生産性を上げれば給料もGDPも上がるという論理は誤っていて、まず需要を創出すべく政府支出することこそが正しい経済政策だ」という科学的な事実を、お近くの国会議員などにお伝え願いたく思います。
(*当然ながら、正しく需要を創出するには、ただ政府が支出するだけでなく、支出先や分配の形も問われますし、労働組合の交渉力や労働規制の強化が伴わなければなりません)

このままスガ政権が推し進める「中小企業淘汰政策」が進められると失業者や負け組が増え、亡国必至となりますので、なんとかストップさせなければいけません。


スガ政権の数少ないコロナ経済対策の一つが「困ったら生活保護を受けろ」ですが、生活保護の受給数は、このコロナ禍の2020年であっても減少傾向にあり、水際作戦を徹底させていることがわかります。


 

「中小企業淘汰政策」によって生まれた失業者や負け組に対する「最後のセーフティーネット」がこの状態では、本当に自殺や犯罪が増えてしまいます。
そんなディストピアは嫌ですよね?



本日はここまで。

最後までご覧いただきありがとうございました。

また次回!

cargo