出来ないことに対して責めても意味がない。
「どうしてこんなこともできないんだ!」
と、叱責する人がいます。
それって、違うと思いません?
それが、自分の部下に対してかけた言葉であれば、なおさらそう思います。
上司であれば、その人を伸ばしてナンボだと思います。
伸ばしてナンボなのに、その人の可能性をつぶすような言い方や態度を取ってしまっては、本末転倒だと思います。
短期的に見れば、叱責したくなる気持ちも分かりますが、それでは長期的に良い結果はもたらしません。
できない原因を一緒に探ることこそ、大事だと思います。
究極の政治とは。。?
ふと、思いついて、あ、これが政治の究極かな、と思うことがありました。
若者の政治離れが 、議論を呼んでいますが、そこに政治の目指すところがあるのだと思います。
つまり、政治を意識しなくとも、日常生活にまったく支障がない状態が、政治の目指すところじゃないかと。
考えてみれば、私にとって小さい頃、家があって、食事があって、両親がいて、、というのが普通でした。
家の心配も、ましてや食事や生活費の心配などまったくしていませんでした。
それって、家庭という小さな政治体の中で、親がうまく政治をしてくれていたからだと思います。
アンチテーゼになりますが、政治を意識しなくとも良くなること。
そこに、政治の目指すべきポイントがある気がしました。
判断の正確性 → 情報量とその情報量を処理しきれる人間の数
人間、時には間違います。
どんなに仕事が正確な人だって、絶対に間違いを起こすことはあります。
そして、間違いを起こす割合を減らすことが、組織として取り組むべき課題であると思います。
判断をするためには、そもそも情報が必要です。
ミスが起きた背景を考えると、その情報量が多 いときに起こりやすいと感じます。
(逆に、情報が圧倒的に少ない場合もそうです)
情報が多いと、つまりは、結果に影響を与えるファクターが多くなり、どのファクターがどのような影響を及ぼすかを、見切れなくなります。
であれば、情報量に対して、その情報を処理しきれる頭数を揃えることも、解決策の一つといえるのだと思います。