7/5(火)に発生した、那覇基地所属のF-15戦闘機の墜落事故に対し、防衛省の公表があった。

それによると、当該期は午前10時ごろ、戦闘機戦闘訓練(ドッグファイト)のため飛行場を離陸。訓練空域において、「knock it off!(訓練中止)」コールを懸けた後、レーダーからも消失し、消息を絶ったようだ。

現場では当該機の機体番号がプリントされた垂直尾翼の残骸が収容されている。

機体の大方は海底に沈んでいると思われるが、海底深度が1000mを超える所らしく、引き上げには時間を要しているようだ。

詳細な事故原因は、これから調査が進むと思われるが、推定原因は「G-ROCK(高機動により発生した高Gによる意識喪失)」と見られている。

戦闘機の操縦者は、常に高Gと闘いながら敵機を追いかける。瞬間的には7G位の過重に耐えながら、窮屈なマスクの中で苦しそうに「ヴッ…ハァハァ」と独特な呼吸法を続けなければならない。

気を抜いていたら、あっという間に足元に血液が下がり、脳が酸素欠乏状態に陥り、

グレーアウト(目の前の景色が薄くなり白黒になる状態)⇒ブラックアウト(瞬間的な失神状態)⇒Gロック

と危険状態に陥る。

私も現役時代に、同乗訓練を実施した折、グレーアウトを体験したことがある。



何故そこまで辛い思いをして、鋼鉄の翼を持つイカロス達は、過酷な音速の世界に羽ばたくのだろうか。

それは、愛する祖国と美しい大空を護るために他ならない。

来ないかもしれない仮想の敵を想定し、彼らは来る日も来る日も大空の下で命を削るほどの鍛錬を怠らないのだ。


東北の災害派遣に活躍した自衛官達の勇姿は、マスコミよって大きく報道された。これまで、自衛隊の迷彩服が画面に収まるのをことごとく嫌悪していたテレビメディアまでが、輿論の流れを嗅ぎ取って、我先にとばかりに喧伝した。

しかし、航空自衛隊の本来任務である「防空」のために、日々命を削るイカロス達には、メディアはまるで無関心である。メディアが常に真実を語ると思ってはいけない。

メディアが語らないのであれば、我々が真実を語たりつがねばならない。


大空を翔けたイカロス達の勇しさと、その国家に対する真心の深さと、その自己犠牲により失った命の尊さを。
残された家族の悲しみが癒えるその時まで。
いつか彼らの子らが、父と同じように空に羽ばたくその日まで。
本日7月11日で、当選一周年を迎えます。(正確には12日の朝5時ですが…)

昨年の参議院選挙から早くも一年という月日が経ってしまいました。

振り返ると怒涛の一年間で、目にすること経験することの全てが初めての体験ばかりの中、とにかくガムシャラに走り続けてきた感じがします。

国会でも、委員会等で幾度となく質問にも立ちました。単なる批判に終わらないよう、また、意見陳述に終わらないよう、質問作成に時間をかけ論点を明確にし、正論を突き付けることで、より国益に叶った答弁を引き出すよう心掛けてきました。

国会以外では、全国各地にて講演をさせていただく機会を多く得ました。その時々で争点となっている政治問題を解りやすく整理をしてお伝えすることで、逆に自分の頭の整理にもなり、思考する力の向上になったと思います。

この一年間で、一体どれだけ成長できたのかは自分自身ではよく解りません。

しかし、選挙に打って出た時の日本を立て直そうという想いと、支えてくださる皆様への心からの感謝の気持ちは、より一層深まった一年間だったと実感しています。

野党の一年議員として、未だできることなど限られておりますが、

これからも

本質を見失わない努力と、常に正論を説く勇気と、ご意見ご指導に素直に耳を傾ける謙虚さを失わず、

弛まぬ努力を続けていくことを改めてお誓い申し上げます。

皆様、本当に一年間お世話になりました。

心からの感謝の気持ちを込めて

参議院議員 宇都隆史  拝
七夕というと、笹の枝に短冊に願い事を書いてぶら下げた遠い昔のことを思い出す。

「なぜ願いことをするのだろうと?」と調べてみたら、江戸時代ごろから織姫が女子の手習いである織物に長けていたことにあやかり、「習い事が上達しますように」と願をかける女子のお祭りであったようだ。

日本の古来からの季節行事なのに、いつの間にか、本来の趣旨からかけ離れ、形骸化した風習が多くなってしまったことに、寂しさと伝統を継承できていない申し訳なさを感じる。

七夕は、棚機(たなばた)とも書き、織姫と彦星の年に一度の出会いの日。

その伝説とは…

天帝の娘であった織姫は、機織の得意なしっかり者。牛追いの彦星は織姫に恋をし、やっとのことで父である天帝に二人の仲を認めてもらう。夫婦になった二人は毎日が楽しくてしょうがなく、ついつい怠惰な毎日を過ごしてしまう。怒った天帝は二人の間に天の川を流してしまい、引き裂かれた二人は、年に一度、七夕の夜だけ会うことを許されるようになった。というお話

今夜、東北では、家族や恋人を失った者たちが、いったいどれほど大きな悲しみを胸に、天の川を見上げているのだろうか…。

被災地で活躍した自衛官の家族は、行方不明者を含め約460名が津波によって、家族の元から引き裂かれた。

沖縄では墜落した空自戦闘機パイロットが未だ見つからずに、冷たい海のどこかで助けを求めている。残された家族の「せめて無事で、もう一目会いたい」という切なる想いは、年に一度逢瀬できる、彦星や織姫の比ではないだろう…。

七月七日は、家族と普段通り過ごせる喜び、愛しい人と当たり前に語り合える喜び、自分の周りにいる人に心から感謝をする一日にしてみてはいかがでしょうか。

短冊に願いを込めて書きます。

「せめて今夜は、親を亡くした子供たちが夢の中で、お父さんやお母さんと会えますように。」
読売新聞の朝刊に

今春卒業した大学生のうち、正社員など正規雇用で就職した割合が載っていた。

男子:57.7%
女子:66.4%


さて皆さんは、この数値をどのように考えるだろうか?

「ヒトラーの経済政策」(武田知弘著:祥伝社新書)という本を以前読んだ。その中にとても興味深い一節があった。

この本は、「ヒトラーが当時のドイツにおいて絶大な人気を集めたのは、演説の巧みさや強いリーダーを望む大衆の空気という側面のみならず、当時の経済政策・雇用政策・福祉政策により劇的な復興を成し遂げたことが大きい」という論調の下、個々の具体的政策を検証しているのである。

私が最も興味深く読んだのは、ヒトラーの少子化・ニート対策(P63)である。

以下要約

◆結婚できない貧しい若者(ワーキングプア)達のために、「結婚貸付金制度」を設け、1000マルクを無利子で借りられるようにした。(現在の日本円に換算すると200万円程度)この貸付金は、子どもを一人生むごとに返済金の1/4が減額され、4人産むと全額免除となった。
これは少子化対策である一方で、雇用対策でもあった。
ナチス政権は、女性を家庭に帰そうという政策を採った。それは家庭で子どもを産み育ててもらうためでもあったが、如何にして男性失業者を減らすかという工夫でもあった。
「女性が失業しても社会に与える不安は少ないが、男性が失業すると、大きな社会不安になったからだ」


現代の日本社会でこのようなことを公言すると、世の女性たちから一斉に糾弾されそうであるが、私は一つの真理をついていると思っている。

何故ならば、「無職」という条件は、女性にとっては結婚できない理由にならない場合が多いが(家事手伝い等)、男性の場合、結婚の前提には経済力が必要だからである。(まれに愛があれば何もいらないというパターンは、ごく少数なので除く。)

社会には無限の雇用先があるわけではない。一定の雇用というパイを巡って、若者たちは自らの能力を会社にプレゼンし、雇用という椅子を獲得しなければならない。

対等な条件で就活をすれば、努力家で真面目な女性の方が有能な場合が多いだろう。しかし、それによって職に在りつけない男性の社会に与える不安定要素を、政治は見落としてはならないことを、この本から考えさせられたのである。

雇用政策を考える際、男女の性別によって社会の役割のどの部分をお互いに担っていくのかということを、社会全体を捉える目を持って議論する必要があるのではないだろうかと思う。

(※決して女性を軽んじているわけではないことを付け加えておきます。)

復旧に勤しむ被災地にでかけ、出迎えの態度が悪いとして現地指揮官である知事を「恫喝」した大臣が昨日までいたような気がする。

その元大臣が「自衛官であれば長幼の序を重んじるだろ!」というようなことをおっしゃったようだが、儒教の教えと軍規は全く別物であるということを日本の政治家は全く理解していないのだろうか?

年長者に対し、私的な場で丁寧語を使ったり、上座を進めたりと一般的な敬意を払うのは礼儀であり一般常識であろう。
しかし、公の場では指揮系統に属しない上級者に対し、隷従することは絶対にない。それが軍規である。

父親ほどの年齢の部下に対してでも、強い命令口調で指示を出せない指揮官は、決して部下はついてこない。そこには「長幼の序」など存在しない。

また、例え階級が上であっても、自分が属する部隊の指揮権を有しない者の命令など無効であるのだ。そうでなければ、階級が下の者であれば自由に動かすことができることになり、危なっかしくてしょうがない。


そこで考えるに、県知事は復興担当大臣の指揮系統に属しているのだろうか? 

勿論そんなわけはなく、地方自治を司る知事と国政を司る大臣の間に上下関係など存在しない。

「互いに立場を尊重しあい復興に努力していくべきカウンターパート」と捉えるのが常識的考えだ。

元大臣は「不適切な発言」によって辞表を提出されたようだが、本来は恫喝したこと(つまり人間的な資質)が問題なのでなく、復興担当大臣としての権限と責任の範囲を理解していないことが大問題だということを、メディアはもっと正確に伝えるべきである。


ちなみに、皆さんは「長幼の序」の他の4つの教えをご存じだろうか?

長幼の序は「孟子」に出てくる人間が備えるべき5つの徳目「五倫」の一つである

【父子の親】(親子は、互いに親しみあいなさい)

【君臣の義】(上司部下は、互いに義を重んじなさい)

【夫婦の別】(夫婦はそれぞれの役割を区別し、補い合いなさい)

【長幼の序】(年長者を敬い、節度を保ちなさい)

【朋友の信】(友人同志は互いに信頼を厚くしなさい)

最近の中国人と民主党議員に教えてあげたい道義ばかりである。
本日、小川防衛副大臣が、馬毛島への自衛隊施設の建設やFCLP代替施設について、西之表市長等への説明のため、鹿児島に出張している。

地元自治体は、民主党の根回し不足と手段・手順を考えない稚拙な政治手法に、完全に拒絶しており、このままでは普天間と同様の結末にしかならないだろうことが容易に想像される。

FCLPというのは、米空母艦載機離発着訓練の略。

元々、厚木基地に所在していた米海軍が、岩国に再編されるため、それに伴い硫黄島で行っていた離発着訓練の移転先を2009年までに探さねばならなかったものだ。

しかし、現下の状況で、新たな米軍基地を作るということは許容されない。そこで、自衛隊の施設を作り、南西諸島の防衛拠点として、また災害派遣基地として活用すると共に、FCLPに関しても使用させてほしいというのが防衛省の考えである。

私は個人的に、悪いことばかりではないと考えている。

何故ならば、

①鹿児島から沖縄までの600㎞の離島地帯には、自衛隊の部隊が存在せず、まさに軍事的空白地帯を生み出している。飛行場を伴う自衛隊施設を設置できれば、同時にレーダーや湾港等も整備し、薩南諸島の防衛拠点となりえるし、また離島であることから飛行場の外れに、陸上部隊の着上陸作戦を行うための訓練場を作ることもできるからだ。

②前回の奄美での豪雨災害時の災害派遣でもそうであったが、ヘリで駆けつけるのに鹿児島からよりも沖縄からの方が近いという状況を実際に体験しており、災害対策のためにも薩南諸島の一部に拠点を設けることは、災害時の離島民の生命の確保に直結する。

③現地に自衛隊施設を置くことになれば、常時100人程度の自衛官が常駐することになることが予想される。これは地域にとっての災害防災能力の向上につながるし、何より地域経済の活性化にも貢献できるはずだ。


問題はFCLPの受け入れを前提としていることである。

何の説明もなきまま、米国で開催された2+2会議の共同声明文に、堂々と「馬毛島」の名前が載せられた。このような地元軽視の進め方があって良いものだろうか?地元住民が頑なになるのはもっともだ。

民主党の鹿児島選出の議員(川内博史氏)が反対の旗を振っていることも大問題である。まずは与党内で議論し、意見の一致見るのが当たり前の手順であろう。


今回の小川副大臣の鹿児島出張は徒労に終わるだろう。
政治というのは、人の気持ちを大切にしながら、順序をたがえずに礼節を重んじ、忍耐強く説得や説明をしなければ成るものではない。

もし普天間や馬毛島が、仮免許の民主党に現実的政策の進め方を教えるためコストだとすれば、それはあまりにも大きな代償である。
国家の自主防衛とは、いかにして国家存続を図るかというりアリズムの追求に他なりません。

このような話をするときに排除しなければならないのは、感情論でしょう。

「宇都さんは親米派?それとも反米派?」

等と聞かれることがありますが、国家存続のためにどちらがより制度が高いかの問題で、そこにナショナリズムを持ち込むと、話がややこしくなってくる気がします。

特に自主防衛というと、軍事的なテーマが全面に出すぎて、日米同盟の在り方、集団的自衛権の問題、核抑止力の問題等が議論されますが、それは自主防衛を考える上での一面に過ぎません。

国家存続を真剣に議論するのであれば、以下の5つの項目について包括的に議論していく必要があると思います。

1 軍事的問題(同盟のあり方や集団的自衛権、核保有問題含む)
2 産業技術的問題(軍事産業の技術力の差、国内産業基盤の厚み)
3 情報能力の問題(軍事に限らずありとあらゆる情報戦における収集・分析能力)
4 エネルギー確保の問題(国内資源、自活できるエネルギーの量)
5 食糧確保の問題(食糧自給率、耕作面積、備蓄量)


これらのことを議論した上で、どのような選択を取ることが最も日本の存続のために適しているかという選択をするのが、政治の役割ではないでしょうか。
以上の点を鑑みるに、米国というのは地球上において、5つのポイントの全てをしっかりと押さえ込んでいるのが解ります。

私は米国の「新自由主義」路線の政策に乗っかるのは、絶対に反対する立場です。しかしながら、これだけを押さえ込んでいる米国とことを構えるのは雄々しいなかもしれませんが、それはリアリズムではありません。

ならば、「如何にして米国を利用するか」ということに心血を注がねばなりません。

利用すると言っても、騙すわけではないのです。
同盟国として対等な立場をとりながら、互いにWIN-WINの関係を目指す。
勿論、日本の国益にそぐわないときにはNOと言えばよいのですし、米国からNOと言われることもあるでしょう。双方が、信頼のもと互いの国益が最大公約数となるように努力を続けていくのが、あるべき日米同盟の姿であると思います。

それは、時には共に汗を流し血を流す覚悟を持つということでもあります。
政策担当秘書として、私を支えてくださった潮匡人さんが明日付で退職されます。

これまでも質問作成や政策立案等で並々ならぬ働きをしてくださいました。

諸葛亮を失うような大きな損失ですが、メディア界や論壇で引き続き国民啓蒙に全力を尽くしてくださることを祈念いたします。

何もわからない新人議員の私が、素晴らしいスタートダッシュが切れたのも、潮さんの働きによるところ大でした。

本日は多大なる労をねぎらい、送別会です。
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後継者の政策担当秘書、探さないとな~あせる
靖国神社の御霊奉りに奉納する献灯用の書を書きました。

私の大好きな漢詩です。

たとえ独りになっても、暁鐘を撞き続ける信念のある男でありたいです。$参議院議員 宇都隆史 オフィシャルブログ Powered by Ameba
同志が一人脱落しました。

厳しい選挙を共に戦い抜き、自民党の再生を誓ってスクラムを組んでいた時だけに残念でなりません。

新聞報道等では、「党に対する忠誠心に欠ける」というような記事を目にしましたが、そういうことではないような気がします。

私は日頃、政治家として仕事をさせていただきながら、私を押し上げてくれた12万1441人の皆様の顔を思い浮かべます。

知り合いに手紙を回してくれた人。
電話をかけまくってくれた人。
熱い最中、汗だくになって立ってくれた人。
びしょ濡れの雨の中、ポスターを張ってくれた人。
最後まで信じて声をからしてくれた人。
当選したときに、一緒に泣いてくれた人。

中には鬼籍に入り、帰らぬ人となられた方もいます。
もう二度といただけない「一票の信託の重さ」

そういうものを肩に感じながら仕事をしていたら、簡単に党籍を離脱することなんてできません。
仲間に対して、至誠を貫こうとすればするほど、自分の立ち位置が見えてきます。

至誠に悖るなかりしか