本日も仙台での活動です。(昨夜は、熊谷君の実家に泊めていただきました。)

全国には、自衛隊OBで市議会議員、県会議員、地方首長などで活躍している方が150名以上います。これだけの勢力が、団結すればきっと大きな力になるだろうということで、昨年末、この自衛隊出身議員の全国組織「武(たけ)の会」が設立されました。尾辻秀久参議院議員、中谷元衆議院議員、佐藤正久参議院議員も顧問として名を連ねています。実は、この「武の会」なる組織は宮城県多賀城市が元祖なのです。

自衛隊出身の多賀城市議会議員が集まり、懇親を兼ね互いの絆を結束する会を行っていたのですが、これを全国的に広め、国防意識の浸透や国防政策を推進することを目的としています。

今回は多賀城にて、元祖「武の会」の皆様とのミニ集会に参加しました。地方議員ではありますが、政治家としての先輩の皆様から学ぶことは多く、特に政治家としての姿勢については多くの助言をいただき、大変勉強になりました。

先輩方から、「絶対に勝てるよう、皆で応援するぞ!」と力強いご声援を賜りました。本当にありがとうございました。

$ことら大尉のハート録!
本日は宮城県仙台です。
昨日の鹿児島からの移動でしたので、「きっと寒いだろうなぁ…叫び」と思って覚悟してきてみれば、春の陽気が溢れるポカポカ日和でした。

お花見を計画している所も多かったようですが、最高のお花見日和なのに、桜はまだ咲き始めたばかり。来週あたりは満開でしょうね。

さて、仙台市内で街頭演説をするため現場に行ってみると、向こうから手を振る人影が…「ん?誰だろう??目
そう、同志「熊谷大(ゆたか)」君が応援に駆けつけていてくれたのでした。
(熊谷大公式BLOG:http://ameblo.jp/kumagaiyutaka)


「よし、二人していっちょやるべ!」ということで、交互にマイクを握りながら一時間に渡って街頭演説をいたしました。

仙台の皆さん、車からも「頑張れ―パー」と手を振ってくれて、こちらも力が入ります。


夜は仙台の若者たちがあつまるミニ集会に参加しました。
そのなかで、「やはり、我々若手が立ち上がるときだよ!」との想いを共有しました。

我ら35才、若輩者ですが責任世代として、日本の未来のために頑張ります!
$ことら大尉のハート録!
鹿児島での最終日の活動を終え、日付が変わる頃に東京に戻りました。
移動中の空港でのこと、携帯電話のニュースが目に止まりました。目

悠仁さま、お茶大幼稚園に入園
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(3)は9日、お茶の水女子大付属幼稚園(東京都文京区)の入園式に出席された。卒園まで3年間通う。 悠仁さまは午前8時40分すぎ、紺のブレザーに半ズボン姿で、ご夫妻に付き添われ登園した。幼稚園舎玄関前で、出迎えた宮里暁美副園長に「おはようございます」とあいさつ。同副園長が「ご入園おめでとうございます」と声を掛けると、「ありがとうございます」と応えた。 同大によると、入園式は午前10時前からあり、悠仁さまは「秋篠宮悠仁さん」と、ほかの園児と同様、「さん付け」で名前を呼ばれたという。 新入園児数は70人で、うち3歳児は悠仁さまを含め41人。園の方針で、悠仁さまは特別扱いされないという。(時事通信 引用)


この記事を読んで、違和感と嫌悪感を感じるのは私だけでしょうか?むっ
日本には「言葉には、霊的な力が宿る」との考え方があります。これを言霊信仰といいますが、言葉は少なからず、「人の考え方」に影響を及ぼします。だからこそ、政治家やマスメディアは、言葉を慎重に選ぶ必要があるのです。

私が違和感を感じたのは、「さま」という敬称です。「開かれた皇室」という考えの延長上に、メディアが使用している言葉であると認識していますが、本来であれば「皇室典範」に順じて、「悠仁親王」とお呼びすべきです。御皇族を我々一般の国民と同等にあるような錯覚を与えるような言葉は、伝統ある御皇室の権威を落してしまう危険性があり、マスメディアが乱用すべき言葉ではありません。(産経新聞でも使用しているのに驚きました!)「天皇制」という言葉もしかりです。御皇室は制度ではありません。悠久の日本の歴史の中で紡がれた由緒正しき伝統であり、制度のような人工物ではないのです。(「御皇室」と言いましょう。)

ですから、「さん」付けなど、もうとんでもないプンプンDASH! 
国家の伝統よりも園の方針を優先する、幼稚園の見識を疑います。なんという不敬な態度でしょうか。女系天皇を認めていない現状にあって、悠仁親王は正統な皇位継承者です。それだけで、日本国にとって他に代えがたい特別な存在なのです。悠仁親王が好むと好まざるとに関わらず、それが御皇室にお生まれになった男子の宿命であり、例えば「僕は天皇なんかになりたくない、サッカー選手になりたい。」などという、一般の子供が持つような夢は、残念ながら実現できません。親王には、私達一般人のような自由はないのです。

しかも、「秋篠宮悠仁さん」って…ガーンいつから「秋篠宮」は名字になったのでしょうか?「秋篠宮」は御皇室の男子(親王)が、独立する際に天皇陛下より与えられる宮号です。(ちなみに、皇太子は「東宮」です)日本の御皇室の伝統は、名字を持たない世界的にも珍しい君主です。名字を持たないということは、その家系が途絶えることなく一つの系譜で続いていることを意味しているのです。

私は、「御皇室は伝統と歴史ある日本人のアイデンティティーの核である。」と考えています。御皇室に敬意を表し、天皇陛下の国家元首としての地位を明確にし、「日本は伝統に基づく立憲君主制国家である」ということを憲法に明記し、日本のお国柄「国体」を明らかにするべきであるというのが、私の御皇室に対する考え方です。

言葉という些細なことですが、城も蟻の一穴より崩れるように、国のかたちも、小さなことをいい加減にしていては、崩れていくものです。
今日は、母方の実家のある谷山にて、ミニ集会でした。
地元の方々が普段からの集まりで活用している公民館を借りて、30分間お話しをさせていただきました。

自衛隊を辞めて政治を志した経緯
自民党が負けた理由と反省
自民党再生の取り組みの現状
これからの自民党の目指す国家ビジョン

などについて、お話しさせていただきましたが、上手く伝えられたかどうかは自信ありません。シラー

その後、佐藤正久議員がスペシャルゲストとして登場すると、会場のボルテージは一気に上がりましたアップ音譜クラッカー

さすがは佐藤議員、話し上手で引き込まれてしまいます。お集まりいただいた皆様も、熱心に聞き入っていました。

最後は記念撮影の後、会場を出る皆様一人一人と握手。
「良か話しじゃった~キバっくいやいな!」激励が嬉しかったです。

谷山の皆様、企画してくださいました西川市議、本当にありがとうございました。

$ことら大尉のハート録!
今日は朝始発の飛行機で羽田空港から鹿児島空港へ移動…のはずが、起きてビックリ!!叫び「やっちゃったーショック!」そう、寝坊してしまったのです。あせる
急いで空港に走り、何とか次の便に間に合い、現地のスケジュールも余裕を持って計画していただいたので事なきを得たのですが、本当に反省…。目覚ましも時計三段でアラームをかけておいたのに…と自己嫌悪になりながらの鹿児島での活動でした。
久々の鹿児島は、熱かった~晴れコスモス

しかし、気を取り直して支援者宅への戸別訪問を実施しました。
行くところ行くところ、
「やっぱぃ、こんくらい若け候補者が出てこんこちゃ、やっせんが!」
(訳:やはり、これ位に若い候補者が出てこなければ、どうしようもないよ!)
と激励いただきました。
政治は経験がものを言う所もありますから、若い者だけでもいけませんが、やはり世代交代は必要だと思います。

夕方からは、鹿児島中央駅前にて街頭演説カラオケを行いました。意外でしたが皆さん立ち止まって「宇都隆史の議」を聞いてくれてました。本当にありがとうございます。

中には、同級生のお母さんや、初めて会う自衛隊OBの先輩もいました。
講演会やミニ集会と違い、街頭演説はダラダラしゃべっても伝わりません。「難しいなぁ」と思いましたが、これも修行です。想いを伝えられるように、情熱の火を移し、皆様の心の温度を1℃上げられるように、これからもがんばりますべーっだ!
$ことら大尉のハート録!
本日は、永田町自民党本部にて、参議院候補者も含めての意見交換会が行われました。
文字通り、自由民主党には「言論の自由」があります。OK
「年齢や当選回数に関係なく、正しいと思うことを意見できる風土」これは、やはり自由と民主主義を旨とする自民党の誇るべき気風だと思いました。グッド!

その中で、私も一言御意見申し上げました。
内容は二点です。

1第一に、「理念を曲げない、ブレない政治をやるべきだ」ということを申し上げました。
私達、自民党の支持率が低下した最大の理由は、「自主憲法を制定し、日本の伝統文化に根ざした政治を実現する、真の国民政党たらん」という結党の理念をないがしろにし、理念や政策を共有できないような政党を手を組む、あるいは知名度にあやかって人気のある芸能人候補などを擁立する等、選挙に勝つために自民党の魂を売り渡すような愚を重ねたからであると思います。今回、自民党は「新しい綱領」を定め、もう一度自民党の理念を再確認いたしました。「理念」なき組織は必ず破綻を起こします。明確な理念に基づいた政策を打ち出し、ブレのない政治を国民に誓うことをしなければ、自民党の再生はありえません。

2第二に、「保守の旗を掲げたならば、行動を起こすべきだ」ということを申し上げました。
「保守」というのは、言葉の定義だけでも議論にいくら時間があっても足りないほど、幅の広い言葉です。従って、「保守の政治をする」と言葉で言っても、「具体的に何をするの?」というものが見えなければ、国民は「自民党は真の保守党として再生する決意だな」とご理解してはいただけないでしょう。行動によって意を示すのが、真の保守です。まず、私達が為すべきことは、我が国の歴史を自ら肯定し、祖先の御霊に感謝申し上げることから始めなければなりません。そこで、「靖国神社桜への参拝を全自民党員に声をかけて実施することから始めてはどうか」ということをご提案申しあげました。

日本にとって、また自民党にとっても、今こそが試練の時です。日本を心から愛し、保守の理念に賛同する国民全体で、一致団結して誇りある日本の再生に努力しなければなりません。

自民党は必ず「真の保守政党として」生まれ変わります!
千葉県にて、支援者の集まる会合に参加してきました。
最近では、初めてお会いする支援者の中にも、「名前は聞いてたよニコニコ頑張ってね」とか、「今日まさか会えると思ってなかったよ。会えて良かった~音譜」などと言って頂けることが少なくなく、大変嬉しく思っています。
 特に女性の支援者の方々は、私を息子や弟のように可愛がって下さり、「絶対負けたら承知しないよパンチ!宇都くん頑張りなさい!」とハッパをかけていただけるほどが多いので、本当にありがたい事だと思っております。

さて、父の愛と母の愛、最近ではどちらも区別がなくなってきているように思えてなりません。
父性を本としている父の愛は厳しさや激しさを伴ない、時に非情の愛となることもあります。一方、母性を本とする母の愛は、慈愛に満ち、時に我が身に変えてでも守ろうという献身の愛です。

男女それぞれに性別の差異があり、それに伴った社会的役割にも違いがあるのは自然の摂理ではないでしょうか。

にもかかわらず、「平等」という考えのもと、全てを平均化してしまうような「ジェンダーフリー」のような考え方には、真性保守の立場として断固として反対していきたと思います。

男性は「男らしく」そして、女性は「女らしく」、お互いを尊重し合いつつ、足りない部分を補い合い、睦まじく交じり合う。そういう社会こそ、歴史と伝統にかなった、日本らしい国柄であると思います。

 今回もご一緒した淑女の皆様と、記念撮影をしてお別れしました。女性部の皆様、本当にありがとうございました。

$ことら大尉のハート録!
稚内から南下し、旭川にやってきました。(特急電車で3時間半…北海道は広い…ガーン

今回は旭川を選挙区にされている自民党の今津寛先生のパーティーにご招待されて参りました。
今津先生は残念ながら、先の衆議院選挙で敗れて現在浪人中です。にもかかわらず、参議院選挙候補者の私のような若輩者のことを心配してくださって、わざわざ呼んでくださったのです。
会場には、北海道地方区選出の長谷川岳候補も参加しておりました。

私よりも少し上で39才ですが、同じ30代としてとても親近感が沸きます。フットワークが軽く、とても誠実そうなスマイル。これからの新しい自民党を印象づけるような存在感ある候補でした。

$ことら大尉のハート録!
長谷川候補!共に頑張りましょう!

今津先生のパーティー終了後は、旭川の支援者の方々とのミニ集会で、40分程度ですがお話をさせていただきました。一つ一つ丁寧にかつ心を込めて話したので、皆様に想いを伝えることができたと思っています。(今日の出来はまずまずで、80点でした)
今、全国各地の自衛隊OBの先輩方に応援していただいて、人と人との絆のありがたさを本当に痛感いたします。選挙は決して自分の力で戦っているわけではない、皆に支えられているからこそ戦えるのです。
いつまでも、仲間や先輩方に対する「感謝と謙虚さ」を失わない人間であり続けたいと願います。
$ことら大尉のハート録!

旭川で活動している最中、与謝野馨代議士の自民党離党のニュースが飛び込んできました。しかし、私には理解できません。プンプンDASH!地方区で敗けても、「自民党の再生のために」と若手の為に骨を折ってくれる今津先生。かたや地方区では負けていながら比例復活で自民党票で当選したにもかかわらず、離党して新党結成をする与謝野代議士。一体どちらが芯のある政治家かと比べれば一目瞭然でしょう。
 自分自身の力で当選したと思っているのでしょうか?自民党の復活と再生を信じて投票した自民党員の気持ちはどうなるのでしょう?離党させるために議員に当選させたわけではありません。
今津先生は私に、「俺はどんなになろうと、最後まで自民党という船を漕ぎ続けるよ」とおしゃいました。
それでこそ、自民党代議士!自民党の先生方には、浮動票に目をくらませず、自民党を愛して共に戦ってきた党員を大切に、失望させないように踏ん張って欲しいと思います。
北海道の北端:稚内に降り立ちました。
前回2回チャレンジするも、悪天候により飛行機が降りれずに断念したので、まさに3度目の正直。
東京は強風の影響で電車がストップしてるとの事でしたが、北海道は爽やかな春の青空が広がっていました。
稚内へ来るのは6年越しです。私は平成14年8月~平成16年8月まで、稚内にある航空自衛隊のレーダーサイトの監視小隊長として勤務していましたので、懐かしい町並みです。

この最北の地で、また新たな嬉しい出会いがありました。
基地の協力会の名誉会長さんのSさんです。
Sさんは鹿児島のご出身の御歳83才えっご高齢にも関わらず背筋がピンと伸び、声にも張りがあります。さすがは元帝国海軍将校イカリマーク
Sさんには、2時間に渡って、様々なお話を伺いました。
戦争で父をなくしたこと、海軍では「蛟竜」という特殊潜航艇に乗っていたこと、8月15日に玉音放送を聞いた時の思い、戦後の海上保安勤務の話などなど、まるで自分の祖父と話しているような錯覚に陥りました。Sさんも嬉しかったのでしょう。「これは今迄誰にも話したことがないけど」といって、戦時中に可愛がっていただいた上司が、終戦とともに自決した時の辛い思い出を声を詰まらせながら教えていただきました。

たった65年前、私達のお爺さんたちは、私達に日本という祖国を残すために、血を流し命を懸けて戦ってくれました。平和と安全が当たり前になっている今、私たちはお爺さんたちの命懸けの苦労のどれだけを知っているでしょう。学校では「戦争=悲惨なもの」という教わり方しかしません。今を生きる私達には、先人たちが一体どんな思いで、どんな苦労をしてこの平和を守ってくれたのかを後世に正確に伝える義務があります。それは歴史や軍事の専門家の仕事ではなく、日本人である私達一人一人がしなければならないことです。戦争を体験した語り部の数は年々と減っていきます。だからこそ、今のうちに戦時中の話を、体験者から直接聞いて置く必要があるのです。

Sさんの、「君に会えたのもご縁だ。ワシも元気でいられるのもあと3年くらいのモンだろう。最後の御奉公のつもりで頑張るか」と笑っておっしゃった言葉が心に響き、涙汗が出そうになりました。

Sさん、どうかいつまでも御達者で。ブーケ1

ちなみに、今日から決戦の7月11日まで、ちょうど残り100日となりました。全力で頑張ります!

$ことら大尉のハート録!
(記事内容とは関係ありませんが、稚内市長さんとのツーショットです)