北海道の北端:稚内に降り立ちました。
前回2回チャレンジするも、悪天候により飛行機が降りれずに断念したので、まさに3度目の正直。
東京は強風の影響で電車がストップしてるとの事でしたが、北海道は爽やかな春の青空が広がっていました。
稚内へ来るのは6年越しです。私は平成14年8月~平成16年8月まで、稚内にある航空自衛隊のレーダーサイトの監視小隊長として勤務していましたので、懐かしい町並みです。
この最北の地で、また新たな嬉しい出会いがありました。
基地の協力会の名誉会長さんのSさんです。
Sさんは鹿児島のご出身の御歳83才
ご高齢にも関わらず背筋がピンと伸び、声にも張りがあります。さすがは元帝国海軍将校
Sさんには、2時間に渡って、様々なお話を伺いました。
戦争で父をなくしたこと、海軍では「蛟竜」という特殊潜航艇に乗っていたこと、8月15日に玉音放送を聞いた時の思い、戦後の海上保安勤務の話などなど、まるで自分の祖父と話しているような錯覚に陥りました。Sさんも嬉しかったのでしょう。「これは今迄誰にも話したことがないけど」といって、戦時中に可愛がっていただいた上司が、終戦とともに自決した時の辛い思い出を声を詰まらせながら教えていただきました。
たった65年前、私達のお爺さんたちは、私達に日本という祖国を残すために、血を流し命を懸けて戦ってくれました。平和と安全が当たり前になっている今、私たちはお爺さんたちの命懸けの苦労のどれだけを知っているでしょう。学校では「戦争=悲惨なもの」という教わり方しかしません。今を生きる私達には、先人たちが一体どんな思いで、どんな苦労をしてこの平和を守ってくれたのかを後世に正確に伝える義務があります。それは歴史や軍事の専門家の仕事ではなく、日本人である私達一人一人がしなければならないことです。戦争を体験した語り部の数は年々と減っていきます。だからこそ、今のうちに戦時中の話を、体験者から直接聞いて置く必要があるのです。
Sさんの、「君に会えたのもご縁だ。ワシも元気でいられるのもあと3年くらいのモンだろう。最後の御奉公のつもりで頑張るか」と笑っておっしゃった言葉が心に響き、涙
が出そうになりました。
Sさん、どうかいつまでも御達者で。
ちなみに、今日から決戦の7月11日まで、ちょうど残り100日となりました。全力で頑張ります!

(記事内容とは関係ありませんが、稚内市長さんとのツーショットです)
前回2回チャレンジするも、悪天候により飛行機が降りれずに断念したので、まさに3度目の正直。
東京は強風の影響で電車がストップしてるとの事でしたが、北海道は爽やかな春の青空が広がっていました。
稚内へ来るのは6年越しです。私は平成14年8月~平成16年8月まで、稚内にある航空自衛隊のレーダーサイトの監視小隊長として勤務していましたので、懐かしい町並みです。
この最北の地で、また新たな嬉しい出会いがありました。
基地の協力会の名誉会長さんのSさんです。
Sさんは鹿児島のご出身の御歳83才


Sさんには、2時間に渡って、様々なお話を伺いました。
戦争で父をなくしたこと、海軍では「蛟竜」という特殊潜航艇に乗っていたこと、8月15日に玉音放送を聞いた時の思い、戦後の海上保安勤務の話などなど、まるで自分の祖父と話しているような錯覚に陥りました。Sさんも嬉しかったのでしょう。「これは今迄誰にも話したことがないけど」といって、戦時中に可愛がっていただいた上司が、終戦とともに自決した時の辛い思い出を声を詰まらせながら教えていただきました。
たった65年前、私達のお爺さんたちは、私達に日本という祖国を残すために、血を流し命を懸けて戦ってくれました。平和と安全が当たり前になっている今、私たちはお爺さんたちの命懸けの苦労のどれだけを知っているでしょう。学校では「戦争=悲惨なもの」という教わり方しかしません。今を生きる私達には、先人たちが一体どんな思いで、どんな苦労をしてこの平和を守ってくれたのかを後世に正確に伝える義務があります。それは歴史や軍事の専門家の仕事ではなく、日本人である私達一人一人がしなければならないことです。戦争を体験した語り部の数は年々と減っていきます。だからこそ、今のうちに戦時中の話を、体験者から直接聞いて置く必要があるのです。
Sさんの、「君に会えたのもご縁だ。ワシも元気でいられるのもあと3年くらいのモンだろう。最後の御奉公のつもりで頑張るか」と笑っておっしゃった言葉が心に響き、涙

Sさん、どうかいつまでも御達者で。

ちなみに、今日から決戦の7月11日まで、ちょうど残り100日となりました。全力で頑張ります!

(記事内容とは関係ありませんが、稚内市長さんとのツーショットです)