クメールが話せない私。
付け焼き刃の挨拶を発してみても、通じてるか謎です。
英語で話してごめんなさい。お邪魔します。


こぎれいなレストランやホテルと、
継ぎ接ぎまみれ・洗濯物がごちゃっと干されたきたないアパートが隣接して建っているカオス。
(パレスチナの難民キャンプよりきたなくてビビる。なんだあれは。)
車線の無い道路。雨でもレインコートかビニール袋をかぶって三人乗りのバイク。
でっかいゴミボックスがむわっと発する、饐えた臭い。
そこらじゅうに落ちてる、ココナッツの殻とバナナの皮。それをついばむスズメ。
やっぱり浮いてしまう自分に「マダーム、マッサージ?」と声をかけてくるおやじ、お兄さん。
ちょっと暇そうにぷらぷらしているトゥクトゥクの運転手さん。
ほこりっぽい薬局。子守りをしながら店番をする、けだるそうなレジのおっちゃん。
看板にあふれる、区切りがなくて構造すら想像できないクメール文字。
たまに混じってる英語、ハングル、中国語、日本語。



そんな訳で、東南アジアデビュー。
勉強してきます! 明日からは大学で会議だ~。今一度、資料読み込んどかないと。
「健やかなるときも、病めるときも」、
共に歩む。


……というのは余りに知られた文言ながらも、
本当に、本当に難しいことだと、最近ひしひし感じています。
投げ出したらラクになるかもしれません。泣いたりしなくて済む。
でも一生後悔するかもしれません。やっぱり泣くんでしょうね。笑
この難しさはもう、しょーがないですな。人生のスパイスです。



今週、強く感じ、そして決めたのは、
私まで彼と同じ穴に落ちる必要も、
穴の中にうずくまる彼の隣まで降りてゆく必要も全くないということです。


昏い穴に落ち込んでいる相方が
自分の力で這い上がってくるのを信じて、
穴の横で待とうと思います。
本読んだり勉強したり自分を磨いたり、ピクニックの準備をしたりしながら。




何日かかっても、何ヶ月かかっても、何年かかってもいい。
試行錯誤を重ねて、今まで抱え込んできたカタマリを解放して、
自分で這い上がってきてね。
信じること、隣で待つこと以外、私は何もしません。

ひとりぼっちじゃないか、そこに私がいるか不安になったら、
いつでも素直に名前を呼んでください。
ちゃんと居ます。
ていうか、たまに呼んでくれないと私はお留守番をさぼりたくなるかもしれません。
ちゃんと、たまには呼んでください。
私の3人目のおばあちゃんは、パレスチナにいる。
近所のやんちゃな男の子のママのママで、
「いつでもおいで」と言ってくれるから、
留学先だった大学の帰り道や、寂しい時、私はいつもお家に入り浸っていた。
ひょっとすると、彼女の本当の孫よりも。


彼女は、英語はあんまり喋らない。
もう60を超えているのだけれど、髪の毛を赤く染め、度の高い大きな眼鏡をかけ、
ラーマッラーで看護師として働いていた。
頑固で優しくて、料理が上手で、おしゃれさんで、
紺色のバスローブが似合うダンディなおじいちゃんと、とても仲がいい。
おじいちゃんは「こいつが強くて…」とか何だかんだ文句を言いながら、
おばあちゃんのことが本当に大好きだ。


私にお茶を淹れ、お菓子を作り、アラビア語を教えてくれ、
「マイ、最初の頃より太ったんじゃない?
 あんまり太ると目がもっと小さく見えちゃうわよ笑」と突っ込んでくれ、
次々に遊びにくる日本の友人を連れて行くと、喜んで迎えてくれた。
喋り疲れると、満足げにため息をついて私の手をぽんぽんと叩き、名前を呼んだ。
「あ~、マイ、マイ!」



若い頃は、クウェートにいた。
湾岸戦争の前、現地に多く滞在していたパレスチナ知識人層の一人として。
戦争の時、パレスチナはイラク側についていたから、
多くのパレスチナ人はクウェートから、職や住処から追い出された。
彼女もやっぱり、その中の一人だった。



色々なものを奪われ、何度も生活を変えながら、
分厚く重い歴史を重ねて生き抜いてきた彼女は、
2007年には、時折体調を崩していた。
それから5年間、私は彼女に会えていない。
電話番号も、スカイプも知らない。
私自身、いつあの国境を超えられるのか、可能なのか分からない。
それに、「紛争地」パレスチナではそもそも何が起こるか分からない。




今度パレスチナへ行ったとき、おばあちゃんがそこにいなかったら
一体私はどうしたらいいんだろう、と思う。
灯火が消える瞬間を、知らずにのほほんとやり過ごしてしまったら、
一生後悔するんじゃないかと思う。
私、まだ何も返せていないのに。





* * *





私にとって、「あの紛争地で人が一人死ぬ」という事実は、
そういう重みを持つかもしれない大事件だ。
シリアのダマスカスやアレッポだって、
ヨルダンだって、スーダンだってそうだ。


今日も、明日も、どこかで誰かが亡くなる。
撃たれて死ぬかもしれないし、病気かもしれない。
幼い子どもかもしれないし、帰りを待つ母がいる兵士かもしれない。
新聞に載るかもしれないし、載らないかもしれない。
私は一瞬でそのニュースを忘れるかもしれないし、
知りもしないで、彼と美味しいご飯でも食べてるかもしれない。



でも、誰かがどこかで傷つき、亡くなれば、それは誰かにとって大事件だ。
国籍や、宗教や、年齢に関わらず、きっとそうだ。そう信じたい。


そして、人が亡くなることを「大事件だ!」と思ってくれる人が増えれば、
事態は変わっていくかもしれない。多分、良い方へ。



亡くなった山本さんにお会いしたことは無かったけれど、
彼女の死が重く捉えられ、話題になる中、
彼女が身を危険に晒してまで伝えたかったことがどれだけ日本へ伝わったのか、
どれだけの人がそれを感じているのか、
一番大切なその部分が抜け落ちてしまっていないか、心配になる。



人が大好きでなければ、
「外からは見えない」大好きな人たちのことを
もっと知ってもらいたい、想像してほしいと願わなければ、
彼女は危険を冒して、取材に行ったりしなかったはずだから。


* * *


"Do not fear your enemies. The worst they can do is kill you.
Do not fear friends. At worst, they may betray you.
Fear those who do not care;
they neither kill nor betray, but betrayal and murder exists
because of their silent consent."
-Bruno Jasienski


「敵を恐れるな。最悪でも、彼らは君を殺すだけだ。
 友を恐れるな。最悪でも、彼らは君を裏切るだけだ。
 無関心な者たちを恐れよ。
 彼らは君を殺しも裏切りもしないが、
 殺しや裏切りは、彼らの無言の同意の上に成り立っている。」
うつの人と一緒に何か仕事をする、というのは、
正直言って本当に難しい。
周りを見ていて、たまに旦那くんのお仕事を取り次いで、
更には自分自身も一緒にプロジェクトを動かしていて、ほとほと実感する。


* * *


以前、医者である友人が
「うつって、ストレスの量が不適切だから起こるんだと思うよ」
と言っていた。
ストレスは、多すぎても少なすぎてもいけないのかもしれない。

例えばうちの旦那くんの場合は、難しい話をするのは大好きだ。
「考える」というストレス―—力がかかるのは、悪くないらしい。
眠くても、最新技術の話とか、現代思想や哲学の話とか、
最近の流行を分析する話とか、そういうのを話している時の彼は、
普段ぺにゃ~っとしている私よりも研ぎすまされた感覚をまとっている、ように見える。

きっと、それぞれの人に、その人なりの
「適切なストレスの種類と量」があるのだろうと思う。
闘病はある意味、それを探ることを許された期間なのだと思う。


* * *


納期を求められる作業の場合は、
それが元々は楽しいことだったとしても、
多分その人なりの「助走距離」が必要になる。


会社の感覚でいえば「5分で済む」かもしれない作業に、
自分も周りも含め、大切なものを最低限守り維持するため、
助走が必要になる。
ある人は、1日かかるかもしれない。
ある人は、1ヶ月かかる。
ある人は、半年かかる。
それも、どれだけの助走が必要か、事前には分からなかったりする。

それは、しょうがない。ひとだからしょうがない。機械じゃないんだから。



だから、正直、周りは本当にやきもきする。
催促してしまって傷つけてしまったらいかんなぁ、とか、
遠回しに頼んでみたりとか、
もう連絡しないで勝手にやってしまった方がいいのかしら、とか、
本当にやきもきする。

これも、しょうがない。ひとだからしょうがない。菩薩じゃないんだから。
私も、やきもきし続けて数ヶ月が経過している。
たまにぷっつりいってしまいそうだが、きっとキレてもいいことないので、
自分なりに何をしたら大事なものを最低限守れるのか、
足りない知識で一生懸命考えている。(愚痴でごめんなさい)



両方ともひとだからしょうがない、というのを踏まえてやるべきことは、
「納期は基本設定しない」「動けなくても他の人がサポートできるようにする」
「丸投げせず、簡単な作業にブレイクダウンしておく」「体調を最大限優先する」
という環境創りを徹底することなんじゃないかと思う。



だって、私が見ている限りでは、
大抵のうつの人は多分、「できない」んじゃないんだもん。
「ストレスが全くもってダメ」なわけじゃないんだもん。
やりたいことをやるために、一つ一つ挑戦していくためには、
「いわゆるマジョリティの想像を超えた助走が必要」なだけだから。
もし、もしですよ、
器を探し、器と合体し、死をもって離れ、というプロセスで
魂が巡り巡っていくと仮定したなら、
「人間」という生き物として生まれることができるのは
ものすごい確率の、ラッキーチャンスなのかもしれないです。


* * *


私が大好きな映画「うまれる」の監督さんが、
ブログで「胎内記憶」のことを紹介しています。

胎内記憶は、何故か性教育も知らない赤ちゃんや子どもが、
ママのお腹に降りてくる時のことや、
お腹の中にいた時のこと、出てきた時のことを
覚えている…という現象です。
(大きくなると忘れるらしい)


でね、何人かの子は、こう言うらしいんです。


「ママが一人で泣いていて、寂しそうだったから降りてきたの」


お母さん、きっと泣いちゃうくらい、嬉しいでしょうね。


* * *


もし、一人一人が自分でこの場所に生まれることを選んで来たと考えるなら、
人間として生きるチャンスを掴みたくて生まれてきたと考えるなら、
少し心が軽くなることも、あるかもしれません。


「楽しそうだったから、降りてきてみた。」
「ママが寂しそうで自分が役に立ちたくて、降りてきてみた。」
「この生が自分にとって試練になり、魂が成長するから、降りてきてみた。」


20代半ばで交通事故に遭い亡くなった私の友人は、
どんな困難と結末が待っていようと、自分の魂に磨きをかけるため、
チャンスを掴み取り新潟に降り立ったのかもしれません。


19歳の、車で人を殺してしまった男の子は、
こういう運命を知りつつも、どうしても修行しなければならなくて、
それでもやっぱり、負けてしまった魂なのかもしれません。


それぞれの魂は、ものすごい確率のチャンスを勝ち取って人間になって、
試行錯誤しながら、精一杯の生を生きる努力をしたかったのかもしれない。
元々は。




もしそうだったとしたら、
彼の魂は、次の修行場所を探して待っているかもしれません。

早く、見つかるといいね。
事務局長として出る、ラストのイベントのご紹介です。

--------------
「目が見えない子どもには、勉強を教えてもしょうがない?」


日本では、視覚障害を持った子どもたちも学校に通うのが当たり前です。
また、街を歩けば点字ブロックがあり、駅の券売機には点字がついています。

一方で世界全体を見てみると、視覚障害を持っているとされる子どもたちのうち、
70%以上が基礎的な教育すら受けることができずにいるとされています。

日本人とスーダン人が共に創ったNGO「CAPEDS」が活動するスーダンの首都・ハルツームでも、
まだ多くの子どもたちが、幼いうちから教育の機会を奪われています。

「彼らが教育へアクセスするためには、どうしたらいいんだろう?」

自らも視覚障害を持ちながら、現地の盲学校で子どもたちに英語を教え、
点字を知らない生徒たちもに点字教室を開くプロジェクトを進めてきたCAPEDSスタッフが、
スーダン障害児教育の現状と、その可能性を語ります。


■日時:2012年9月2日(日)13:30~15:30(その後懇親会あり)
■場所:東京都障害者福祉会館 和室AB
(〒108-0014 東京都港区芝5丁目18-2 03-3455-6321)
(JR田町駅徒歩5分、都営線三田駅徒歩2分)
 http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/syoukan/toiawase/index.html
 ※隣の「区立港勤労福祉会館」とお間違えのないよう、ご注意ください!
■参加費:500円(CAPEDS会員様は無料)※スーダンのお茶つき
 ※参加費はご寄付として受け取り、活動費として大切に使わせていただきます
■主催者:特定非営利活動法人スーダン障害者教育支援の会(CAPEDS/キャベツ)
■発表者:福地健太郎(CAPEDS理事)、御村明日香(スタッフ)、並木麻衣(スタッフ)


■プログラム
------
1. 参加者の皆さまと一緒にアイスブレーキング
2. CAPEDSの紹介
3. 現地の暮らし紹介

~休憩、お茶・お菓子タイム~

4. 活動報告「点を繋いで描く夢」
5. 懇親会
------

心の風邪をひいてるひとの、すぐ隣にいるひとは、
きっとたまに思ってしまうに違いない。


「何か力になりたいんだけど、
 何をしたらいいのか分からない。」


で、隣で心のくしゃみをされると
やっぱり落ち着かなくて、
あれやこれやと、手を差し伸べたくなったりするに違いない。


そして、たまに色々な形で拒絶されて、
ちょっと落ち込んだりするに違いない。
「自分は、この人にとって邪魔なんじゃないだろうか?」
「自分は、要らないんじゃないだろうか?」



で、ちょびっと泣いて、目を腫らしたある朝、はた、と思う。



「あぁ、そういえば、
 自分は”この人が自分を必要としてくれる”から
 側にいるんじゃないんだった。

 この人がこの人だから、側にいるんだった。」



相手の言葉の表面が自分を必要としているかいないかなんて、関係がないのだ。
もうはっきりいって、どうでもよろしい。
自分がそうしたいから、少し離れた目で見ればその方が二人とも幸せだから、
そしてこんなひと、他所には見つからないから、そこにいるのだ。
鈍感ながらも相手の心に耳を澄ませながら、”程良く”見守っていればよいのだ、たぶん。




そんなことを反芻しながら、朝一番のカプチーノを飲む。
BGMはCharaの「ラブラドール」である。
困ったことに。


最近、ちっとも”ボランティア”作業ができない人になってしまっています。


三つも四つもこなしていた頃の自分が信じられないです。


でも今、「できる」と「できない」の差を作っている要素はたった一つで、


「チームの仲間と一緒にやっている」か「ほんとのチームになれていない」か、


の一点に尽きることに、先日気付きました。


端的にいえば、”みんなのもの”であるはずの何かを、
一人でガリガリやることに疲れたのでしょう。




ごめんね。どうしようもなく情けないんだけど、
諸々責任とらなきゃいけないのは凄く分かっているんだけど、

ものすごく大きな報酬でも目の前にぶら下げないと、
”ボランティア”の仕事が手につきません。(そんな報酬すら思いつかないのだが)
「あれやってくれ」「これやってくれ」って言われて、
忙しかったりエネルギーが足りなかったりしてできなくて頭下げて落ち込む、
そんな事態が怖くて、電話やメールも開くのも怖くて、更に沈みます。
それって、自発的じゃないんだから、既にボランティアでも何でもない。



私も、一人で電池が切れることが、あるんだなぁ。
切れる前に、本気でSOSを出して、チームを組んでもらえばよかったね~。
わたし、万能じゃないのだ。反省、反省である。
うつと闘うだんなくん(婚姻届け未提出なので予定)の実家で生活中の並木です、こんにちは。


闘病生活も3ヶ月目になりました。
職場からお休みをいただき、やっと薬の効果が安定してきた本人は今、
一生懸命に生活リズムを創ろうとしています。

先ず集中していることは「朝起きること」。
「何してもいいから朝起こして!」ということで、
目覚ましをいくつもセット、彼の目が開いたらお気に入りの飴を口に入れてもらい、
ラジオをかけ、水を準備し、時間を使いつつ身体を起動してもらうようにしています。
そうすると、そのうちヨレヨレと身体を起こし、スイッチが入ります。えらい。

起きられない人を見ると世間は「頑張りが足りない」とかいう精神論で片付けがちですが、
あくまで本当に身体が動かない(正常に起動するのに時間がかかる)のであって
一番くやしい想いをしているのは本人であります。
それを自覚する日々。


さて、朝しっかり起きるには質の良い眠りが必要だと思いますが、
ものすごく意外なところに彼の眠りの阻害要因がありました。




私です。


(朝)

だんな:「にゃー、昨日はよく眠れなかった~……(薄目で遠い目)」

並木:「あら、睡眠薬飲まなかったの? 頑張ったね~」

だんな:「…きみ、寝てる間に何してるか知ってる?」

並木:「…?」

だんな:「僕の尻を全力で揉みにかかってくるんだよ

並木:「…!」




他にも、ベッド(ダブルサイズ)から落としにかかってきたりするんだそうです。
カッコウのヒナとお友達になれそうです。



寝言は以前から4言語ちゃんぽんぶりを発揮して意味不明だと評判でしたが、
ここまでの寝相の悪さを発揮しているとは新発見です!!
かわいそうなだんなくんであります。


そして、私は確かに時折彼のおしりをぺしぺしして癒されているのですが(ふにふにです)、
寝ている時まで無意識で触っているとは、恐るべしオートチャージ機能です。
人間の可能性を感じます。わたしすごい。


でも一緒に寝られなかったら寂しいな~。。。。
寝相ってどうしたら治るんでしょうね。
グーグル先生に聞いてみよう。


(だんな校閲済み)
いままでは家を空けっぱなしで外を駆け回って、
家には帰って寝るだけ、ご飯を食べるのもテキトー、
そういや何だか暫くベッドで寝てない気がするぞ、
なんて日々を送ってきましたが、

できるだけ定時に上がって、誰かと会って、
できるだけ早く家に帰って、相方の手作り料理を食べて、
二人でお皿を洗って、ごろごろお喋りして、ゆっくり6時間は眠る、
朝もご飯とお弁当を準備してもらって、一緒にご飯を食べて、
玄関で見送ってもらう、
土日はゆっくり家で過ごす、

そんな日々も、とても幸せなのだということが
最近ようやく分かってきました。



今までの活動に急ブレーキがかかってしまっていることを除けば、
私自身にはこの状況に、何の問題もないのです。
今までみたいにネットで必死にニュースを追わなくても、
幅広い情報収集を習慣にしなくても、
新聞で提供される程度の情報を読んで、
仕事さえきちんきちんと終わらせていけば、
特に問題なく生きていけるようなのです。




とあるお姉さんが、この生活を
「階段の踊り場」と表現してくれました。

次の瞬間、私は階段をまた駆け上がり始めるのかもしれません。
それもまた、幸せなことです。


* * *


「中東や世界の多面性を、もっと多くの人に感じてほしい」
「それなら、先ずは多くの人がどんな暮らしを送っているか知っておきたい」

と思って、私は大学院ではなく会社に進んだのでした。
働くひとの気持ち、辛さ、やりがい、そして色々な幸せ。
私の実践体感型情報収集は、悪くないペースで進んでいるような気がします。