脱★根暗宣言 -31ページ目

救済者

昨日の私の話なんだけど


ちょっと調べたら「救済者願望」というのが出てきた。


それは自分がした嫌な経験を現在進行形で経験している人の


「救済者」になりたいという願望。


自分も同じ経験をしたのだから


きっと自分ならわかってあげられるだろうと本人は思っているけど


実は自分のほうがわかってもらいたいだけで


下手に導こうとしたり、過小評価したり、同質化を測ろうとして


思い通りにならなかったりすると、結局相手を不幸にするらしい。






あああああああああああああああああああぁぁああぁぁぁああぁぁ!!!


身に覚えがありすぎて耳が痛い・・・・・・・・・汗汗汗






こういう願望が自分でコントロールできるようになるまでは


教師はやってはいけない気がうっすらと、でもいつもしている。


そういう教師は押し付けがましい説教をしたり


中途半端な同情で余計に子供を傷つけたりするんだろう。


というか実際に私自身がそういう人間は苦手だから


そういう教師には出会いたくないと思っている。


まぁでも教師になろうっていう人は


案外救済者願望が強い人なのかなとは思うけどね。


自分が苦手だった数学を好きになってもらいたいとかさ。





きっと救済者願望が常に悪いわけではないと思うし


時にはちゃんと相手のためになることももちろんある。


でもそれに自分で気づいていないと


相手を助けて幸せにしているつもりで


どんどんどんどん追い詰めていっている可能性があるから危険だ。


この世で何が怖いって


知らないうちに人を傷つけたり、追い詰めたりしていること。


そしてそれに気づいてしまった時の絶望感といったらない・・・。





救済者願望を失くすことを目的とするのではなくて


それを自覚して生きていくことを目標としたほうがいいのかな。


上手く途中で軌道修正できたら


救済者願望もそこまで悪くないのかもしれない・・・?

偽善者

偽善者は嫌いだ。





といっている自分が一番の偽善者であることが残念な事実である。






小学生の頃、家にかかってきた電話


「○○でとても困っていて、どうしてもクラス全員の連絡先が必要なんです。


お願いだから教えていただけませんか?」


そういわれて、丁寧に全員の家電をさらした私。


全然怪しいと思わなかったわけじゃない。


確かに本当に困っていそうだったし


助けになるなら協力したいと思ったのも事実。


でも少し考えたら明らかに怪しいでしょう。


なんでそれを私に頼むんだよ。どう考えてもおかしい。


でも私は断れなかった。


酷い罪悪感に襲われた出来事で、未だに鮮明に記憶に残っている。





つい数ヶ月前の寒い日の夜中。


道端に倒れているおじさんがいた。


私はびっくりしてチャリを降りて話しかけた


目も虚ろで意識が朦朧としていた


私は何かの病気かと思って、


とりあえず体を起こすのを手伝った。


寒い日でこのまま放って置いたら本当に死んでしまうかもと思って


なんとか家に帰ってもらおうかと思ったけれど


身内もいないらしく、私がつれて帰れるわけでもなく


挙句の果てに「お姉さんがなんとかしてくれるんでしょう?」と言われ、


結局、「ちゃんと帰ってくださいね」と言い残して


その場を後にした。


「また置いていくの?行っちゃうの?」


と何度も言われたけれど、私は怖くなって逃げるように帰った。


優しく見せ掛けておいて、結局自分の事しか考えてなくて、見捨てた。






今日駅で謎の外国人のおじさんに声をかけられた。


最初は「do u speak English?」と聞かれて


何か困ったことでもあったのかと思って「yes」って答えてしまった。


そしたらよくよく聞いてみると


「日本にガールフレンドを探しにきたんだ。一緒にカラオケに行こう。」


という話で、もう明らかに怪しいというか、危険だ。


「もう何人にも嘘の番号を教えられたり、外国人って言うだけで怖がられるんだ」


「友達からでいいから、とりあえず電話番号教えてよ」


そういわれて、同情してしまった私は電話番号を渡してしまった。


別に本当に友達にもガールフレンドにもなる気がないんだから


教えなければいいのに


「かわいそう」という無責任な同情で思わせぶりなことをしてしまった。


差別されるのが辛いのは自分がとても良く知っているはずで


だから外国人だからって断るのも、怪しがるのもおかしいはずという


よくわからない論理が働いた。


その後何度も何度も電話が掛かってきて、怖くなって結局見捨てる。


差別をしないいい人ぶっておいて、実は差別心のかたまりだ。





昔から困ってる人とか、助けを求めている人を放っておけない。


体の特徴を原因にいじめ(というかからかい)をされていた子とあえて仲良くなったり、


一人ぼっちでいる人には、自分から話しかけるようにしたり。


こう聞くと物凄く思いやりのある正義感の強い人だと思えるけど、


実際は全て自分のため。






困っている人を助けたら、自分は慕われるし、嫌われる心配がない。


見て見ぬふりした罪悪感に襲われる必要もない。

「いい人」になれる。


みんなに好かれる。


安心する。


自分が必要とされる、価値のある人間だと思える。






もちろん結果的に相手のためになったりすることもあるけれど


ほとんどの場合、期待をさせて裏切るパターンになる。


どうしても知らないうちに自分の限界に近付いていて


それを越えると逃げ出したり、置き去りにしたり、逆切れしたりする。


相手のせいにする。言い逃れする。





性質の悪い偽善者だ。





どうしたらいいんだろう。


「NO」といえない日本人の典型的な例なのか。


役に立ちたいだけなのに


変な同情とか、自己防衛の本能が強すぎて抗えない・・・。

しんがそーん

前回ダンスについて語ったけど、私にとってもう一つ大きなものは




歌。




こちらも生まれてすぐにふんふん~♪って歌い始めて


とにかく覚えたCMの歌は周りの人が嫌になるくらい歌っていた。


小さい頃は母親と駅まで仕事から帰ってくる父親を車で迎えに行くと


サンルーフ?(車の上が一部だけ開く)から顔を出して


水戸黄門の「じーんせーいーらーくーあーりゃー・・・(略)・・・さー!!!!」


を絶叫しながら歌っていた。らしい。


徳島(父の実家)の阿波踊りに行ったときには


どっかの組の一番前にすたたたっと勝手に侵入して


ど真ん中で勝手に踊りだした。らしい。笑


とりあえず我ながら恥ずかしくなるくらいの目立ちたがり屋だった模様。





その後も学校の音楽の時間は私の大好きな時間。


合唱はハモるのが好きだった。


いつも合唱曲は全パート(自分は大体いつもソプラノ)をマスターして、


家に帰って母親にも全部マスターさせて


二人でハモりながら歌って楽しんだ。


綺麗に調和して聴こえるハーモニーは最高に気持ちよかった。





私は当時から歌は上手いほうだったと思っている(勝手に)。


でももしも自分が勝手にそう思っているだけで


実は全然へたくそだったらかっこ悪いから


あんまり目立つ真似はしないようにしていた。


合唱でもあんまり声を張らないようにしたり


周りの人が音を外していて


それがたとえ自分にとって簡単なことだとしても


一緒になって苦戦している振りをしたり。





それは音楽だけじゃなかったかもしれない。


イタリアに引っ越して


まだ友達もいなくて、イタリア人には馬鹿にされていた頃。


私が得意だったバスケの授業で本気で戦ったら


案の定、僻みと苛立ちをぶつけられた。





そこで自分の才能を本気で人に見せ付けるのはいけないことなんだと悟った。


自慢まがいのものは嫌われる基だと知った。


それは日本でも知らないうちに刷り込まれていた思想だったけれど


私はただ大人しくしていればいいんだ、とその時確信した。


自分は無能な人間。


なんのとりえもなくて、言葉も、勉強も、運動も出来ない。


あまり価値のない人間。


そうやって諦めてしまったほうが楽だった。





でも時折認められることもあった。


クワイヤーで褒められたり、


アートの授業で賞をもらったり、展示品に選ばれたりした。


しかし私はいつも悟ってしまう。


私はいつまでたっても井の中の蛙であって


本当は才能なんて全然ないということを。





たまたま褒めてもらえたり、選ばれたりしただけで、所詮は学校のこと。


教育上やはり皆に得意分野を与えたり、褒めることは重要だから


そうされているだけに違いない。


だって世の中をみてごらんよ。


私なんかより優れた才能を持った人で溢れている。





West Endにミュージカルを幾度となく見に行ったけれど


皆私よりもダンスも歌も上手いんだ。


よくアーティストの個展を見に行ったけれど


皆私よりもセンスが良くて面白い作品を作っているんだ。


もちろんこういう人達はプロとして多くの経験を積んでいるし


私よりもレベルが高くて当たり前だったけれど、


学校内であっても私より才能のある人なんている。


そもそも自分が将来的にそのレベルに達することが出来るとも信じがたかった。


きっと広い世の中に出て行ったら


私の「才能」なんて「才能」としてカウントされるとは到底思えなかった。





だから私は無能な人間でいればよかった。


歌?うん、少しは歌えるのよ。


ダンス?うん、小さい頃から習っているのよ。


絵?うん、ちょっとだけ得意なの。


だから私は褒められても図に乗ってはいけない。


それは全て罠だから。


私をその気にさせる罠。


いい気になっている私を、次の瞬間にどん底に突き落とす怖い罠。


「所詮、お世辞だけどね!まぁ、趣味レベルならいいんじゃない??笑」


そういう声が聞こえる。





私は私を認めない。


こんなレベル、本気でその世界に入ったら、お話にならないよ。













でもどこかで願っている。


本当は私にも才能と呼べるものがあるんじゃないかって。


皆が認めてくれるものがあるんじゃないかって。


お世辞じゃなくて、本当に見込んでもらえるんじゃないかって。





つい先日、バイト先の店長の送別会があった。


カラオケで0時から7時まで飲み放題で、歌いたい放題。


私は初めて一緒にカラオケに行く人がいると、


いつもとても緊張してしまう。


私はどう評価されるんだろう。


歌の上手い人だと思われるのだろうか。


それともそれは私の勝手な思い込みなのだろうか。






でもその心配とは裏腹に、


驚くほどに高く評価されて


その後ひたすら知らない曲まで勝手に入れられて


突然、歌え!!!と言われる有様になった。


さすがに無茶振りには困惑したけれど


内心どこかでとても喜んでいる私がいた。





それはもちろん私の歌を皆が高く評価してくれたからだろう。


でも同時に、皆が私の歌でとても楽しんでくれた事、


一曲歌い終わるごとに


「最高だ・・・!」、「文句無い・・・!」、「あれも歌って!!」


と嫌味も、妬みもなく素直に言ってくれた事かもしれない。


それらの言葉が嘘だとはなぜか思えなかった。





確かに歌のレベルがどうとか、どれほど上手いかは私にとって重要だけれど


とにかく「私がすること」で「喜んでくれる」人がいること。


その事実がとてもとても幸せなことに思えた。


それだけで私は、きっとずっとずーーーーっと


歌い続けることが出来るんだろう。

私にとっての

私は小さい頃から音楽とかダンスが好き。


元々バレエとかが好きだったらしい母は


まだ小さかった私が音楽に合わせてしきりに体を動かしているのを見ていて


ある日近所のお友達が通っていたバレエ教室に私を連れて見学に行った。


私は迷わずにやると言った覚えがある。





当時3歳未満だった私。


3歳からしか参加できなかったその教室にやっと3歳になって入った。


その頃の事は良く覚えていない。


とにかくたった週1回だったけど、毎週通った。


少し大きくなって、週3回通うことにした。


というかいつのまにかそうなっていた。


当時その教室で週3回も通っている人はほとんど居なかった。


私の年齢(小学校中学年くらい)においては皆無だ。


でも先生に私はいつも怒られてばかり。


他の子は可愛がられているのに、私ばっかり怒られるの。


なぜ怒られているのかもわからなかった。


人一倍頑張っているのに。


人一倍踊っているのに。


皆より上手になってきたはずなのに。






そのうち教室も楽しいものではなくなっていった。


先生によくわからないことで怒られて


とにかく顔色を伺って脅える日々。


「どうせ私は嫌われているから」


そう思うと、レッスンの日は本当に憂鬱になって


ある日バレエをやめたいと泣きながら先生に言った。


なんであの時ダンスをやめなかったんだろう。


先生になんて言われたのかも


その時自分が何を思ったのかも覚えていないけれど


私はやめなかった。らしい。





その後も結局通い続けて


イタリアに引っ越してからもしばらく違うバレエ教室に通い続けた。


言葉も通じないし、学校の勉強も全然ついていけないのに。


怖かった。


馬鹿にされるんじゃないかな。


イタリア語も英語も出来ないのに。


それでも本当に高校で勉強が大変になるまで通った。


毎日放送されるダンス・歌・演劇のリアリティーショーみたいなのも欠かさず見てた。





それは私がダンスが好きだからなのかな。


私は最初こそ自分で始めたいといったけれど


その後は親の期待に応えるという側面が大きかった気がする。


今辞めたらせっかく通わせてくれたのに申し訳ない。


失望されるかもしれない。


私がダンスが大好きだからと通わせてくれていたのに


嘘をついていたみたいで後ろめたい。


好きでい続けなければという義務感が湧いた瞬間に


不思議と本当にあったはずの「好き」感情が薄れていくのはなぜだろう。





大学に入ってもダンスサークルなんかに入る予定は全く無かった。


もうダンスは見る側でいいかなっておもっていた。


才能もないし、そんなに情熱ももうない。


でも偶然仲良くなった友達に体験レッスンに誘われて


流れでそのまま入部してしまった。


私には強い意志がなかったからこそダンスに関わり続けたのかもしれない。


ダンスはもうしないっていう強い意志もなかった。


人の期待や流れに身を任せていた結果ここまでダンスに関わり続けてきた。






こういうのもありなのかな。


でもそうあってきた私にとって


ダンスがどういう位置を占めているのかいまいちわからない。


当たり前に、努力せずともそこにずっとあり続けてきた。


それを私から奪ったらどうなるの。


別になんとも思わないのかな。


それとも私の世界から少しずつ、気づかないうちに、でも着実に、


色が消えていくのだろうか。





色々とレールが敷かれていると


いつも気づいたら準備が整っていると


貪欲さが育たないまま大人になる。


それは別に悪いことではないんだろう。


でもここぞという時に


生身の自分が何を装備しているのか、


自分が今どこにどうやって立っているのか、


わからなかったりする。


自分にとって本当に大切なものが何なのか


わからなかったりする。

ひとりっこ

私はいわゆる「一人っ子」。


しかもいとこ等もいないので、両親のみならず祖父母からの注目も独り占め。


経済的にも多分恵まれているほうで


特に不自由なく生きる事ができる。





一人っ子といえばわがまま。


それが世の中の一般的な見解である。


もちろん人によってはしっかりしてる一人っ子もいるし


親の教育方針によっては大分軽減されるかもしれない。


私は小さい頃から「一人っ子」といわれるのが嫌で


それはやはりその概念が「わがままな子」に直結していたからだ。





「私は一人っ子だけど、わがままなんかじゃないんだ!」


そう人々に思ってもらいたくて


聞き分けのいい子を演じてた。


親の前ではきっとわがまま放題だったのだろうけど


友人や知り合いの前ではなるべく人を立てて


自分自分にならないように最新の注意を払った。





でも実力不足だった。


ずっと上手いこと演じられていると思っていたけど


やっぱり私はわがままだ。


一人っ子だからわがままなのかはわからない。


きっと様々な要因が関係してわがままになっているんだろう。





世の中には、理屈をちゃんと理解して、


自分の中で消化して、納得できる人がいる。


でも私はそうではない。


欲しいものが手に入らなければ不満でいっぱいになって


それがいくら隠そうとしても態度や言動にあらわれてしまう。


自分の全てを理解して、受け入れて欲しい。


そう願ってしまう。


例えその様なことが無理であったとしても


求め続けてしまう。





人は根本的に全てを理解し合うことは出来ないかもしれない。


誰かを自分だけのものにすることなんて出来ないかもしれない。


しかし人はどこかでそれを密かに求めている。


それと同時に、きっと全てを理解してしまったり、


自分だけのものになってしまったら、


それはその瞬間に魅力を失ってしまうことも察している。


全てが思い通りの世界なんてない。


でもだからこそ面白いし、そのなかでいかに生きていくかが問題。


そう頭ではわかっているのだけど


どうしても思い通りにしてしまいたくなってしまう自分も同時にいる。





わがままを言ってしまうと


果てしない罪悪感に襲われる。


特に素直でかわいいわがままではなくて


回りくどいわがまま。


あぁまた私は裏で糸を引いて人を操ってしまった・・・。


また自分のわがままに人をつき合わせてしまった・・・。


そういった罪悪感と共に


嫌われてしまうのではないかという不安も生まれる。





わがままはいけないのだろうか。


きっとそんなことはない。


人間は誰しもどこかに自己中心的な側面を持っているし


欲求が満たされなければ不満にもなる。


しかしその不満の表現の仕方と受け止め方がきっと問題なんだろう。


どのように表現するか。


どのように受け止めるか。


どのように納得するか。


きっとそれらのステップをすっとばして


わがままはダメ。ってするから


余計に不満が積もって大変なことになるのかな。


最近は結構気をつけて自分の本当の感情と向き合ってるんだけどな。





これは私の悩みの中では出現率が高い。


自分の認められない側面といかに向き合うか。


わがままの言い方。


それに対する人の対応と、それに対する自分の対応。


難しいなぁ。


どれだけ求めていいのか。


求めて帰ってこなかったときの反応で全ては決まるのかな。


うおおお。