脱★根暗宣言 -10ページ目

勉強しなきゃいけなかったのに

まったく手が付けられなかったな。

色んな事が頭を巡って全然集中できないや。





私にとって性というものは大きな課題で

自分が女性であるという事も

そう規定されたり、「らしさ」を求められたりする事も、

上手く飲み込めていない。





私は別にバイセクシュアルとか

ホモセクシュアルなわけではないけれど

なんで同性同士が恋をするのが不自然なのか、

未だに納得がいっていないように思える。





なぜ恋人は一人なんだろう。

魅力的な人はきっと沢山いるのに

性的な関係に発展しても良いのは常識的に一度に一人だけ。

そもそも性的な関係にならなければそれは恋じゃないの?

恋人になったらそうなるのが当たり前なの?





性という課題を初めて突き付けられた中学生のような

そんな認識レベルで私は立ち往生している。

もう十分な大人なのに。





私は「女性」というカテゴリーに入るのが嫌なんだ。

私は女性である前に人間で

「私」でしかない。

だからといって女性=私ではなくても

私=女性ではあるんだろう。

それも未だに認められないんだ。




男性になりたいわけではない。

ただカテゴリーに入る事に

異常なまでの嫌悪感を抱いてしまう。





だから女性特有なものを自分が持っている事に気づくと

すごく嫌な気持ちになる。

身体的な特長はそこまででもないけれど

精神的な傾向とか

異性に対する欲求だとか

あぁ、自分も所詮ただの女だったか。

そんな自惚れから目覚めさせられるような感覚になる。





私は男の人なんて興味ないの。

私は男の人なんていなくても生きていけるの。

強くて、自立してて、理性的だから。




そんなはずの自分に

弱くて、依存的で、感情的な側面を、

そして異性に愛されたいと願う気持ちを、

見つけてしまうと

私はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。





気持ち悪い。

そんな自分が気持ち悪い。

私は認められない。

だから閉ざしてしまう。

そんな自分が見えそうになると

自動的にシャットダウンしてしまう。





それでも最近は少しずつ

そんな自分も自分であると

思えるようになってきたとは思うんだけど

それでもやっぱり難しい。

どうしてこうなったんだろう。

何か原因があるのだろうか。




性的である事は罪な事。

弱く、もろく、無防備な事。

欲求を持つ事は汚らわしい事。





そして「求める事」は

それに自分が値するという前提に立つ事であり、

そのような自惚れは許されない。

満たされるに値しない。

愛情を受けるに値しない。

そんな気持ちが

私を性の課題と向き合う事から

更に遠ざける。

私でいる事

私の中では「ダンス」にもいろいろある。



クラッシックバレエは私にとって苦い。

骨格があまりバレエに向いていなくて

どんなに頑張っても綺麗に見えないんだ。

美しさの定義がかなり統一されていて

私はいつだってその定義にはかすりもできない。




コンテンポラリーは私にとって難しい。

あまり柔軟性が無いのとやはり骨格の問題もあって

上手く見えない。

すごい技を繰り広げたり、

人間とは思えない身体の動きをしたりも出来ない。

出来たら良いなぁとは思うけどいつだって困難だ。




パンキングは私にとって原始的な喜びを与えてくれる。

身体を芯から末端までフルに使って

リズムにのる楽しさや、身体を動かす喜びを

思い出させてくれる。

大して上手に踊れるわけじゃないけど

踊っているのが純粋に楽しいと思える。




ジャズは私にとって得意だけどしっくりこないもの。

だと思っていたけど、

ジャズにも色々あって一概にはいえない事に最近気づいた。

最初はクラッシックバレエが崩れた印象だった。

こんな中途半端なジャンルを踊るくらいなら

思い切りストリートよりのガールズヒップホップとか

せめてジャズヒップホップを踊る方がましだと思った。




でも今通っているレッスンのジャズはとても好きだ。

とりあえず回るとか、とりあえず足を高くあげるとか

そういうのじゃなくて

ただ音に身体をのせて

想いをのせて

指先の小さな動きが

一瞬の呼吸が

大きな意味を持つんだ。




身体いっぱいで表現をする。

時に爆発し

時に繊細に。

とまる事無く流れているのに

メリハリがあって。

踊りこなすのはとても難しいけど

素直に感覚と身体が一致する。

とても人間らしくて

私にはとても美しく見える。




どれが良いとか悪いとかじゃなくて

どれが好きとか嫌いとかじゃなくて

私にとってダンスは色んな意味を持つという事だ。

どれがかけても私とダンスの関係を語れない。

それにジャンルという括りでダンスも語れない。




ずっと昔から踊っていて

ダンスは好きだったんだろうけど

最近は踊っていたら

「認めてもらえるから」

「褒めてもらえるから」

そんな理由が8割で踊っていた気がする。




でも最近また

自然と感覚と身体が一致するときの

なんとも説明しがたい感覚を思い出して

あぁ、ダンスってすごいな

って改めて思ったんだ。

なんで自分が踊ってるのか

少し思い出した気がした。




やっぱり踊り続けたいんじゃないかな。

それはダンサーとして生計を立てていくとか

ダンスに関わる仕事に就くとかではないかもしれないけど

いつまでも私という人間は

音楽にのせて自分の身体と感覚をつなぐ事

そういうプロセスを通して

自分という命を生きていく気がする。




アーティストとかパフォーマーとか

そんなすごそうな肩書きのつくものではないんだ。

美的感覚に訴えることもないかもしれないし

上手く何かを表現することも出来ていないかもしれない。

でも

「私でいる事」

それが

「踊る事」

に密接に関わっている。

ただそれだけの事なのかもしれない。

見えない扉

見えなくなる



本当の理由とか


なぜ今その感情を抱くのか




防衛のために張り巡らされた



見えない

カモフラージュされた

重たい扉を


逐一探し当てては開いていかなければ


見えてこない。





探し当ててしまっても


開けるには力が必要だ


開けたくないと思う事がほとんど。




開けてしまったら

みたくないものまでみえてしまう。






傷ついたり嫌な想いをするのが目に見えているのに

そこに飛び込んでいくには力が、

その中でもきっと大丈夫という自信が、

必要になる。




自信と言ったときに

自分にこれまでのがんばりを言い聞かせたり

自分で自分を認める事から始めようと言った事が言われるが

一体どうやって認めろというのか

よくわからない





認められることをしたんだったら

どうしてあの時皆は私を

あんな風にあつかったの

みんな私が嫌いだったんじゃないの



かわいくないから

なにもできないから

自己中だから




嫌われて当然だったんじゃないの




なんで

どうやってそれを認めろって

無理があるだろ




そんな状態で

扉を開けろって言う方が

おかしい





どうせ私が甘ったれなんでしょ

そのくらい自分でやらなきゃいけないんでしょ

頼ってばかりいるから成長しないんでしょ



なんなの



相反するメッセージが同時に送られてきて

混乱させられるだけ

逃避としての

人間は学ぶ生き物かもしれないけど

自分の場合は10学んでも9は忘れる。




自分を過信するとあんまり良い事無い。




学んだはずだったけど


とっくに忘れてたことなんて


いくらでもある。






依存するから不安になって辛くなる訳で

自立したくて仕方が無いのだけど

逃避としての自立がどれほど自立として成り立つかは

かなり怪しいところであって

結局どこかに依存先が変わっただけだったりして

それに気づいた時に大きな挫折を味わうだけだったりする。





どうしたら自立できるんですか

自立ってなんですか

私にも出来るんですか

がんばればいいんですか




ばかにしないで

できないからって哀れまないで





またわからなくなってきた

侵略される

重くて暗くて巨大なものに

飲み込まれる








なんで置いていかれると

なんで出来ないと

かわいそうとか思われたり

はげまされたりしなきゃいけないの。

そんなの全然求めてなんかないのに。

出来ないからかわいそうなんじゃなくて

出来なくて

満たされなくて

悔しくて悲しくて苦しいから

こんなに涙が出るだけなのに。






誰宛でもない。


自分への言葉。



忘れないように。


また同じように傷つけないように。


また嫌われないように。







どうしてそんなに恐れるのか

どうしてそんなに嫌われる事を避けなければいけないのか

どうしてそんなに傷つく事が怖いのか





そんなの怖くなくなりたいのに。

怖くて怖すぎて死んだ方がましなんじゃないかっていう

本末転倒な思考にたどり着く。

死ぬのが怖いんじゃないの?

生きていけないのが嫌なんじゃないの?

死にたくないから繕ってるんじゃないの?

意味が分からない。





殺さないで

死にたくない

いつだって私の「生」は

死からの逃避としての「生」でしかない

それはとてもとても悲しい

罪悪感

喧嘩別れのようになっていた友人と久々に話した。

不思議な感覚に陥った。




私がこれまで生きてきた中でとても大きな意味を持つ人。

自分にとても似ていて、

でも違う。

似ているからこそ意気投合したけど

似ているからこそぶつかった。

そういうタイプの人は初めてだった。




沢山傷つけた。

沢山傷つけられた。

でも沢山の新しい感情を知った。

同じようなことに悩んで苦しんでいたから

どうか幸せになって欲しいと心から思った。




勝手に姉のような気持ちになっていた。

先に困難を乗り越えた先輩として

導いてあげなきゃいけないような気になっていた。

でもその人のためを思っていたはずでも、

結局誰よりも傷つけていたのは私だった。




ずっとその罪悪感が私を支配していて

思い出すたびに胸が痛かった。

どうして大切にしたいと思えば思う程

上手く行かないんだろうか。

とても痛い目をみた。

希望の光を手に入れて有頂天になっていた私に

未だ残る邪悪な部分を突きつけられた気がした。




彼にとってはなんてことなかったのかもしれない。

よくある人生の1場面に過ぎないのかもしれない。

ただ私にとってはとても忘れられない

大きな希望であり

大きな挫折。




喧嘩してまともに話さなくなって以来

ずっと私の中にあった罪悪感。

なのに今日は自分でも驚く程自然に話し始めて、

あまり気負う事無く話を聞く事が出来た。

ずっとずっと怖かったのに。

ずっともう許される事も無いんじゃないかと思っていたのに。




彼の中では全て無かった事になったのかもしれない。

リセットしてまっさらな状態になったのかもしれない。

でもそれでも私の中の罪悪感は少し姿を変えた。

それは自分を隠し、責める感覚から、

感謝の気持ちに

少しだけ変わった。




同時に私の中では防衛反応が大きく働いているのも感じる。

また同じ過ちを繰り返すのではないか。

そう考えるとやはりとても怖い。

傷つけないように。

境界を見失わないように。

そういった防衛が人と人のぶつかりを必要以上に失わせ

表面的でつまらない、

ただ平穏な人間関係を生み出すのかもしれない。




ただ私にはあまりにも大きかった挫折を思うと、

また同じようにリスクを負う事が出来る程

強くもないんだ。

だからもやもやとしたものを抱えながら

また1から探り直す。

それが今の私なりのベストなんだと思う。