罪悪感
喧嘩別れのようになっていた友人と久々に話した。
不思議な感覚に陥った。
私がこれまで生きてきた中でとても大きな意味を持つ人。
自分にとても似ていて、
でも違う。
似ているからこそ意気投合したけど
似ているからこそぶつかった。
そういうタイプの人は初めてだった。
沢山傷つけた。
沢山傷つけられた。
でも沢山の新しい感情を知った。
同じようなことに悩んで苦しんでいたから
どうか幸せになって欲しいと心から思った。
勝手に姉のような気持ちになっていた。
先に困難を乗り越えた先輩として
導いてあげなきゃいけないような気になっていた。
でもその人のためを思っていたはずでも、
結局誰よりも傷つけていたのは私だった。
ずっとその罪悪感が私を支配していて
思い出すたびに胸が痛かった。
どうして大切にしたいと思えば思う程
上手く行かないんだろうか。
とても痛い目をみた。
希望の光を手に入れて有頂天になっていた私に
未だ残る邪悪な部分を突きつけられた気がした。
彼にとってはなんてことなかったのかもしれない。
よくある人生の1場面に過ぎないのかもしれない。
ただ私にとってはとても忘れられない
大きな希望であり
大きな挫折。
喧嘩してまともに話さなくなって以来
ずっと私の中にあった罪悪感。
なのに今日は自分でも驚く程自然に話し始めて、
あまり気負う事無く話を聞く事が出来た。
ずっとずっと怖かったのに。
ずっともう許される事も無いんじゃないかと思っていたのに。
彼の中では全て無かった事になったのかもしれない。
リセットしてまっさらな状態になったのかもしれない。
でもそれでも私の中の罪悪感は少し姿を変えた。
それは自分を隠し、責める感覚から、
感謝の気持ちに
少しだけ変わった。
同時に私の中では防衛反応が大きく働いているのも感じる。
また同じ過ちを繰り返すのではないか。
そう考えるとやはりとても怖い。
傷つけないように。
境界を見失わないように。
そういった防衛が人と人のぶつかりを必要以上に失わせ
表面的でつまらない、
ただ平穏な人間関係を生み出すのかもしれない。
ただ私にはあまりにも大きかった挫折を思うと、
また同じようにリスクを負う事が出来る程
強くもないんだ。
だからもやもやとしたものを抱えながら
また1から探り直す。
それが今の私なりのベストなんだと思う。
不思議な感覚に陥った。
私がこれまで生きてきた中でとても大きな意味を持つ人。
自分にとても似ていて、
でも違う。
似ているからこそ意気投合したけど
似ているからこそぶつかった。
そういうタイプの人は初めてだった。
沢山傷つけた。
沢山傷つけられた。
でも沢山の新しい感情を知った。
同じようなことに悩んで苦しんでいたから
どうか幸せになって欲しいと心から思った。
勝手に姉のような気持ちになっていた。
先に困難を乗り越えた先輩として
導いてあげなきゃいけないような気になっていた。
でもその人のためを思っていたはずでも、
結局誰よりも傷つけていたのは私だった。
ずっとその罪悪感が私を支配していて
思い出すたびに胸が痛かった。
どうして大切にしたいと思えば思う程
上手く行かないんだろうか。
とても痛い目をみた。
希望の光を手に入れて有頂天になっていた私に
未だ残る邪悪な部分を突きつけられた気がした。
彼にとってはなんてことなかったのかもしれない。
よくある人生の1場面に過ぎないのかもしれない。
ただ私にとってはとても忘れられない
大きな希望であり
大きな挫折。
喧嘩してまともに話さなくなって以来
ずっと私の中にあった罪悪感。
なのに今日は自分でも驚く程自然に話し始めて、
あまり気負う事無く話を聞く事が出来た。
ずっとずっと怖かったのに。
ずっともう許される事も無いんじゃないかと思っていたのに。
彼の中では全て無かった事になったのかもしれない。
リセットしてまっさらな状態になったのかもしれない。
でもそれでも私の中の罪悪感は少し姿を変えた。
それは自分を隠し、責める感覚から、
感謝の気持ちに
少しだけ変わった。
同時に私の中では防衛反応が大きく働いているのも感じる。
また同じ過ちを繰り返すのではないか。
そう考えるとやはりとても怖い。
傷つけないように。
境界を見失わないように。
そういった防衛が人と人のぶつかりを必要以上に失わせ
表面的でつまらない、
ただ平穏な人間関係を生み出すのかもしれない。
ただ私にはあまりにも大きかった挫折を思うと、
また同じようにリスクを負う事が出来る程
強くもないんだ。
だからもやもやとしたものを抱えながら
また1から探り直す。
それが今の私なりのベストなんだと思う。