脱★根暗宣言 -8ページ目

出来ない自分を演じる

私の担当のカウンセラーの先生が3月いっぱいで異動になるらしい。

3月までにちゃんと話し終わるかな。

案外1月中に終わっちゃったりして。

まぁ今週もなんか思いついた事書いておこう。




今日は修論の中間発表でした。

パワーポイントに色々とまとめてプレゼンするのだが、

私はもちろん内容にも力を注いでいるつもりだけど、

それよりもなによりも

パワーポイントのレイアウトとか

どうやったらロジカルでわかりやすくなるかとか

どういう文字配置にしたら見やすいかとか

そんなことが気になって気になって仕方がない。




発表が終わっても、内容よりも

パワーポイントすごいね!という感想が大半で

なんかちょっと残念な気持ちになった。

私はあくまでも内容が伝わりやすいように

レイアウトやデザインに気を使っているだけだし、

無駄な装飾をしている訳ではなくて

どちらかというとシンプルを極めている。

なのになんかそう言う感じに褒められると

せっかく内容と伝えたいと思って色々試行錯誤したのに、

伝わったのはパワーポイントのすごさなのかなとか。




ついでにこんなパワーポイントの見た目ばっかり凝っちゃって、

中身はたいした事無いのに。

って思われているんじゃないかという被害妄想が・・。

昔高校の国語の授業で「広告」を作ってくる課題があったんだけど、

一人だけガチでリアルに広告として張り出されてそうなレベルの

画像を作って学校に持っていって

生徒達にはすごい!って大絶賛されたけど(グラフィックを)

先生の反応が微妙だった時に感じた

あの嫌な感じに似ている気がした。

この嫌な感じなんなんだろう。




自分はプロっぽいものを作るのが得意だ。

それは多分見たものとかを忠実に再現するのが得意だから。

ちなみにプロのものではなく、プロっ「ぽい」もの。

訓練とか受けていなくても、

なんとなくクオリティの高く見えるものを作るのが上手い。

そこまで努力しなくても

なんとなく人よりも上手くできる。




私はその能力を誇示したいのかな。

そういう「ねぇ私ってすごいでしょ」

っていうのが伝わっちゃうのかな。

だから大人は私のそういう所嫌がるのかな。

バレエも、勉強も、歌も、絵も、

自分が上手な事を人前でやるのって

なんだかとてもいけない事のように感じてしまう。





だから少し下手なふりをしたりするの。

その方がみんな私を可愛がってくれるから。

勉強もできない振りするの。

私は調子乗ってる訳じゃないのって。

「私なんか全然だめですぅ~」って。

だから長所を出せなくなった。

得意分野は隠すものになった。

「出来ない自分」を演じるプロになった。




どうしてかな。

自分を低くみてばかりいたら

自分をダメな子、出来ない子ってばかり

自分に言い聞かせ続けていたら

本当にそうなってしまったよ。

めも

カウンセリングで日常生活でもやもやした事とか

違和感を感じた事に意識的に目を向けてみたり

自分の記憶をずーーーーっとたどってみて

そういう感覚をどんな時に強く抱いたかを

思い出してみると

どうして今のような自分の状態が作り出されたのか

ヒントになるかもと言われた。




という事で日常のあれれ、もややを適当にメモしてみる。

特に一つのテーマに絞らずに。




1、自分の性癖?というか性的趣向について。

ノンセクシュアルや性嫌悪という概念に出会った。

自分の容姿への自信の無さや

性的な欲求を向けられる事への嫌悪感や

コントロールされる事への拒否感に関係ありそう。

ちょっと色々調べてみたいし、

どうして自分がそうなったかのルーツも知りたい。




2、偽善とか

コンビニから出てきたら駐輪場で

チャリをドミノ倒しにしてしまった人(若い男性)がいたけど

私は寒かったし、買ったばかりのあんまんが冷めるのが嫌だったし、

少し急いでいたし、面倒だったから

気づきながらも手伝わずにスルーした。

自分って酷い人間という罪悪感とともに。

でもその時思ったのは、

自分にとって「その人」の優先順位が低かったという事。

手伝わなかった事自体に罪悪感があったのではなくて、

「酷い人」というレッテルを貼られるのが嫌だったという事。

そういう客観的分析が出来るようになっただけ

前よりは成長してるのかな。




3、罪悪感というか根本にある自己否定

カウンセリングとかでも、自分が経験してきた苦難は

「大した事無いんだ。」

「本当に大変な人に比べたらなんてことないんだ。」

「こんなレベルの事で辛いとかいっててすいません。」

という無意識での自己否定が働いている。

カウンセラーに

「そういうことって誰にでもあるよ。大丈夫。」

って慰めのつもりで言われる事があるけど

「誰にでもあるような事で辛いとか言っててすみません」

っていう気持ちになる。




4、アダルトチルドレン

アダルトチルドレンという概念に出会った。

すごく自分に当てはまるけど、まだよくわからないから調べたい。

でも機能不全家庭では育っていないので

違うのかも。

でも日本人の6割~7割はそうという情報も。

よくわからない。




5、甘え

卒業時期を先延ばしにする事を検討していると

親に言ったらなんか知らないけど怒られた。

確かに自分でスケジュール管理が出来ていなかったし、

優先順位のつけ方がおかしかったかもしれない。

それは私のせいだし、そういう詰めの甘いところ私の悪い所だ。

でも学費は自分で払うし、

今の現状で何が大切かを決めるのは私だ。




でも同時にやっぱり私は恵まれた環境に居すぎて

甘えるのがあたりまえになっちゃってるのかな。

いつまでも実家に居れば衣食住には困らないし、

ちょっとくらい卒業延期したって

どうせ6月に卒業して4月までバイトくらいしかしないんだから、

別に困らないだろ。

そういう甘い考えがよくないのかな。




甘えられる事が当たり前になったらいけない。

甘える事は必要だし、甘えが必要なタイミングはもちろんある。

でもそれがあって当たり前とか、

感謝の気持ちを忘れたらだめなんだろうな。

私には幸運にもこういった好条件がある。

それに今は甘えさせていただく。

そのくらいの気持ちを持ち続けないとかな。。




最近自分は何もやりたくなくなってきていて、

頑張るのも、努力するのも面倒だし、

何がしたいのか、何が好きなのかもわからなくなってきた。

なんでこんな風になってるんだろう。

何するにも犠牲は伴う。

何も傷つかずに楽しい思いだけするなんて無理だ。

でも犠牲や傷つく事ばかり恐れて、

自分の楽しみたいとか安心したいとかいう欲望ばかりが

前に出てきてしまっている。




「傷つかずに楽しい思いだけしたい!!!」

そんなわがままさすがに通るわけなく。

どうしたらまた一歩踏み出せるんだろう。

頑張ってみようかなって思えるんだろう。

勝手に意欲が湧くのを待ってるだけじゃだめなのかな。

何か自分で始めなきゃいけないのかな。

こんな風に他力本願な所も

結局甘いんだよな。




以上。最近思った事。

努力

努力ってよくわからない。

ダンスも歌も研究も

好きだし、楽しいとは思うけど

自分にとって不利な条件になるのであれば

それ以上頑張りたくないと思ってしまう。

私には死にものぐるいで努力してでも

つかみたい何かがないのか。




いや、私が必死になって求めているものは

人からの愛情であり評価だ。

それは自分が何かを達成したいというものではなく、

何かを達成した自分を褒めてもらいたい

認めてもらいたい

そういう他者目線の結果だけだ。




確かに色んな努力はしてると思う。

でもそれは結局他者に向かってしまう。

そして評価をしてくれない他者にいらだちを向け

評価されないのであれば

努力も何もかも無駄でしかないのだ。




本当はもっと

そのもの本体に努力のパワーを注ぎたいのに。

評価なんかなにも気にせずに

自分がやりたいからやる。

多少の不利益があったって

自分が好きだから続ける。

努力する。

そういうのに憧れるんだよ。




私はどうせいつまでたっても

偽物でしかない。

そんな風に思いながら生きてきたし

今もやっぱりまだそう。

いつか変わるのかな。

変われるのかな。

変化

気付けば2011年が終わっていました。2012年です。

日々の延長線上にいるだけのような感じですが、

2011年もなんとか生き抜くことができ、

ひとまずよかったです!

まだまだ根暗だし、ビビリのヘタレだけれども

今年も日々自分と向き合っていけたらと思います。




2011年は自分の中でも色々と動きがあったかなと思います。

1月末にバイトを始めました。

そこでは一番年下で、

それまで可愛がられるという経験があまりなかった私を

すごく可愛がってくれて、

戸惑いながらも

可愛がられるポジションに甘える事を堪能させてもらった。




未だにどうしてこんな私を可愛がってくれるんだろうとか

本当は可愛がってる振りしてるだけなんじゃないかとか

ただのネタとして使われてるだけなんじゃないかとか

私しか可愛がれる年齢の人がいないから仕方なくじゃないかとか

いつも半信半疑だし

素直に可愛がられちゃってる自分が気持ち悪い時もあるけど

人に慕ってもらえる部分が自分にもあるのかもって

ちょっとでも思わせてもらって、

少しだけ自信がつきました。




3月には地震。

自然の威力にただ言葉を失って、

形あるものの儚さを知らしめられました。

私は大切な人を失ったわけでも

家や大切なものを失ったわけでもなくて、

ほんの一時、少々の不便を感じたくらいだった。




それでも形にならない不安や

未来への絶望感を味わった人は多かったと思う。

私も精神的に不安定になったり

体調を崩したりした。

それでもやっぱり生きているから

目の前の課題に取りかからなければいけなくて

自分の価値観を捉え直す機会を与えられたかのようだった。




10月にはまた精神的にバランスが崩れて

死ぬ事がすごく怖くなって

生きている事すら怖くなったけど

それをきっかけにもう頼らないと思っていた

カウンセリングにまた通い始めて

今度こそ深層心理に挑みたいと思っている。

辛くて耐えられないから行くカウンセリングじゃなくて

人と一緒に自分について考えるために行くカウンセリングに。




そんなこんなで

色んな事がおきて、

色んな刺激を受けて、

色んな自分を見つける機会をもらって、

2011年は内面がかき乱された年だったと思います。




2012年は環境にも変化が起きてくるはず。

卒業できれば気楽な学生生活ともお別れだし、

公演やら、修論やら、採用試験やら

盛りだくさんでもある。

きっとプレッシャーに弱くて

ここぞって言う時に逃げ出したくなるんだろうけど

そんな自分と上手く付き合いながら

新しい自分もどんどん開拓できたらなあ。




変化に弱い自分だけど

変化を恐れつつも

変化をチラ見しながら

そんな自分と相談しながら

ちょっとずつ

反応見ながら

おそるおそるw

足を踏み込めたらと思います!




このブログは完全に自己満だし、

常に不親切を極めてるし、

読んでくれている人がいるのかわかりませんが、

もしいらっしゃるのであれば、

本当にありがとうございます。

そして

変わらずこんな私ですが

2012年もどうぞよろしくおねがいします!(?)

どうせ

今月は生理前の精神症状が控えめだなーと思っていたら

生理終わってから不安定になり始めた。

身の回りで起きるだいたいのことにイライラできます。

特に妬みの感情が酷くなります。




人が褒められていると

気に食わないです。

人が認められていると

イライラします。

別にたいしたこと無いじゃない。

褒められる程のことしたの?

そんなんで認められちゃっていいわけ?




私はそんなんじゃ満足しない

そんなお世辞で喜んだりしない

だって現実を見てみなよ

クズ同然だ




私のことを褒めてくれる人も

認めてくれる人もいる

だれも認めてくれないから僻んでいる訳じゃない

でもどんなに人に褒められても認められても

全然満たされないんだ




どうせお世辞だから

どうせ絶対評価だから

どうせ身内だから

どうせ何もわかってないから

どうせ真剣な言葉じゃないから




どうせ私なんか何においても三流だから。




逃げ?

諦め?

そうなんだろう。

自分に都合のいいように

傷つかずに済むように

バリアを張ってるんだろう。




私が一番だって認められたい。

私だけがすごいって褒められたい。

他の人なんかどうでもよくて

私だけが讃えられたい。

誰よりも上にいるって確信したい。






もういやだ。

こんな人間嫌だ。





認められたい。

心底優越感に浸りたい。

褒められたい。

他人からじゃない。

どうでもいい人からじゃない。

どんなに沢山の人から褒められて

どんなに沢山の人から認められても

私自身に認めてもらえなかったら

何の意味も無いんだ。