キャンドル職人への道 ワーホリ編part.3
=IELTSコースが開講=
学校生活も3ヶ月を超えた頃になると、周りにいた日本人の友人の多くは学校の卒業を機に、
日本人の友人の多くは街を離れっていった。そんな中、3ヶ月を過ぎても語学学校に通い続けた自分は、通常の文法や会話をただ勉強するだけではつまらないと感じてた。
その頃、学校の先生から今度新しいコースを始めるから、参加しないか。と言われた。それはIELTS対策コースというもので、日本人には馴染みがないので、IELTSを簡単に説明すると、イギリス版TOEICみたいな感じで、テストはスピーキング、リーディング、ライティング、リスニングの4つのセクションから成っている。
例えば、ニュージーランドの非居住者が永住権を取得したいと思えば、このテストで当時は6ポイント以上取る必要があった【今は6.5ポイント以上】。
そして、近々これの模擬テストを実施するから受けてみないかと言うのだった。手始めに受けたそのテストの感想を言うと、かなり難しい!! ライティングで言えば、環境問題や飢餓撲滅の方策を考えろ。という問題が出題されて、それを制限時間内に最低500文字以上で書く。それ以外にも300文字以上の随筆を書かなくてはいけない。英語以前に一般常識を広く問う内容になっているのだ。
担当教師のKIM【美人教師】は毎日宿題を出すし、復習もやらなければいけない。もし授業についてこれなければ、“kick you out!!追放する”と脅してくるのだが、迷った末に、彼女の勉強になるからという勧めと★直感的に、これは面白そう★だと思い、参加することにした。
コースの参加メンバーは日本人1人、韓国人2人、中国人1人、チェコ人1人、コロンビア人1人の計6人でスタートしたのだったが、程なくして、新メンバーが加わることになった。
その彼女がその後に、自分がキャンドル職人になる、きっかけを与えてくれることになるのでした。
続く・・・。
キャンドル職人へ道 ワーホリ編 番外
『文化の違い!?、それとも個人の問題?』
海外に住んだおかげで、色々な国の友達が出来た。
韓国、中国、フランス、スイス、チェコ、コロンビア、フィリピン、イギリスetc
みんな話す言葉や文化が違うから、一緒にいると『あっー』と思う瞬間がある。
★『スーパーでパンを食う!!』 メンバー:韓国人2人・日本人3人・中国人1人・コロンビア人1人
これは結構ビックリした。ある日、みんなで夕食の買い物をしていた時、メンバーの1人が
入る時には持っていなかったパンをムシャムシャ食べているのに気が付いた。
そこで、当時の会話を再現
A:『あれっ、パンなんか持ってたっけ?』
B:『いや、そこに置いていたヤツだよ。』
A:『売り物じゃない?会計は済ませたの?』
B:『まだ、これからだよ。あとで払えばいいでしょ?』
A:『それは駄目でしょ、だって食べ終わったら誰もわからないじゃん』
B:『でも、韓国では当たり前だよ』
A:彼以外の韓国人『そんなヤツいないよ(怒)!!』
ちなみに彼は26歳。今まで、ずっとやっていたんだって。よくバレなかったね。
正直、レジの人も困るよね。もう胃の中にあるものを会計するなんて。
★『彼女の写真を持ち歩くか』
メンバー:韓国人2人・日本人1人・ドイツ人1人・フランス人2人・コロンビア人1人
これはある授業での話。ちょうど、それぞれの国での恋愛ついて話をしていた時に、自分の彼氏彼女の
写真を持ち歩くか。という話になった。
そこで、ドイツ人のステファン君(21歳)が『オフコース』と一言。
一同:『ステファン彼女の写真見せて!!』
ステファン:『ほらっ』 写真を差し出す
一同:『Woooo・・・・・・・・・超美人!!』
一同:『・・・・・・・・・全裸!? ●●●見えてないか?』
一同:『ニヤニヤ・・・・・・・』
写真は彼女がベットの上で四つん這いになっていたのだ。それも後ろ斜めのアングルからでかなり過激。
他にも色々と持ってきたらしいけど、これがお気に入りの一枚だって。まあ、なかなか日本人は彼女に
そんな写真撮らしてもらえないと思うし、それを持ち歩くなんて絶対出来ない。ましては他人に見せるなんて・・・。ちなみにアジア系女性陣は超赤面してましたが。
★『韓国人は情熱的!!』
韓国の男性は優しいし、礼儀正しい。そして、みんな軍隊を経験しているから男らしい。
モテモテ韓国人と日本人女性のカップルは結構いたと思う。負けるな日本男児。
そんな中、1人の韓国人♂(32歳)と日本人♀(16歳)の出会いは衝撃的だった。
そもそも韓国人♂は一週間の予定で語学勉強に来ていた。彼は韓国一の名門大学出身で、
しかも、大手企業に勤めるバリバリのエリート。そんな彼が出会ったのが、日本人♀(16歳)。
彼はそのコを結構気に入ってしまったのだけど、なんせ滞在期間が短いので、なかなかアタック
出来ないでいた。そんな彼が帰国前日に彼女を誘い、告白をしたんだけど。それを再現
♂:『付き合ってほしい』
♀:『いいよ、でも今日が最後だから、遠距離だね』(後日聞いたところによる)
まあ、ここは『ひと夏の甘い思い出』として、心にしまっておこうって感じになるはずだけど。
彼が帰国して、一ヶ月後に・・・・。
なんと・・・・・彼がまたやってきたのだ!!!
彼女から来るかもしれないと聞いていたのだが、まさかホントに来るとは驚きだ。
彼は本気みたいだ。
そして、彼と再開を果たした
彼女が一言 『ありえない~あの髪型!!!、もう会わない』
そんな彼と彼女が別々に自分の所に相談にきたんだけどね。
そこで、彼の髪型を解説すると、ツーブロック&ノミアゲがテクノ?日本では20年くらい前に
流行った感じで、16歳の現代っ子はお気に召さなかったみたい。でも、髪型だけで、
会わないとはかわいそうでしょ。そこで、私が彼女を必死に説得し、なんとかそのまま付き合うことに。
だって、彼は大手企業は退職してまで、彼女に会いに来たのだから(ありえない話でしょ)。
そもそも、淫行条例違反じゃない(日本風では)?年もダブルスコアだしね。
恋は盲目というけども、彼の本気度と情熱は凄かった。
その後、半年ほど付き合い、彼はニューヨークへ留学。
彼女は現在、超名門K大学に通っております。
カーネル・サンダース “あれから25年”
“あれから25年”
今日はたまたま相武台駅前付近を通ったので、写真を撮ってきました。
皆さんご存知の白ひげに白いタキシードのおじさん
そうケンタッキーフライドチキンの創始者“カーネルサンダース”です。
彼はケンタッキー州のコービンという小さな街でガソリンスタンドとサンダースカフェという
レストランを経営していました。そこで出していた人気メニューが“十二種類の秘伝のスパイスと
ハーブを使ったフライドチキン”でした。その味を求めて隣町からもお客さんが訪れていて
お店は大繁盛していましたが、突然の悲劇がカーネルを襲います。
それまで、国道に面していて車の通りも多く、立地条件が良かったのですが、新たに別の場所に
ハイウェーを建設することになったのです。それによりカーネルのお店の前を通る車の数が
激減し、それとともに客足も減っていったのです。そこでカーネルはなくなくお店を閉めて
新たなビジネスを創めることになります。その当時、彼は65歳。
そのビジネスとは、“12種類の秘伝のスパイスとハーブ”とその当時、発明されたばかりの圧力鍋を
片手に全米各地を車で回り、彼のフライドチキンをレストランのオーナー達に試食してもらうことでした。
そして、彼のフライドチキンを気に入ってくれたオーナーにその秘伝のスパイスと調理法を伝授する
代わりに、一本につき数セントの手数料をもらうことでした。これはまさに世界初のフランチャイズビジネス
だったのです。
その後、カーネルは73歳までに全米で600店舗以上の加盟店を開拓しました。
まさに“IT IS NEVER TOO LATE 遅すぎるということはない”ということです。このことを実践した
のがカーネル・サンダースなのです。彼はその後、フランチャイズの権利を他人に譲り、世界各国で
味の伝道師として、指導にあたりました。
そこで今なぜ、カーネル・サンダースかと言うと、
自分がちょうど小学生の頃、家族でたまたまKFCに食事に出かけた時に、店員さんが
“あのひげのおじさん、昨日亡くなったんだよ”と教えてくれたのです。その時は何を勘違いしたのか、
カーネルが亡くなったことのショックと作る人がいないから“もうフライドチキンが食べられなくなる”と思い、
とても悲しくなったのを憶えています(アホですね)。
そのカーネルが亡くなったのが1980年の12月。今から25年前です。
そして、その亡くなる半年前に来日していたカーネルは神奈川県の相武台駅近くのKFCに植樹を
していたのですが、その木が25年の歳月を経て、隣のマンションの高さに匹敵するくらい成長しています。
いつも、あのKFCの前を通るたびに、昔の記憶が甦ってきて、自分もいつかはカーネルのように・・・。
なんて思います。本当に月日が経つのはあっという間ですね~。
カーネルの生涯。頑固な性格や転職の数々。そして、ケンタッキーフライドチキン誕生までのエピソード- などが豊富に書かれているので、面白い。
- 著者: 藤本 隆一
- タイトル: カーネル・サンダース―65歳から世界的企業を興した伝説の男
日本ケンタッキーフライドチキンのホームページ。カーネル物語などが見れる。




