カーネル・サンダース “あれから25年” | キャンドル屋の1日

カーネル・サンダース “あれから25年”

    “あれから25年”

今日はたまたま相武台駅前付近を通ったので、写真を撮ってきました。

皆さんご存知の白ひげに白いタキシードのおじさん

そうケンタッキーフライドチキンの創始者“カーネルサンダース”です。


彼はケンタッキー州のコービンという小さな街でガソリンスタンドとサンダースカフェという

レストランを経営していました。そこで出していた人気メニューが“十二種類の秘伝のスパイスと

ハーブを使ったフライドチキン”でした。その味を求めて隣町からもお客さんが訪れていて

お店は大繁盛していましたが、突然の悲劇がカーネルを襲います。


それまで、国道に面していて車の通りも多く、立地条件が良かったのですが、新たに別の場所に

ハイウェーを建設することになったのです。それによりカーネルのお店の前を通る車の数が

激減し、それとともに客足も減っていったのです。そこでカーネルはなくなくお店を閉めて

新たなビジネスを創めることになります。その当時、彼は65歳。

そのビジネスとは、“12種類の秘伝のスパイスとハーブ”とその当時、発明されたばかりの圧力鍋を

片手に全米各地を車で回り、彼のフライドチキンをレストランのオーナー達に試食してもらうことでした。

そして、彼のフライドチキンを気に入ってくれたオーナーにその秘伝のスパイスと調理法を伝授する

代わりに、一本につき数セントの手数料をもらうことでした。これはまさに世界初のフランチャイズビジネス

だったのです。


その後、カーネルは73歳までに全米で600店舗以上の加盟店を開拓しました。

まさに“IT IS NEVER TOO LATE  遅すぎるということはない”ということです。このことを実践した

のがカーネル・サンダースなのです。彼はその後、フランチャイズの権利を他人に譲り、世界各国で

味の伝道師として、指導にあたりました。


そこで今なぜ、カーネル・サンダースかと言うと、

自分がちょうど小学生の頃、家族でたまたまKFCに食事に出かけた時に、店員さんが

“あのひげのおじさん、昨日亡くなったんだよ”と教えてくれたのです。その時は何を勘違いしたのか、

カーネルが亡くなったことのショックと作る人がいないから“もうフライドチキンが食べられなくなる”と思い、

とても悲しくなったのを憶えています(アホですね)。

そのカーネルが亡くなったのが1980年の12月。今から25年前です。

そして、その亡くなる半年前に来日していたカーネルは神奈川県の相武台駅近くのKFCに植樹を

していたのですが、その木が25年の歳月を経て、隣のマンションの高さに匹敵するくらい成長しています。


いつも、あのKFCの前を通るたびに、昔の記憶が甦ってきて、自分もいつかはカーネルのように・・・。

なんて思います。本当に月日が経つのはあっという間ですね~。

カーネルの生涯。頑固な性格や転職の数々。そして、ケンタッキーフライドチキン誕生までのエピソード
などが豊富に書かれているので、面白い。
著者: 藤本 隆一
タイトル: カーネル・サンダース―65歳から世界的企業を興した伝説の男

日本ケンタッキーフライドチキンのホームページ。カーネル物語などが見れる。

http://www.kfc.co.jp/story/index.html